第十二話 リルタイム・チルドレン
社 九生です。よろしくお願いしマサチューセッツ。
それは男の低い声だった。
『――失敗作だ』
あとのことはよく覚えていない。
砂一粒ほどの月明りも届かない夜の森を、どのように歩き、そしてどのように彼女と出逢ったのか。
アヤナ。彼女の名前を知った日からのことは、よく覚えている。胸が温かくなるような思い出の連続だ。
しかし、不意に――特にこんな、満月が怪しく空に浮かぶ夜には、例の男の台詞がまるで解けない呪いのようにこだまする。
それをどうにか振り払おうと首を振り、何度か深呼吸を繰り返しているうちに、ふと足音が聞こえた。
「来たな、シュバルト」
彼は心許なさそうな顔で常夜灯の下に立っている。
キラはデジタル式の腕時計を見やる。九時二分。
まぁ、約束を守れない男ではないようだ。
そしてキラが歩み寄って行こうとすると、シュバルトはさっと身を引いた。
キラは思わず苦笑いをこぼす。
「別にお前を取って食おうというわけじゃない。言っただろう? 話がある、と」
「お前、自分がしたことを覚えていないのか? いきなり屋台のおっさんを襲ったり、街中で魔法ぶっ放したり……。そんな危険人物の言うことを信用できるわけねーだろ」
「だが、お前はここに来た。二分遅れて」
キラは相手をからかうように両手を挙げた。
「知りたいんだろ? 〝真実の魔法〟を」
それからしばらくの沈黙が流れた。
「い、いや、確かに、興味はある。だ、だけど」
シュバルトはにわかに焦り始める。「なんでいきなり上着を脱ぎ始めるんだよ!?」
「落ちつけ。俺にそんな趣味はない」
彼は制服のブレザーを脱ぎ、ついでYシャツのボタンを外した。
そしてインナーの襟を引っ張ると――キラの胸の中央に刻まれた手術痕のような十字傷が常夜灯に晒された。
「それは昨日の戦いで受けた傷か……?」
「違う。傷はすっかり治ったさ。これから種明かしをしてやる」
一息置いて、キラは言った。
「俺の身体には〝MID〟が埋め込まれている」
シュバルトは息を呑んだ。「どういうことだ?」
「お前が〝真実の魔法〟と思い、そして心底驚いたことのカラクリがこれだ。
俺は実際にはMIDを介して魔法を発動したが、傍目からはそうは見えなかった。何せ肝心のMIDはこの傷の下に埋もれているんだからな」
「おい、それじゃあ、真実の魔法っていうのは……」
「落胆したか? 安心しろ。この世には世界のあり方そのものをねじ曲げてしまう魔法が存在する。それに比べればMIDの有り無しなどは語るに値しない」
言いながら、彼は再びYシャツのボタンをかけ始めた。
「ところで、お前は人生をリセットしたいと思ったことはあるか?」
「なんだよ、いきなり……」
「ないだろうな。お前のような平凡な人間には。俺にはある。初めから人生をやり直したいと思っている」
キラは密かにきつく手を握りしめる。彼の脳裏に過去の映像が断片的に浮かび、キラはそれら一つ一つをその拳でぶち壊してやりたかった。
研究施設。日々魔法の訓練に明け暮れる白髪の少年。
その少年は母親の身体から生まれ出てきた時、ほんのわずかの産声もあげなかった。生まれながらにして死の危険にあった。
そこで彼の身体にはとある装置が埋め込まれることになる。それは彼の尽きかけた生命を維持する装置であり、また魔法を可能にする〝MID〟でもあった。
物心ついた頃、彼は四方を白い壁に覆われた空間にぽつりと佇んでいた。
そこで彼は白衣を着た大人たちに様々な課題を与えられ、演算処理のための数字を唱え続ける日々を送った。
一体何のために。
そして大人たちの目的と、母親が自分を産んだのと引き換えに亡くなったのを知ったのは、全て『失敗作だ』と施設から捨てられたあとのことだった。
「〝リルタイム・チルドレン〟……それが大人たちが求めた子どもの呼び名。そして、俺がなることの出来なかった存在の名だ」
「お前はさっきから何を言ってる……? どうして俺をここへ呼んだ……?」
「自分の素質に気付いていないのか。皮肉だな、シュバルト。
その才能を最も必要とする人間には与えられなくて、そうでない人間に与えられる。
シュバルト。俺にお前の才能を寄こせ。お前は、時間を操る力を――」
「お喋りがすぎるね、キラ」
冷やかな声が上空から聞こえ、その人影は体育館の屋根から二人の下へとひらりと舞い降りてきた。
「サヲングォン……」
キラとシュバルトは身構える。
「キラ、君のやっていることは学園に対する裏切り、背反行為だ。
いや、むしろ初めからこうするのが狙いだったのかな……? 学園側につき、君は十分な情報を得た。
