第二十六話 その先にあるもの
リレー小説復活!
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二十六話担当させていただきます!
すっかりと変わり果てた大聖堂の中、三人分の足音が鳴った。
ここで先ほどまで繰り広げられていた戦いを、三人は一切見ていない。ギオの繰り出した魔法も、彼と肩を並べて出てきた女性の正体も、何も知らぬままだ。
だがこの光景は、この結末は、“生徒最強”をこんなにも雄弁に物語っている。
「モーリス、生きてるのかな?」
フリードは心配そうな声で言った。ただしその言葉は、モーリスの容態を心配しているわけではなく、あくまでも降りかかる脅威が去ったか否かを気にしてのもの。
三人の目の前には、瓦礫に背を預けたまま完全に脱力して四肢を投げ出しているモーリスの姿があった。それはまるで糸の切れた操り人形だ。
「モーリスもそうですが、僕としてはこっちの方が…………」
リヒャルトの関心もまた、モーリスとは違うところに向いていた。
文字通り抜け殻となってしまったモーリスの傍らには、妙なものが浮いていた。
それは、蒼い炎と形容出来る、拳大ほどの大きさの光。地上三十センチくらいの高度を保ち、音を発することもないまま静かに揺れている。
状況から判断するに、この光の正体は一つしか考えられない。
モーリスの傍らを離れないのは、かつての器に未練を抱いているのか、それとも立ちはだかるシュバルトら三人を睨み付けているのか、またはその両者なのか、どちらでもないのか。
この光は、世界を終焉へと向かわせていた魔法だ。
そして、終焉へと向かっていたはずの世界そのものだ。
「なんつーか…………世界ってこんなにも小さいものなのか?」
シュバルトの言葉に後の二人も全く同意見を抱き、怪訝な表情を浮かべながら小さく頷いた。
「放っておくと新たな器を、つまり憑依する相手を探し始めてしまうと言っていましたね」
この、目の前で頼りなく揺らめいている世界に対して一体どうすればいいのかが分からないまま、シュバルトはリヒャルトの顔を見た。しかし、リヒャルトも正解を知るはずがない。
そんな時、少しずれた話を持ち出したのはフリードだった。
「そもそもさ、世界って一体なんなんだよ?」
「え?」
「はぁ…………世界、ですか?」
フリードは続けた。
「そうだよ。だって、こんなちっこい火の玉が世界だって言われても、いまいちピンと来ないんだよなぁ。だって、俺たちは今、普通に存在してるじゃん」
フリードの言っていることは、分かるようで分からない。簡単なことを尋ねているようでどうにも難解であり、当然のことを言っているようであまりにもトンチンカンに聞こえてしまう。
シュバルトとリヒャルトが首を傾げる。その様子を見て、フリードは話を繰り返した。
「俺たちはここにいるのに、世界はそこにあるって変じゃん! モーリスは世界に操られていたって言うけど、その世界がこの火の玉なんだろ? じゃあ俺たちが今立っているここはなんだ?」
「あ! えっとぉ、なんとなーく言っていることが分かった気がします、僕」
「んー、難しいこと言うな。つまり、俺たちが生きているこの空間? 領域? とにかくここ自体が世界なのに、この火の玉は一体なんだってことだよな?」
「そういうことだ。仮にその火の玉を消し飛ばしたとしたら、俺たちはみんなどうなっちゃうんだ?」
フリードは腕を組んで首を傾げると、シュバルトとリヒャルトもそれに倣って首を傾げた。
そして三人の視線は、お互いの顔から再び“世界”へと向けられる。
彼らの悩んでいる部分がある程度明確にならないと、事態の改善はなかなか難しい。
この光は、放っておけば第二のモーリスを作り出しかねないのだ。
今こうして大人しいのは、モーリスという器を失ったからだと考えられる。となれば、新たな器を見つけた時点で、原初物質化暴走の再発は考えられることだ。
「どうしたもんかな?」
ため息ばかりが出てくる三人に、学園長が歩み寄ってきた。
学園長の目は、じっと世界の光を見据えたまま。彼ですらも、この光をどうしたらよいのかが分からないのだろうか。それとも何か別の思惑があるのか。
学園長は何も言わぬまま世界を見つめ続けた。
「あの、学園長。ちょっと聞きたいことが」
リヒャルトが声を掛けたことで、学園長はようやく「何かね?」と反応を示した。しかし、視線は未だに世界から外れない。
