第十八話 Aptitude:AA
二週目の一番手、克己残心です。かなり激しい展開になったのでよろしくお願いします。
シュバルト達の部屋の中、小さなテーブルが真ん中に置かれ、そこには小さな戦場が広がっていた。シュバルトは静かに黒い兵士を突く。目の前には、目を細めて神妙な表情をしたフリードが座っていた。その横では、白い手袋を一旦外したリヒャルトが、手を膝の上に置いて座っている。
シュバルトは弁解の場にチェスを設けたのだ。直情径行なフリードに、深く考えて欲しい、広い目を持って欲しいと思った際はいつもこうしてきた。チェスをするので頭の中が冷静になり、フリードも中々怒りだしたりしないのだ。目の前の彼はため息をつき、今しがたシュバルトが進撃させた兵士を突き倒し、司祭をその地に遣る。
「なあ、話があるんなら早く言えよ。こんなふうにするってことは、相当深刻なんだろ? よくもまあ、俺に黙りやがって……」
落ち着いた声色からは、非難の色が微かに窺う。しかしそれ以上に、苦労した友人を労うような思いを感じとれてシュバルトは安心した。彼は静かに城へと手を差し伸べ、一気に前線へと踊り出させる。
「ああ。この際だから全部話すよ。うん。もう、俺が心から信頼できるのはお前しかいないからな」
疲れたようでいながらも、僅かに飄々と冗談めかした声でシュバルトは呟いた。フリードはリヒャルトを尻目に捉える。彼は肩をすくめ、申し訳なさそうな顔をした。
彼が生徒会の一員だったという事実は、一昨日この場に先駆け明かされることになった。元来この学園のナンバーワンを狙っていたフリードは面白くなかったようで、贖宥のためには罰が不可欠だ云々と、どこからか引っ張り出してきたようなセリフを言って、水をリヒャルトの頭にぶちまけた。まあ、許したのだからこの場にリヒャルトがいるわけだが。
「シュバルトさん、僕も手伝いますか。……あの場所から僕が手にいれてきた情報も付け加えさせてください」
リヒャルトは微かで控えめな声色だった。シュバルトは丁寧に彼の目を見つめ、静かに頷く。
「頼む。俺自身も知らない情報は多い」
「わかりました」
フリードの騎士が、戦場へと華麗に舞い躍るのを見つめつつ、シュバルトは手元に自らの兵士を収めて転がす。丸がちなその駒は、手の内で簡単に弄べる。そこに視線を落としながら、何から話したものか思案する。思案しながら、シュバルトは大元の話を手短に始めた。
「イティアっていただろ。あいつ、本物の魔法使いで……端的に言うとどこか頭のネジが外れたような奴だった」
本物の魔法使い、という部分に驚き目を見開いたフリードだが、後半を聞いて眉をひそめた。臆病というのは、何も悪いことばかりではない。無用の軋轢を避けようと、それだけ人の心情を窺おうとするのだ。その段階で見えてくるものも、少なくはない。
「そっか。やっぱりな」
「やっぱりって。お前……」
フリードは肩を縮めてみせた。左目の下辺りを指で掻きつつ、淡々とした調子で言葉を紡ぎだす。
「初めて会ったときは、まあ、こんな奴なのかと思ってたけど、段々おかしいな、って思うようになってさ。いくら頑張っても、あいつからは『楽しい』以外の感情が見えなかった。奇妙にもほどがあったよ……だから俺は何だか苦手だったんだよなあ
シュバルトへの感情を自分自身でなだめすかしているからか、今日のフリードはとにかく神妙だった。そんな彼に、シュバルトは内心驚いた。今の今まで、フリードがここまで洞察力に優れていると思ったことはなかった。兵士を前線に送りながら、シュバルトはただただ褒め上げる。
「すごいな。お前……ああ、だからお前は俺が大変な目に遭ってるって、気づけたのか」
「お前は隠すのが下手なだけ。気付けないほうがおかしいや」
「そんな……」
困って肩を縮めたシュバルトを見て、フリードはにやっと笑ってみせた。少し場が緩み始めたのを見計らい、リヒャルトが二人の顔を交互に見る。
「ついでですから、イティアさんの現在の動静についてお話しします」
「ああ。言っちゃえ言っちゃえ」
フリードはポーンを突き出すくらい簡単な調子で言った。リヒャルトは頷き、手帳をめくりながら話し始める。
