第二十八話 黒の女
二十八話担当は虹鮫連牙です!
参るぞよ~。
いよいよ迫ってきた学園祭。
生徒たちは来たるべきに日に備えて、各々の催し物の用意に必死だった。
執り行われる学園祭は、例年のごとく各クラスからのユニークな企画が人気を博している。純粋に喫茶店やカルチャーショップを出店したり、生徒の手掛ける成果物を発表する場にしたりと、出展内容は様々だ。
また、魔法を教える学校という性質上もあり、世にも不思議なものが見られることも多い。魔法を駆使した生徒達自身の発表ももちろんそうだが、外部団体や一般企業の出展も認められているため、単純な学園祭という枠には収まらない、国内最大規模の祭典に近いというのが実情だ。
従って、学園祭の準備期間に入ると学園内が非常に慌ただしくなる。
今期より入学のシュバルト達は、学園全体を包む学園祭ムードに少々気圧されていた。
しかしそれも仕方がないことだ。何せこの学園祭では、編入生などを除く新入生には、学園祭での催し物の出展資格が無い。入学してから早い時期に開催されるということもあり、一年目は先輩達の執り行う学園祭に“客”として参加し、勉強することとされている。
殺伐ささえも伺える準備期間に何もすることがないという状況は、新入生達を少々戸惑わせることがある。「普段は優しいあの先輩が何故か怖い…………」とか、「教室以外どこに行っても学園祭準備の殺伐とした空気が…………」などというものも含めて、ある意味この学園での勉強ということなのだ。
そんな中、シュバルトとリヒャルトは学園祭の警備担当を命じられているため、他の同級生に加えて幾分忙しい。
この日、警備部隊任命の翌日早々から、学園祭警備に関する打ち合わせが行われるため、シュバルトとリヒャルトは生徒会区画内の一室に設けられた警備部隊本部へと向かっていた。
「生徒会区画で使っている応接室の一つを、この時期だけ本部として使っているそうなんですよ」
すっかり校内の案内人が板についてしまったリヒャルトが先頭を歩く。彼は生徒会の一員ということもあり、学園内についてもシュバルト達より詳しくなっていた。
「シュバルト、お前よく迷わないで進めるな…………」
「あはは…………まあ、慣れるしかないかと」
二人のやり取りの後、間髪入れずに三人目の声が聞こえた。
「俺、卒業するまでに学園内の見取り図を憶えられる自信がないわ」
しみじみとそう言うのは、フリードだった。
シュバルトとリヒャルトは、不思議そうに顔を見合わせる。
「なあフリード、先に部屋に戻ってていいぞ?」
「そうですよ、打ち合わせがどれぐらい掛かるか分かりませんし」
しかし、フリードはすかさずに首を横に振って言った。
「いんやダメだ! どれぐらい掛かっても構わんから、俺はお前たちが終わるのを待って一緒に部屋へ戻る」
「…………寂しいのか?」
「案外かわいいですね」
「ちげーよっ!」
フリードには、言いたくても言えない事情があった。
それは先日、リャフィアン風紀委員長に呼び出された時の話。風紀を乱すと認定されてしまったシュバルトとリヒャインを、風紀委員が監視下に置こうとしていることだ。
そしてその監視役を命じられたフリードは、引き受けるか否かの回答に猶予をもらっている最中。タイムリミットは本日の午後四時だ。
先日のリルタイム・チルドレンに関する一連の事件だけが監視対象と判断する要因のようだが、もう事件は解決したはずじゃないか。しかも事件の収束に一役買ったと褒められるならまだしも、シュバルトとリヒャルトの素行が不良だと、何故そうなるのかが分からない。
こうなったら、自分の親友である二人が何も悪いことや問題行動を起こす心配のない、善良な生徒であることを叩きつけてやるしかない。
もちろんフリードにとってこの二人は、よく知らない仲ではない。だが今、二人の素晴らしさを再認識することによって、リャフィアンに負けない精神を得られるような気がした。
「まあその、なんだ。お前達二人こそ、俺一人を除いて警備部隊に抜擢されたことで、俺に気を遣うんじゃないかと思ってよ。俺は全然そんなの気にしてないんだけどな」