まぁ、一つ苦言を呈するとすれば、キラ、行動に出るのが早すぎたね」
「お前はいつからこの学園の風紀委員になった? 生徒を監視するのはリャフィアンの役目だろう?」
「別に? 僕はただ、夜の散歩が好きなだけさ」
言うや、稲妻のような眩い光がサヲングォンの手からほとばしる。
「山陰千奥義……〝閃〟」
目が眩むなか、キラが捉えたのは細長い金属の実体剣……〝刀〟を振りかざすサヲングォンの姿だった。
キラはとっさに光の防壁を作りだす。が、それは真一文字に切り裂かれ、キラは後方へと大きく吹き飛ばされた。
一度、二度、地面を転がり、素早く体勢を整えると、キラは反撃に出た。
「オープンロック!」
彼が手を振り上げるとその頭上に円形の魔法陣がいくつも連続して展開され――炎・雷・氷・地、四属性の魔法が次々と撃ち出された。
「へぇー。異なる属性の魔法を一度に展開……マルチタクスか」
あたかもティータイムを楽しむような悠然とした口調で独りごちながら、彼は火柱を、雷撃を軽々かわし、次に襲いかかる氷、岩のつぶてをどれも刀で華麗にしのいで見せた。
「昨日みたいに派手にやると、また怒られちゃうんだよね……。だから、今度はもっとスマートに」
一瞬、地を蹴ったと思われた彼の姿が空気に消えた――。「殺す」
そしてしゃがんだまま微動だに出来ないキラの首を、サヲングォンの凶刃が捉えた……。
* * * *
床に置いたMIDから浮かび上がる立体映像。
それは暗い室内に煌々と光を広げ、二人の人間の顔を照らしていた。
「理事長も趣味の悪いことするよね。覗き見なんてさ」
わずかな沈黙ののち、厳かな声が返ってきた。
それは鉛のような重たさで地面に沈んでいくような、そんな金属的な冷たさのある声だった。
「白々しいことを言うな、ギオ=ガルシア」
名を呼ばれ、ギオは不敵に微笑む。
確かに白々しい。このマホガニー製の見るからに高級そうな机に、その巨体を窮屈そうに収めているこの男は、学園で起きていることを瞬時に把握する能力を持っている。
それを『知らない』と言い張るには、ギオはこの男と長く付き合いすぎてしまっていた。
「それはそうと、彼があんたの探している〝リルタイム・チルドレン〟かい?」
「確証はない。だが、期待は出来る」
「分からないなぁ。歴史をやり直すことに、一体どれだけの意味があるんだい?」
「物事を個人の範囲だけで考えすぎた、ギオ=ガルシア。
我々人類はあのときの選択を誤ったのだ。未来の選択を。だから、いまいちど、我々は」
「『選択をやり直す必要がある』……だろ? 理事長」
ギオが相手の言葉を先んじて唱えると、理事長は静かに口を閉じた。
映像のなかではキラとサヲングォンが戦闘を始め、それも終わりにさしかかろうとしている。
闇夜に冴え渡る刀の閃き。飛び散る鮮血。悲鳴。
それを目の前にしてなお、ギオは「あーあ」と呟くだけだった。
そして映像は慄然とした表情で立ち尽くすシュバルトのズームアップになる。
「彼、これをやり直せるかな?」
「やり直してもらいたいものだ。私はこの目で見てみたい。時計の針が、巻き戻る瞬間を」
* * * *
シュバルトは混乱していた。
映画のワンシーン、それも血塗られた残酷なワンシーンに自分がいるかのような感覚。
いや、これは現実だ。そうであって欲しくはないが、たったいま、目の前で、人の首が飛んだ。
シュバルトは慌てて目をそらす。置き去りにされたサッカーボールのように地面に転がっている首。
それはまだ「自分が生きている」とでも思っているかのような、そんな生の余韻を瞳に宿し、とても直視できる物ではなかった。
「きみとキラがどんな関係なのかは知らない。友達なのか、それとも違うのか。
だけど、よろこんでほしい。僕はきみを殺さないよう言われている。生きられるんだ、きみは」
「生きられる……?」シュバルトは震える声でそう繰り返した。生きられる。
生と死の境界線にあって最も与えて欲しい言葉。それがこの状況を作り上げた張本人から与えられたのだ。
シュバルトは汗なのか涙なのか、一体何で濡れているのか分からない視界を拭い、あとは一心不乱にその場から逃げ去ればいいだけだった。
しかし、その足はぴたりと止まる。心の奥底で、誰かが胸倉をつかんでくるかのように訴えてくる。〝逃げては駄目だ〟と。
「どうしたの?」
「俺は……逃げない……」
シュバルトは威勢よく振り返った。
「お前を倒す、いま、ここで!」
天を突き刺すような怒号。
サヲングォンはそれを一笑に付せ、言った。
「きみ、自分がどれだけ無力か分かってる?
