世界は綺麗じゃない
世界は綺麗じゃない。
小鳥のさえずりも、雨の落ちる音も、ガスコンロが点く音も。
日常に落ちればただの雑音だ。
有り難がることができるやつはいつだって、外から見てるだけのやつらだ。
どれもこれも、ただ煩わしいだけのものになっていく。
いつまでも慣れないなんてできやしない。
上手く生きるために、世界への純粋な思いは、少しずつ減っていくようにできている。
最初っから、決まってるんだ。
綺麗じゃなくなるのは、決まっている。
汚いことがわかっているから。
期待ということをしないために、慣れていくんだ。
「また、外を見てるんだね」
「それぐらいしか、できないから」
「そう」
「私、あとどれぐらいだっけ」
「半年ぐらい」
「…長い」
「いや、短いよ。君はまだ、成人もしていない」
「私、嫌いなの。無くなりそうだから大事にするのが。そのときになって大事にするぐらいなら、ずっと大事にすればいい」
「無くなりそうにならないと、気付けないものなんだと思うよ」
「…私は、そうは思わない。無くなりそうなものは、価値があるように見えるだけ。もう会えないかもしれないと思って、最後に連絡先を交換したって、連絡を飛ばすことは結局ないでしょ?」
「…そうかもね」
「そう。だから私は、勘違いはしたくない」
「世界は、綺麗じゃないから」
「そっか。…鏡を見たことは、ある?」
「ある。もう、随分前だけど」
「俺はね、毎日見ているよ」
「そう」
「でも、たまに、怖くなる」
「どうして?」
「わからない」
「…変なの」
「変。確かにそうだね」
毎日、先生はやってくる。
どんな天気でも、休みの日でも。
「それじゃ、そろそろ帰るよ」
「そう、わかった」
部屋から出ていく背中を、見つめていた。
「来たよ」
「…せんせい」
「喋らなくてもいい。無理しないで」
伝わるかもわからないほど、小さく頷いて見せた。
「…そろそろ、お別れだね」
「寂しいよ」
先生が話していることを、ただ聞く。
「…実はね、今日、鏡を持ってきたんだ」
「見たくないかもしれないけど、俺は、見てほしくて」
「いい?」
「…ありがとう」
先生が鞄から鏡を取り出して、私の方へ向けた。
「君は、世界は綺麗じゃないと言ったね」
あぁ、本当に。
鏡に映る私も、綺麗とは程遠い。
「俺は、君は綺麗だと思う」
私はただ、静かに聞いていた。
「最後を前にしても取り乱さず、自分を貫き通していた」
「俺にはきっと、そんなことはできない」
「君は綺麗じゃないと言うかもしれないけど。俺には、綺麗じゃないことが、綺麗に見えて仕方がないんだ」
「強い。何よりも強いものを、君から感じて仕方がない」
「価値を勘違いしたくない、と言ったね」
「最後なんだ。価値がないと気付く瞬間はもう、残っていない」
「存分に、勘違いをしよう?」
優しかった。
他のどんなものよりも優しかった。
私を否定する言葉は、一つもなかった。
私は、いつの間にか泣いていた。
静かに、泣いていた。
音もなく、泣いていた。
けど。
雨の降る音が、聞こえた気がした。