リヒャルトは、明らかに何かを隠しているようなフリードの雰囲気を感じ取った。突拍子もない理由説明も含めて、いろいろと芝居の出来ない男だと直感する。
シュバルトには持ち前の鈍さがあるが、リヒャルトはフリードの言動の様子が変なことに気が付いていた。
「フリード、何か隠しているんじゃ」
「え? お、俺が隠し事? 疑り深いぞー、リヒャルト」
硬い笑いを振りまきながら、フリードは「さあ行くぞ!」と言って、先頭へと進み出た。
その時、フリードの進行方向に突然、黒い物体が飛び込んできた。
「うわあぁぁぁっ!」
「なんだ!?」
その黒い物体は、フリードの鼻先を掠めながら廊下の上空を何度も旋回した。
「何が飛んできたんだ?」
「コウモリ、ですかね」
「なんでこんなところにいるんだよ?」
リヒャルトの言うとおり、三人を驚かせて突如飛来したその黒い物体の正体は、一匹のコウモリだった。
ばたばたと羽ばたく音を響かせながら旋回を繰り返すコウモリ。シュバルト達は、しばらくその姿に注目していた。
「ゴメンナサイ。驚かせチマッタかしら?」
いきなりの声に三人は再び驚いた。コウモリに気を取られて、三人は一人の少女がすぐ近くまで接近していることに気が付かなかったのだ。
「アラアラ、またまた驚かせチマッタかしら」
少女は片手で口元を隠して笑った。しかし、大きな三日月のような口は、彼女の小さな手のひらでは隠しきれていない。
百五十センチにも満たない低い身長と、それに見合うぐらいの小顔。彼女が身に纏う黒のワンピースは、まるで喪服のようだ。
ワンピースの黒とは対称的に、服から伸びる四肢と小顔の肌は、病的なまでに白い。
そんな彼女の小顔には、若干不釣り合いにも見える大きな目と、それを強調する奇抜なアイメイクが乗っていた。そして彼女の中で唯一、モノクロから逸脱した真っ赤な唇が、否応にも目に入ってしまう。
そして彼女の周りには、先ほど飛び出してきたコウモリを含めて四匹ほどが、彼女と戯れるかのように飛び交っていた。
シュバルト達を順番に見てから、彼女は言った。
「アノー、学園祭の警備部隊本部ってドコだかご存じ?」
彼女の問いかけに対して、即座に反応は出来なかったものの、少し遅れてシュバルトが答えた。
「あ、ああ。俺達もこれから向かうところだったんだ」
「マア! ということはテメエラ様も学園祭の警備担当ってことかしらネ?」
「そ、そういうことですね。ひょっとして…………ええっと」
リヒャルトの言葉を聞いて、黒づくめの彼女はワンピースの裾をつまんで恭しくお辞儀をした。
「失礼いたしましたワ。アタクシ、第三学年のチロチコと申します。このツラ憶えてくださいましたら嬉しいですワ」
第三学年。つまりシュバルト達の二つ上だ。
「じゃあ、行きましょうか」
足を止めていたフリードを追い越し、リヒャルトとシュバルトが廊下を進みだした。そしてフリードとチロチコが隣同士に並んで、先頭二人の後ろを歩きだす。
チロチコの周囲は常に数匹のコウモリが飛び交っていて、隣を歩くフリードの頭上を時折掠めていった。
その度に、フリードはとっさに頭を下げる。ちょっとした距離を歩くだけなのに、何だか落ち着かない。
「あ、あの、チロチコ先輩?」
「なんでしょうカ?」
「このコウモリ達、放し飼いにしてるんですか?」
「マア、飼うだなんてソンナ! これらはアタクシの体そのものであり、魂そのものですのヨ」
チロチコが右腕を真横に伸ばすと、コウモリ達は一斉にチロチコの腕を止まり木として、四匹仲良く逆さまにぶらさがった。
唇の上の赤を横に引き延ばすようにして、四匹のコウモリに三日月型の笑みを向ける。
その様子を見ていた三人の頭には、「あっぶねー」の一言が浮かんでいた。
「三人とも一年ボウズかしら?」
「は、はい。そうです」
「では学園祭はドシロウトですわね。楽しみにしているといいワァ」
「でも、僕…………あ、僕リヒャルトって言います。それと隣の彼、シュバルトは警備部隊に任命されてしまって、ちゃんと楽しめるかどうか不安なんです」
「忙しくて遊ぶ時間とかなかったらヤダなー」
シュバルトが気軽に笑っていると、チロチコはシュバルトを見やって言った。
「アタクシ今年で三度目の警備担当ですケレド、去年も一昨年もツマンネーことしかしておりませんワ」
