第十話 打ち砕く者
暇零行きまーす。
もう少しきちんと書きたかったような気はしても、まだまだ力が足りない……。
「……っあ、くぅ……」
声にならない声が、口から漏れる。自身の無力を未だかつて無い程に感じながら、シュバルトは立ち上がった。
後ろに目をやれば、未だに無数の光条や火球が大気を切り裂き、大地を穿っている。先程までそこに存在していたはずの街は既に恐ろしく綺麗な球面のクレーターへと姿を変えており、ここまで来てしまえばいっそ芸術と呼んでも差し支えないであろう物となっていた。
イティアがさながら機関砲のように光条を立て続けに放ち、サヲングォンも舞うようにしてその悉くを回避または防御していた。かと思えば、今度はサヲングォンが艦砲の如き重い一撃を送り出し、イティアは金色の防壁でそれを自らまで届かせずに消し去っていた。
両者共に、まるでこの上なく面白い玩具を見付けたような、たまらないといった笑顔を浮かべ、夜空と炎をバックに殺し合いを続けている。
「何が楽しいんだよ、こんな……」
俯き、地面に視線を落とすシュバルト。あの窪みで、人間が各々の生活をしていた事など、信じたくはなかった。
唇を噛む彼の耳に、ふと響いて来る音がある。優しい音色で奏でられるそれは、どうやら歌のようであった。
《Sauber Heilung.》
その声がする方を向くと、そこにいたのは髪や服、瞳までもが薄い翠色で統一された女性だった。地面に正座する彼女の膝元には、キラとアヤナが仰向けに寝転がっており、二人の体は淡い光に包まれていた。聞こえた声を訳せば『清らかな癒し』となる事から、恐らく回復系の魔法を用いているのだろう。
慈愛に満ちた微笑みもそうだが、容姿もどこか人間離れしたような、言うなれば女神のような印象を抱く。
「おい、新入生。俺のリリィに手ェ出そうとか考えてねーよな?」
翠色の女性に目を奪われていたシュバルトに、背後から声がぶつけられる。振り返るとそこには、いつから立っていたのか、やや粗野な顔付きの青年がいた。
朱い髪を逆立て、少しくたびれたような黒のフライトジャケットの下には赤いシャツ。ジーンズだけは限りなく黒に近い濃紺ではあったが、その見た目は、青年に『赤』という印象を付加するのには充分なものであった。
「ま、手出しなんざ出来んだろうがな。リリィも無抵抗じゃないだろう?」
リリィ、と呼ばれた薄翠色の女性は、赤い青年ににこやかに頷き、しかし直後には視線で雑談の終了を伝える。今やるべき事はそうではないと。
その視線に青年は強気な笑顔で応え、未だに戦闘を続けるイティアとサヲングォンに向かって半身に構える。シュバルトは、ここは危険だと直感的に感じ、リリィの近くまで下がる。シュバルトが後退し、リリィが防壁を展開してキラ、アヤナ、シュバルトを保護したのを確認すると、青年は深く息を吸い込み、そして。
「そこの女ぁっ!! 俺等の、街でぇっ!! 好き勝手してんじゃ……ねぇぇぇぇぇッッッ!!!!!」
吼えた。それも、対象に向かって右手の人差し指を突きつけた上で、ひびの入っていた付近の建物の窓ガラスが吹き飛ぶ程の全力で。
女、とイティアに照準を固定したのは、青年とサヲングォンとの間に何かしらの関係があるからか、それとも青年がサヲングォンを墜とせないと踏んだからか。その理由をシュバルトが考えている内に、イティアは行動に移る。
「はぁ、俺等の街? 何ソレ意味分かんなーい。私の邪魔しちゃうならさ……死んじゃうよ?」
わはは、といつもの笑い声を上げながら、青年に投げつけるのであろう火球を手の上に作り出すイティア。温度が極端に高いのか、周りの空気が爆ぜるように光を散らす。
青年はそれを無視し、ゆっくりと第一歩を踏み出し、そのまま威圧的な雰囲気を無差別に撒き散らしながら、イティアへと歩いて行く。しかしちょうど残り数mという所で、青年の体はイティアまで辿り着く事無く、爆発に飲み込まれた。イティアが、その手の火球を投げつけたのだ。
「わははは、バーカ! 死んじゃうって言ってるのに、私の言う事聞かない……から……?」
眩い閃光に思わず手をかざしてしまい、シュバルトの視界はゼロになる。しかし、イティアの言葉に、途中から驚愕の色が混じる。その声色に疑問を感じ、手を除けたシュバルトの視界の中央には。
「……この程度か?」
少し煤で汚れた程度で、ほぼ完全に無傷な青年の姿があった。
「ウソ……確実に当たったのに。何で、どうして効かないの!?」