「この光が世界だとしたら、僕たちは何をすべきなのでしょうか?」
「これが消し飛んじまったら、やっぱり俺たちもみんないなくなっちまうのかな?」
少しの間だけ沈黙が流れると、学園長はようやく三人の方へと向き直った。
いや、学園長が見たのは、シュバルトだった。
「…………おそらくだが、この光が消えたところで今すぐにどうこうというわけではないのだろう」
「え? じゃあ、この光…………世界って?」
学園長は咳払いを一つしてから続けた。
「大地も空気も、それどころか今ここにある空間、今の人類では未だ手の届かない領域、そして我々自身でさえも、全ては世界が誕生してから作り出された成果物に過ぎない。しかしそれらは、世界が根幹としてあるから存在し続けるわけであって、世界が失われたら何もかもが止まってしまうのだと思う」
「…………あの、もっと簡単な言い方をすると?」
「世界の誕生は、ある一つの強大な爆発から始まったそうだ。そしてその爆発は、今もなお広がりを見せているとも言われるし、逆にこの爆発は現在収縮に向かっているとも言われている。原初物質化暴走とは、この爆発の加速であり、一説によれば二度目の爆発のきっかけになるとも言われているんだ」
「俺にはやっぱりまだ難しい…………リヒャルト?」
シュバルトとフリードから救いを求めるような眼差しが向けられて、リヒャルトは少し身じろぎながらも言葉を絞り出した。
「え、えっとぉ…………おそらく原初物質化暴走というのは、世界の早送りみたいな魔法だったんです。今の世界だっていつかは失われてしまう。それは誕生した瞬間から決まっていることで、寿命のようなもの。それを加速させるのが原初物質化暴走です」
学園長が小さく頷きながら、「続けなさい」と言葉を促した。
「あの光、“世界”というのは、要するに時間や記憶なんじゃないでしょうか? …………“世界の時間”を早送りすることが原初物質化暴走だとするならば…………そうか、逆に巻き戻すことができる魔法こそ、リルタイム・チルドレンの魔法」
いつの間にか、学園長以外の者の視線もシュバルトに向いていた。
そしてシュバルトはその視線を“世界”に向ける。
学園長やモーリスが求めた力、世界を変えるタイミングは、今この瞬間だということだ。
世界を変えるならば、今。
シュバルトに向けられる視線の中で、一際圧力を感じるものがあった。
それは学園長だ。彼は、魔法の在り方をリルタイム・チルドレンの力で修正したいと願っていた。そしてそのために、シュバルトを自分の方に引き込もうとしていたのだ。
学園長は何かを言い出すような気配もなく、ただ黙ってじっとシュバルトを見ている。機を伺っているのかもしれない。
シュバルトは考えていた。本当に学園長の言うとおり、自分の力を使って魔法の在り方を改めることが必要なのか。
シュバルトは次にモーリスを見やる。
世界に操られていたモーリスは、シュバルトをこの学園から遠ざけようとしていた。連れ去ろうとしたのだ。
それは何のために? 無論、学園長の思惑を阻止するためだ。
シュバルトを守ると言っていたモーリスだが、結局は彼もシュバルトに勝手な行動をさせないための操り人形でしかなかった。
シュバルトには、一つの思いが芽生え始めていた。
「がはっ!」
突然モーリスの胸が動いた。
シュバルト達の間に、一気に緊張感が走る。
「モーリス! やっぱ生きてたんだ!」
小刻みに震える両腕を伸ばして近くの瓦礫にしがみついたモーリスは、それを頼りにして何とか立ち上がった。しかし、すぐに膝を落として四つん這いになってしまう。
立ち上がることを諦めた彼は、次に顔をキョロキョロとさせて、シュバルト達の方を見た。
そして同時に、蒼い光を放つ世界の存在にも気が付いた。
「これ……これが…………」
「モ、モーリス? お前大丈夫なのかよ?」
シュバルトの声に応えようとしているのか、モーリスは両腕を突っ張って上半身を懸命に持ち上げた。
「シュ、シュバルト…………きみ…………まさか使ったのか、リルタイム・チルドレンの力を」
「いや、まだだ」
このやりとりを聞いていた学園長が、突然前に進み出てきた。
「シュバルト君! 頼みたいことがある!」
学園長の突然の声に、全員が視線を一点に集めた。
学園長の頼みごとは誰もが分かりきっていた。
「リルタイム・チルドレンを、使ってくれないか」
それはもちろん、魔法の在り方を正すためだ。