「え、じゃあなんで警備部隊の本部を知らないんですか?」
「あんなクソ面白くもない場所、いちいち憶えてランネーってことですノ」
「昨年やその前の年は、警備部隊って何をしたんですか?」
「ソレは」
チロチコが言いかけた時、向かい側から三人ほどの生徒が歩いてきた。視線は明らかにシュバルト達を見ている。
ポカンと口を開けているシュバルト、リヒャルト、フリードの三人。
しかし、シュバルトが向かってくる三人の生徒の手元を見て「あっ」と声を出した時、リヒャルトとフリードもその声の意味を理解した。
彼らが皆揃ってつけているのは、白い指輪だ。
「おいそこの! 止まれ!」
シュバルトとリヒャルトは、昨日のギオの話を思い出した。まさか、風紀委員がいよいよ自分達を狙いだしたのか、と。
そしてフリードも動揺していた。自分が監視役を受けなかったから、さっそく手を出してきたのだろうか。しかし、返事までにはまだ時間があるはずだ、と。
一気に周囲の空気が緊迫して、全員が足を止めた。
風紀委員の一人が、指を突き出して言った。
「こんなところで何をしている?」
「何って、俺達は学園祭の警備担当で、これから打ち合わせがあるから」
「そうですよ! 警備部隊本部に向かって歩いていただけです!」
シュバルトとリヒャルトが声を上げると、風紀委員の男は更に大きな声を上げて言った。
「お前らなど知らん! 俺が言っているのはこいつのことだ! 聞いているのか! チロチコ!」
意外な標的に、シュバルトら三人が一斉にチロチコを見ると、彼女は三日月型の笑みを消した。
「アタクシが何かシタノカヨと尋ねさせていただきますワ」
「貴様なんぞこの学園内を歩いているだけで既に風紀を乱すのだ!」
風紀委員の男が更に一歩踏み出して、指先をチロチコの眼前に近づけた。
チロチコの何が悪いのか、理由が分からないシュバルト達は、どうしたらいいのかが分からず困惑した。
彼女とは先ほど出会ったばかりではあるが、少なくとも見かけただけで呼び止められるようなことをしたとは思えない。
確かに彼女は制服姿でもないし、学園内でコウモリは放し飼いだし、言葉遣いも悪い。というかおかしい。
だが、このブロッドサム学園ははっきり言って変な人間が多く、またそういう輩を一つのルールで縛りつけようともしない、わりと自由な校風だ。
チロチコがおかしいことを咎めるのには、それ相応の理由がないと納得ができないことだけは分かった。
シュバルトは一歩踏み出して言った。
「あの! チロチコ先輩が何をしたって言うんですか!? コウモリがいけないのか!? そんなこと言ったら生徒会長なんか竜連れてるじゃんか!」
三人いる風紀委員のうち、後方二人の視線がシュバルトに向いた。
その様子を見て、フリードは焦っていた。
彼はシュバルトとリヒャルトの素行の悪さが無いことを確かめて、風紀委員長にガツンと言ってやらないといけなかったのに。これではシュバルトが、風紀委員と喧嘩を始めてしまいそうだ。それではリャフィアン委員長と話をするときに、分が悪いのは明らかだ。
「シュバルト、落ち着け! お前がキレてどうするんだよ!」
「え! いや、でもさ!」
チロチコと向かい合う風紀委員とは別の男が、シュバルトの前に立ちはだかってポケットに手を突っ込んだ。
「ずいぶんと反抗的な態度じゃないか。貴様もこの女の仲間なのか?」
彼がポケットから取り出したのは、伸縮式の教鞭だった。
「何を偉そうにそんなもん振りかざしてるんだ!?」
「おいシュバルト! バカかてめえ!」
教鞭を伸ばした風紀委員は、その先端を振りかぶって声を上げた。
「気を付けぃっ!」
そして素早く振られた教鞭の先端が、シュバルトの左肩を僅かに叩いた。
速度もない、華奢な棒に叩かれただけのこと。
しかし、教鞭がシュバルトに触れた瞬間、シュバルトは一瞬で直立不動の姿勢を取り、彼自身が教鞭になったかのように真っ直ぐと姿勢を正した。
「はあっ!?」
「なんだこれ! 動かねえー!」
直立したまま倒れ込むシュバルト。しかし、彼は自分を庇うこともなく本当に一本の棒となったまま横になった。
「シュバルト何やってるんだ!?」