焦りを隠せないイティア。それもそうだろう、今の一撃は彼女の本気、常人のみならず、MID適性がAを超えるような猛者ですら戦闘不能に陥るような、必殺を期したモノだった。それを呆気なく防がれ、あまつさえ余裕綽々といった調子でこの程度呼ばわりされたのだ。
――勝てない。
その考えがイティアの脳裏をかすめた時、攻守のバランスは完全に青年に奪われた。
「ぜぁっ!!」
掛け声と共に、青年はイティアに向かって跳躍する。跳躍と言っても、水平方向に爆発的な加速を行っただけであり、しかしそれを跳躍と呼ぶ以外にはシュバルトの語彙の中には適切な単語は見付からない。やはり魔法を使っているのだろうか、その速度は生身の人間が出せるそれを軽く凌駕している。
来るな、と言いたかったのか、イティアの口が僅かに動く。驚愕や焦りは青年の突撃によって恐怖に変わり、迎撃さえままならずにただ防壁を展開するに止まる。
「ひとぉつ!」
青年は構わずに拳を振り上げ、防壁の上から全力でイティアを殴り飛ばす。直接的なダメージは辛うじて回避したものの、既に防壁には第二撃を防げるだけの力は無く、また、イティア自身も青年が強引に腕を振り抜いたが為に、かなりの距離を吹き飛ばされていた。そこから更に、青年は容赦の無い追撃をかける。
「ふたぁっつ!!」
勢いを殺し切れずに地面を転がるイティアを、すくい上げるように青年の腕が襲う。宙に投げ上げられ、イティアからはもう成す術は無くなった。しかし青年はそれでも飽き足りないのか、止めとなるであろう一撃を叩き込む為に空へと跳ぶ。
「みぃっ――つっ!?」
イティアの腹部を穿たんとした鉄拳は、あらぬ方向へと反れる。一瞬だけ驚きの表情を浮かべるも、青年はそれが誰の仕業かを理解すると、いかにも渋々といった感じでイティアの体を抱えて着陸する。
「山陰千奥義・歪……。いい加減その程度にしておかないと、ソレ、死んじゃうよ?」
サヲングォン。彼の言葉は、『死ぬと逮捕出来ない。だから止めておいた方がいい』というよりは、『死ぬと自分の満足出来る相手がいなくなる。だから止めろ』といった、やや利己的とも言える響きがあった。
「ちっ……わーったよ。留年しまくりの熊とは言え、一応お前は先輩だしな」
舌打ちと共に毒を吐き、年上を敬う気持ちなどさらさら感じさせないような物言い。そんな青年の態度にも、サヲングォンはたしなめようとしない。無言を返すサヲングォンとのコンタクトを切り上げ、青年はリリィ達の方へ歩み寄る。
「破壊活動防止法違反に殺人、障害、器物破損、名誉毀損、その他諸々でお縄だ。簀巻きにした上で口が聞ける程度に回復させとけ」
そう吐き捨てるように言いながら、イティアの体をリリィの脇に転がす。苦しそうな呻きを上げるイティアにも、リリィはキラやアヤナと同じように回復魔法をかける。
「全く、介入するなら介入すると事前に連絡くらいしてもいいだろう。いくら何でも、今回のこれは無茶苦茶過ぎる。現にこうして僕の獲物は墜ちてしまったわけだし、一体どうしてくれるのかな?」
柔らかい口調で糾弾するサヲングォンに、青年は答えない。ようやく起き上がれるようになったキラとアヤナの方に視線を向け、ただ黙する。
「お前は……お前達は、一体何者だ? アレを沈められる辺り、一般生徒だと言う妄言は聞かんぞ」
アレ、の所でイティアを見やり、青年に質問をぶつけるキラ。その問いに一番先に反応したのは、サヲングォンだった。
「何だ、助ける前に自己紹介とかしなかったのかい? そういう所は相変わらずだねぇ、ジン」
サヲングォン曰わく、青年の名はジンというものらしい。ジンはよほど名前を知られたくなかったのか、きつくサヲングォンを睨み付ける。そして、一言も言葉を発さずに、その場を後にするのだった。
「リリィも行きなよ。ああなったら、ジンはどこへ行くか分からないのだから」
サヲングォンに促され、リリィも立ち上がってジンの後を追う。残されたのが五人となった所で、サヲングォンが再び口を開く。
「今日の事は、覚えておかない方がいいかも知れない。特に彼等の事はね。あまりはしゃいだり深入りしたりすると、消滅してしまうからね」
あっさりと恐ろしい事を言ってのけ、サヲングォンも出て来た時と同じように、闇に溶け込むように去ってしまった。
緊張が一気に解け、ようやく思考が現実に追い付く。今日一日であまりに多くの事が起こり過ぎた為か、シュバルトのみならず、他の三人もかなり疲弊しきっていた。
「助かった……のか……」
その言葉を最後に、シュバルトの意識は一旦途絶える事となる。
次はMathematics様。
少しでも書き易いように努力したつもりですが、どうでしょうか?