「まず、ジンという欠席番号十番の生徒に怪我を負わせられた後に、これまた欠席番号十一番のリリィによって早急な治療が行われたらしいです」
初めて聞いた情報に、シュバルトは眉を持ち上げた。一方、フリードは首を傾げている。シュバルトは欠席番号についてとつとつと話しながら、リリィの神秘的な姿をおぼろげに思い出す。
ジンはともかく、リリィは欠席番号になるような所業をするとは思えなかった。そんな疑問をよそに、リヒャルトは話を続ける。
「実は……その後、サヲングォンと交戦中に五十余の人死に出したことに関して尋問を行おうと、軟禁同然にして集中治療室に入れていたところを、なにがしかの手引きによって逃走したらしいんです」
「何だって!」
ポーンはクイーンに打ち倒される。フリードはただ戸惑っていたが、シュバルトは合点が行った。モーリスの手にかかれば、泡で包んで警備しようが人をやって警備しようが変わらない。戦地の真ん中に立つ黒の女王を見つめ、シュバルトは何も言わなかった。イティアの成した所業に微かな怯えを抱き、フリードは上ずった声を上げる。
「……俺、何にも知らなかったな……」
フリードは両頬に手を当て、盤面をじっと見つめた。自分の知らないところで、平和だと思っていたところで、そんな事が起きているとは全く知らなかった。戦いに巻き込まれて人が死んでいく光景など、漫画以外には見たことが無かった。それが、まさか今自分が生きている空間で行われていたというのか。フリードは信じられず――そのためあることに思い至った。
「待てよ。五十人以上も人が死ぬような戦いだったんだろ? いくらなんでも気づかないほうがおかしいぞ。それは一体どうしたんだよ? 少なくとも、俺が街に行ったときは何にもなってなかったぞ」
「それは多分……風紀委員会などの手によってすぐさま土地、建物などをあったように修復させ、一応の体裁は整えたのでしょう。異変に気づいた住人にも、学長によって箝口令が敷かれたはずです。そのため、その地域の人々とまだ縁のないフリードさんは気がつかなかったのかもしれません」
フリードは頭を抱え、そのままうつむいた。学長のスピーチも、今では非常に圧のあるものとして甦る。今の今まで、夢のある学校だと信じて疑わなかったが、よもや秘密主義の情報統制まで行われているとは。フリードは心に湧き上がった疑問をてらいもなく吐き出す。
「もうわけわかんねえ。何を信じたらいい? ……本当にシュバルトの気持ちがわかった気がするよ。こんなことがあっちゃ、俺もお前には喋らねえよな……」
部屋の空気が質量として感じられそうだった。リヒャルトも肩を落としてうつむき、シュバルトはただただチェス盤を睨みつけている。三人の間に何も話せない時間が続いた。その時間が、さらに空気を重いものにしていく。だが、これではいけない、今は何をする場だと言い聞かせ、シュバルトは頭を振り振り、姿勢を正した。
「さて、じゃあ次は……」
フリードは僅かに顔を持ち上げ、掠れた声で訴えた。
「なあ。もう要点だけ話してくれ。……こんな話がいつまでも続くんじゃ、俺みたいな奴は辛くて聞いてられねえよ……」
シュバルトはあごが胸につくほど深く頷いて、重々しく口を開いた。これを聞いたら、フリードは、この世でもっとも親しいと、心から思える友人は、一体どんなことを言うだろう。半ば恐ろしくなりながら、シュバルトは話し始める。
「俺は……『リルタイムチルドレン』って存在らしい」
「何だよそれ?」
事態の大きさにすっかり呆れてしまったようで、何を言っても驚きそうにない。フリードは無意識に戦場へと手を伸ばし、城を陣の真ん中に引きずって行く。それを目で追いながら、シュバルトは深刻な顔で続ける。
「まだよく分からない。だけど、時を巻き戻すことが出来るらしいんだ。時を巻き戻して、都合の悪い出来事を無に帰したり、果てには世界をやり直すだとか、大層なことも出来るんだとか、いろんな奴から教えられた。キラ、モーリスって言う馬鹿強い魔法使い、果てには学園長直々に。俺自身、頭がこんがらがりそうさ」