モーリスの意識が戻ったことで、自分の邪魔をされると焦ったが故の行動だったのだろう。学園長は更に前へ出てきて、シュバルトの両肩を掴んで揺さぶった。
「頼む! 君の求める、ロマン溢れる魔法を実現するためにも!」
しかし、この言葉に異論を唱えたのは、瀕死のモーリスだった。
「やめた方が良い。世界もそんなことは望んでいない。むしろ在り方を正すべきはこの学園のほうだ。元はと言えば彼らの自分勝手なやり直し理論を実現するために作られた学園だ。そんなもの、無くなってしまえばいい」
「黙れモーリス。私たちは確かに罪深い。しかし、だからこそそれを償うためにも、今はシュバルト君の力が必要なのだ」
「何が償いだ…………あんたが心配せずとも、我々国際魔法連盟が真実の魔法というものを確立していけば問題のないこと。あんたなんかに魔法の在り方をどうこうする権利なんてない」
モーリスがゆっくりと右手を翳し、学園長を狙った。
「余計な口はここで塞いでやるよ」
「貴様っ!」
しかし、モーリスの手から何も発せられることはなかった。
誰もが沈黙し、モーリスでさえも事態の把握に手間取っているかのようだった。
「なんだ…………魔法が、使えなくなっている」
モーリスの直面した事態に、誰もが息を呑んだ。
モーリスが何度手を伸ばしても、両腕を掲げても、その場に何かが起こることはなかった。そしてその度に、モーリスの困惑は増していった。
「まさか、何もかもを世界に持って行かれたか…………」
モーリスの目が、蒼い光を恨めしそうに睨み付けた。
その瞳から感じられるのは、彼にとって命と同格ほどに大事な力を失った絶望感。そしてその力を奪った世界に対する憤り。更には嘆き、悲しみ。
モーリスは大声で叫んでいた。その声は大聖堂の中で反響を繰り返し、その場にいた全員の全身へと降り注ぐ。
「返せ! 僕の魔法を返せっ!」
しかし、世界が言葉を発するわけもなく、モーリスの叫びも世界にだけは響かない。
突然、モーリスの目がシュバルトを捉えた。
「シュバルト! リルタイム・チルドレンの力、今なら使ってもいい! 許してやる!」
「はあっ!?」
「僕の魔法を戻せ! 僕の魔法を取り返せ!」
「ちょ、ちょっと待てって!」
「早くしろ!」
暴れるモーリスを、いつの間にかフリードとリヒャルトが取り押さえていた。
背後からは学園長からの圧力。目の前からはモーリスの咆哮。
板挟みの状態で固まっているシュバルトだったが、やがて彼は世界の方へ向き直ると、その場にかがんで更に世界へと近づいた。
「シュバルト! この二人の言うことなんか気にするな!」
「そうですよ! 世界なんていくらでも変わるんです! だって散々ここまで変化してきたんだから!」
フリードとリヒャルトの言葉が、シュバルトの背中を心強く叩いた。
学園長とモーリスが相変わらず何かを喚いていたが、もはやその声もシュバルトの耳には届いておらず、彼はただ、真っ直ぐに世界と向かい合っていた。
世界は、世界自身は、何かやり直したいと思っていることはあるのだろうか。
シュバルトの脳裏には、学園に入学してからの怒涛の日々が時系列順に流れていた。それは自分の人生における、ほんの僅かな間でしかないが、たくさんの出来事に満ち溢れていた。
そしてそれを思い起こす中で、気が付いたことがある。
いや、以前から気が付いていたけれど、それを気にする間も与えられなかったのだ。
「俺は、何をしたんだっけ?」
何もしていない自分がいた。
周囲に翻弄されて、振り回されて。
もういい加減、自分で選んで決めたいと思った。
誰の都合も気にすることなく、ただ自分がしたいように。だってどんな道を選ぼうとも、それは間違いなく自分の選択なのだから。
どんな道だろうと、良くも悪くも出来るものだ。
父の言葉が思い出される。そうだ、“待ったは無し”、だ。
シュバルトはその思いを確かめるように、世界へと手を伸ばした。蒼い光がシュバルトの両手に掬われた。
「世界自身は、何かをやり直したいと思ったことがあるのか?」
その問いかけに対する答えは、シュバルトだけに聞こえた。アカシック・レコードの読み取りを可能とするシュバルトだからこそ聞ける、世界の声。
そもそも世界がモーリスを操った理由も、世界自身のためなのだ。それを考えれば、世界の声なんて誰にでも届いて然るべきものだったはずだ。
「シュバルト君! 頼む、私の願いを聞き届けてくれ! これは魔法のために必要なことだ!」