駆け寄るフリードとリヒャインを見下ろしながら、風紀委員が教鞭を手のひらで弄ぶ。
「これは教鞭型のMIDだよ。こんなこともできるぞ?」
彼は再び教鞭を振った。
「頭髪は黒! 耳に掛けるな! 清潔感のある髪型を!」
そう言いながら振られた教鞭の先端は、真っ直ぐに倒れたシュバルトのつま先をコツンと一度叩いた。
すると、シュバルトの髪型は一瞬にしてぺったりとした七三分けとなり、フリードとリヒャルトを驚かせた。
風紀委員は得意げに笑い、威圧的な声で言う。
「お前ら全員いい子ちゃんにしてやってもいいんだぞ? ん?」
「何がいい子ちゃんですか! シュバルトのこの恰好が健全な生徒だと言わんばかりですが、あなた達は誰一人として七三分けじゃないでしょう!」
彼の言うとおり、風紀委員の面々は皆が揃いも揃って肩まで髪を伸ばしている。
しかし、問題はそこではないと思っている男が一人いた。
フリードだ。
「リ、リヒャルト! お前まで冷静さを欠いてどうするんだ!」
シュバルトばかりか、リヒャルトまでもが風紀委員に刃向い出したことで、フリードはいよいよ自分の立場がまずくなっていることを感じた。
このままでは、風紀委員長に突き付けてやるつもりだったシュバルトとリヒャルトの善良性が薄れていく。
彼ら二人の言動が正しくないとは思わない。納得のいかないことに説明を求めただけで、学園の異分子扱いされることはむしろ怒って然るべきだ。
しかし、こいつらにそれが通じるか? いや、全く通じそうにもない。こいつらが委員長に上げる報告は、今この場で起こることを自分達の都合に合わせて解釈された内容になることは間違いない。
それではまずい。
何とかリヒャルトを止めなければいけない。
その時だった。
「うあああああいってええええぇぇぇぇっ!」
突然の雄叫び。
その声に全員が視線を向けた先には、先ほどまでチロチコに指を突き付けていた風紀委員が悶絶しながら膝を折っている姿があった。
そして、廊下には滴り落ちたばかりの血痕。
その血痕の出所は――――
「ち、チロチコ先輩?」
「き、きさまぁ…………何してやがる!」
――――風紀委員の指を噛みしめているチロチコの口元だった。
「は、はあぁ…………! はなせえぇぇぇっ!」
蹲りながらも風紀委員の男が声を上げると、チロチコはあっさりと彼の指を放した。
そして取り出したハンカチで口を拭いながら、嬉々とした表情で言う。
「差し出されたものですから、食ッチマッテいいものだと思ったんですノ」
「こ、このやろおおおぉ」
残った風紀委員の二人が、教鞭型MIDをチロチコに向けた。
しかし、チロチコは身構えることもしないまま目を大きく見開いて、更に口をあんぐりと開けた。
その瞬間、彼女の周りにいたコウモリが一斉に風紀委員へと襲い掛かる。更に彼女はワンピースの裾を少したくし上げると、その中からも無数のコウモリを出現させた。
「な、なんだあのコウモリ! どこにいたんだ!?」
「チロチコ先輩のスカートの中から次々とぉ…………」
「先ほども言イマシタデショウ? この子達は私の体であり魂ですノ」
「ま、まさかこれ、魔法?」
「でも…………MIDも無いし、声も出してなかったぞ」
フリードとリヒャルトの疑問に答えるように、チロチコは自分の胸元に隠していたロザリオを見せた。
「アタクシのMIDはこれですノ。服の中とかに隠して暗くしてやらないと、アタクシの声を受け付けないものですかラ」
「声って、だから何も喋ってなかったじゃん!」
「アラだって、アタクシの魔法発動キーは超音波ですもの。十万ヘルツなんて音、テメエラには聞こえなくてトウゼンじゃないかしラ?」
しれっと言ってのけるチロチコの横で、百匹を超えるコウモリに群がられている風紀委員は、悲痛な叫びを上げていた。
「アタクシのカワイイ後輩に対する無礼、どのようにオトシマエ着けるんだって話ですワ」
最悪だと、フリードは覚悟を決めた。
今の言葉で、シュバルトとリヒャルトと自分は完全にこのチロチコの仲間と認定されただろう。そう思ったのだ。
風紀委員の監視から彼らを救う方法は、もはや一つしか残されていなかった。
次の作者は再び中津ロイさんです!
リレーっていうか二人三脚w