もう何を言われても感慨が湧かない。シュバルトがいきなり立ち上がり、『実はアンドロイドなんだ』と叫ばれても同じくらいに驚かなかっただろう。そんなフリードの脳裏には、今まで彼が見聞きし学んだことが過ぎる。世界史が好きだったフリードは、個人的に歴史の本を読みふけっていた。そこで目についてきたのは、いつでも一つの結論だった。
「世界をやり直す。世の中を作り替える、か? 世の中をつくり変えるって事、人々には正義の御旗に見えるけど、実際にはなんてことない。結局は一人の考えにみんな踊らされているだけっていう歴史が続いてきたんだよな」
微かにだが、フリードの目に光が戻ってきたような気がした。シュバルトは、すがる思いで尋ねる。
「じゃあフリードは、世界の選択をやり直すってことに、反対なんだな?」
「ああ。そういう考えはいけ好かない……って、そうか。お前……」
フリードには話の根幹が見えた。シュバルトの無言の頷きが、フリードの仮説を確信に変える。何の余計な考えもなく、フリードは、ただただ親友の事がかわいそうになった。
「誰だ? 誰にそんな事を言われたんだ? ……俺、そいつを今すぐぶっ飛ばしてやりたい!」
フリードはいきり立って立ち上がろうとしたが、シュバルトは静かに制した。
「ダメだ。何のためにこうしてチェスを挟んだと思ってるのさ。フリードだってわかってるだろ?」
「それは……そうだけど……」
「じゃあ言おう。その話を持ちかけてきたのは、他ならぬ学園長さ。一昨日、リヒャルトにこっそり生徒会室に連れてこられて、そこで生徒会長と学園長に会って、直接その話を持ちかけられたんだ」
「学園長が! ……許せない! シュバルトを何だと思ってるんだ!」
怒りに任せ、チェス盤が置かれたテーブルを蹴り上げる。そのせいで、戦場の兵士達は吹き飛ばされてしまった。リヒャルトは慌てて駒を拾い集め始める。イライラと息を荒げ、貧乏揺すりを始めたフリードを見たシュバルトの中で、今まで自分を縛っていた紐が切れた。しかめっ面のフリードを見ていたのに、シュバルトは思わず微笑んでしまった。
「ありがとう」
「何だって?」
不機嫌な感情に訴えフリードは声を荒らげた。勢いに押されて肩をすくめたシュバルトだったが、その心は久しぶりに満たされていた。自分は一人ではなかった。自分から独りになろうとしていただけだったのだ。ようやくその事を実感し、シュバルトは静かに笑い声まで上げ始めた。
「本当にありがとう。フリード、俺はフリードがそう言ってくれるだけで千人味方が出来た気分だよ」
フリードは目を一瞬閉じた。いつもはからかいからかわれるような関係なのに、出し抜けにこんなことを言われては浮いた気分になってしまう。
「よせやい。照れんだろ」
「本当のことさ。照れる必要なんか無いのに」
チェスの駒を拾い集め、戦場の上にばらまきながらリヒャルトもささやかな笑みを浮かべる。
「羨ましいですね。……そんな友達が、僕も欲しいです」
戸惑った顔をして、二人はリヒャルトに迫った。二人の動きを抑えるように手を持ち上げ、リヒャルトは仰け反る。穴を開けられそうな視線に緊張して舌が震える。
「ど、どうしたんですか?」
リヒャルトが目を瞬かせている姿を見つめ、二人はいきなりにっと笑った。フリードがリヒャルトの胸を突く。
「リヒャルト、俺達はそうじゃないのか?」
「え?」
シュバルトは少し身を引き、眉をそっと持ち上げた。
「リヒャルト、俺のことを助けてくれないか? ……正直、俺だけじゃ答えなんか出せないよ。ん? 違うかな。答えはちょっと出かけてるんだけど、一人じゃ固められない」
半ば騙すような形になってしまった自分を、こうも簡単に許してくれる二人。それが当たり前であるかのように、彼らは屈託もなく笑っている。やはり、自分の居場所はここなのかもしれない。そうだ。そもそもこれが当たり前なのに違いない。人に絶望したり、疑ったり、上に立とうとするのが、人の本来ではない。彼らのように、人の可能性を信じ、信頼し、共に立とうとするのが本来の姿なのだ。確信して、リヒャルトはそっと二人に向かって手を差し伸べた。