「いいやシュバルト! 彼の言うことは魔法の否定そのものだ! 我々は今の魔法と付き合っていくべきだ。そしてこれからの未来を、そして魔法をより良いものに変えられるのは僕だ! だから僕に魔法を戻せ!」
両手で掬い上げた世界を持ち上げ、シュバルトは振り返って全員を見やった。
結論は出たのだ。自分が何をすべきなのか、はっきりと決めた。
「やっぱり、俺はロマンを追い求めたいなぁって」
学園長の顔に、花が咲いたような明るさが浮かんだ。
「そ、そうかっ! シュバルト君はそう思ってくれるか!」
「シュバルト、貴様! 愚か者が!」
二人からの相反する言葉を他所に、シュバルトは続けた。
「世界が何故モーリスを操ったのか…………そんなの、世界自身は勝手に自分の時間を巻き戻されたくなかったからさ」
今度はモーリスの顔に笑みが張り付いた。
「と、当然だ! そんなこと勝手にされてたまるか! そうだろう!?」
「シュ、シュバルト君!?」
シュバルトは少しずつ後退して、四人から距離を置いた。
それは、これから起こることをしっかりと見届けてほしいから。そして邪魔をしてほしくないから。
「世界も俺も、同じ気持ちなんだ。期待するべきは、追い求めるべきは、やっぱり未来だと思う」
ギオがシュバルト達に贈った言葉。“世界は惜しむもんだ、取り返すもんじゃねえ”
その通りだ。惜しむからこそ、未来に期待を抱いて前を向くべきだ。
シュバルトの周囲で、魔力が密度を高めていった。その圧力は微かな風となって、服の裾を靡かせる。
掬い上げた世界は忙しなく揺らめき、光が強くなって眩しい。
「これは…………!」
「リルタイム・チルドレンの発動か!」
世界もシュバルトも、自分たちの未来に期待を抱き、前を向き続けることに決めたのだ。
そのためにやらなくてはいけないこと。
それは、ただ一つ。
「なあ、フリード、リヒャルト――――」
追い求めたい、手に入れたい、掴み取りたい。
そんなものがある。
「――――この魔法の後に、これからの俺たちに――――」
それを人はなんと呼ぶのか、知っているか。
過去をやり直したい学園長よ、過去から大切なものを取り戻したいモーリスよ。
あなた達には答えられるだろうか。
人が本当に欲しいもの、追いかけるべきものの名前を。
「――――そこに、未来はあるのか!」
そしてリルタイム・チルドレンは発動した。風と光が勢いを更に増し、大聖堂の中に台風を引っ張り込んだみたいに周囲を騒がせた。
リルタイム・チルドレンが巻き戻す対象は、シュバルト自身の持つ真実の魔法。彼の中にある、“リルタイム・チルドレン”という事象そのものの歯車を逆順に回していく。
そう、シュバルトの選んだ道は、リルタイム・チルドレンという時を巻き戻す力の消失。
シュバルトの生きてきた歴史の中で、真実の魔法を得るに至った経緯が次々と消えていく。両親から授かった魔法も、今の彼にとっては惜しくもない。
なぜなら、その親から授かったものこそがシュバルトにこの決断を下させたのだから。
待った無し。
もはや止められない状態だった。
リルタイム・チルドレンを使ってリルタイム・チルドレンを消すという、ある種のタイム・パラドックスが副作用を引き起こし、シュバルトの中からアカシック・レコードに関する力も奪い去っていった。
「シュバルト君! 君は一体何を巻き戻しているんだ!? なあ答えてくれ!」
「シュバルト! 僕の! 僕の魔法はどうした!?」
やがて風と光が徐々に収まりを見せ、シュバルトの両手からは世界も消えていた。
「シュバルト?」
「平気ですか?」
フリードとリヒャルトの言葉を聞き、シュバルトは至極落ち着いた様子で頷いた。
それから朗らかに微笑んだ。
学園長とモーリスは口を開いたまま固まっていた。シュバルトから感じ取れる魔力量の変化などから察して、シュバルトが巻き戻したものの正体に気が付いているのかもしれない。
そんな二人を他所に、シュバルトは明るく言い放った。
「さて! この後の俺たちには、何が待っていると思う?」
「ロマンだろー」
「未来ですねー」
フリードとリヒャルトの声が、同時に聞こえた。
世界を巻き戻してなんていられない。そんなことをしていたら、シュバルトの欲しいものはいつまで経っても手に入らないのだから。
それは、シュバルトがようやく自分のために選んだ道だった。
次の作者は再び中津ロイさんの予定です!