確かに噂通りの力を発揮されたら、この僕でも敵わないけど……使えるわけじゃないんだろ? その力」
「黙れ。やるといったら、やるんだよ」
サヲングォンは不気味な笑みをたたえながら、おもむろに刀を水平に構えた。
「その選択、後悔しないでね」
瞬間、シュバルトの脳裏に未来予測めいた映像が流れ込む。
あと何秒、いや、もっと短いかもしれない。
俺は死ぬのか。あいつと同じように、首を飛ばされて。
それでも構わない。何もしないで死ぬより、何かして死んだ方がマシだ。
そっちの方がロマンがある。
サヲングォンの姿が消えた。いつ動き出したのかも判別出来なかった。
シュバルトはとっさに身構える。身体じゅうの至る所に激痛が――左の頬、みぞおち、鼻っ柱。
骨が砕けていく衝撃が間断なく繰り返され、彼の意識はキャッチボールでもされているかのように虚空をさまよった。
口から血が飛び出る。彼はそれを手の甲で拭いながら、声を振り絞った。
「待てよ……俺はまだ、生きてるぞ」
「じゃあ大事にしないとね。これ以上続けると、僕はきみを殴り殺すことになってしまう」
「魔法を使うまでもないってことか……?」
意識がぐらつき、彼は地面に片膝をついた。
そのまま気が遠くなっていく。彼は寸でのところで意識を留め、薄れていく視界のなかでサヲングォンの背中を捉える。
昨日も何も出来なかった。ただ怯えているだけ。さっきも同じだった。ただ怯えているだけ。
気がつけば走っていた。全身全霊の力で。サヲングォンが振り返る。刀をかざした。
俺はもう、死ぬんだろう――。
暗闇に光が眩く弾けて、通り過ぎて行った風が、声が、飛び散った血しぶきが、全てが元の場所へと戻っていく。
気がつけばシュバルトはサヲングォンを目の前にしていた。相手はどこか面食らったような顔で立ち尽くしている。無防備。かつてない無防備。
シュバルトは左足に全体重を乗せ、サヲングォンの顔面めがけて勢いよく拳を射った。
「うぉらあっ!」
確かな手応えが右手から脳天まで一気に駆け抜け、サヲングォンはきりもみしながら吹っ飛んでいった。
はぁ、はぁ、シュバルトは大きく息を切らせながら、疑問に満ちた表情で自分の両掌を見つめた。
「何が起きたんだ……?」
すると後ろから聞き覚えのある声がした。キラだ。
「やったんだな、お前」
「キ、キラ!? あれ、お前、首が……繋がってる!?」
「なるほど、俺は一度死んだわけか……」
一人分かったように呟くや、キラはシュバルトを後ろから抱え上げ、高らかと飛翔した。
「おい、一体何が起きてるんだよ!」
「時間が巻き戻ったんだ」
「そんなの誰がやったんだ?」
キラは呆れ気味に、シュバルトの目を覗き込むようにして言った。
「お前だろ? シュバルト」
「はぁ!?」
そうしてじたばたと宙で暴れるシュバルトをお姫様だっこにしたまま、二つの人影は宵闇へと紛れていった……。
次はTR様です。