「もちろんです。折角の立場ですから、僕は全力で利用します」
「おう! お前にしか出来ない仕事なんかいっぱいあるだろ? ちゃんとやってくれよ?」
フリードが笑いながら、リヒャルトの手を返すよう促し、その手の甲の上に静かに自分の手を重ねた。シュバルトも頷き、その上に右手を重ねる。
「どんなことがあっても、俺達は互いを助けあう。それでいいかい?」
「ええ」「もちろん」
シュバルトは無言で頭を垂れる。手を離した二人は、そっと肩を叩いてやった。
一分もしたろうか。シュバルトは静かに頭を持ち上げた。入学当初の光を戻したシュバルトの瞳を覗き込みながら、フリードは普段どおりの調子で尋ねる。
「シュバルト、さっき答えが出かかってるって言ったろ? どんな答えを出すつもりだ?」
ああ、と頷き、シュバルトは手に黒い騎士を取り上げる。勇ましい馬の顔を見つめながら、シュバルトは昔を思い出していた。脳裏に、飄々としているはずの父が、大人気なく顔をしかめている光景が目に浮かぶ。
『ねえ! やり直しさせて!』
『ぜぇったいダメだ!』
『何でぇ!』
父は眉根にしわを寄せている。腕組みをして、首を頑として縦に振らない。ルールに関して異様に厳しい父は、幼いシュバルトにさえ『待った』を許してくれなかった。あまりの凡手ということに気がつかされ、地団駄踏んでわがまま言っても絶対に許してくれず、仕舞いには説教を始める始末だった。
チェスをする度、シュバルトの脳裏にはその説教文句が頭に浮かんでくる。正方形の盤上では全く納得の行かない言葉だったが、世界規模で捉えた瞬間、それはシュバルトにとって、ただ一つの、信じるに足る答えとなりつつあったのだ。
「昔父さんが言ってたんだ。『絶対に待ったは許さない』ってね。わけわからなかったんだけどさ……」
「今は?」
合間の良いリヒャルトの合いの手を聞きながら、強く騎士の駒を戦場の真ん中に据えた。
「わかるよ今なら。きっと父さんも『リルタイム』だったに違いない。だから、あそこまで『やり直し』に神経質になってたのかもしれないな……なあ、学園長は何歳だ?」
「さあ。ですが……確か四十になったばかりぐらいだったと思います」
「やっぱり」
答えを出すには足りなかったピースが次々に溢れてくる。おぼろげにしか浮かばなかった全てへの答えが、シュバルトの中で勢い良く組み上がっていく。以前、シュバルトは父を微かに恨んだ。何も知らなかったとはいえ、こんな、ロマンとはかけ離れたとんでもないところに放りこまれたのだから。しかし、父が実は全てを知っていたとしたら? 現在四十を迎えた父が、学園長と同期ないし同じ頃に在籍していたなら? 学園長が、昔から今まで、一貫して同じ思いを抱き続けていたら? 孤立した点だと思っていた『今』が、過去からの矢印で貫かれる。
「俺の父さんも、学園長に世界のやり直しを持ちかけられていたに違いない。けど、俺の父さんはそれを蹴ったんだ。理由だって、きっと俺に言ってきたものとおんなじだ。……利用されたと思ったら少し悔しいけど、どこかで学園長が学園長になったのを耳にした父さんは、俺を送り込もうと思っていたのかもしれない。だから、あの手この手で俺を釣って学園に送り込んで、やり直しを求めた学園長の暴走を抑制しようとしたのかもしれない……」
二人が息を呑んで見つめている中で、鼓動が早まり、何かが自分を焚きたてているのを感じたシュバルトは、ビショップの駒をつまみ上げながら急に立ち上がる。
「きっとそうなんだ。そうに違いない。だから、俺は父さんの意志を継ぐ! 二人とも、今から学園長のところに行くから、付いてきてくれ!」
シュバルトがドアに手をかけながら、二人の顔を交互に見る。見つめ合ったフリード達は勢い良く立ち上がって頷いた。
「お前の人生だぜ。お前が主人公だ。脇役の俺達は、黙って付いていくのが相場。だろ?」
リヒャルトの方を見ると、彼も眼鏡を直しながら頷いてみせた。
「ええ。先ほども言ったはずです。僕たちは君をサポートすると」
「ありがとう」
ドアを勢い良く開け放ち、三人は部屋を飛び出した。
まだ続きます……