ダブボアの刑 :約7000文字 :宇宙人
ここは――。
目を覚ました男は、ゆっくりと上体を起こした。
視界に飛び込んできたのは、白い、あまりにも白い空間だった。ぼやけた視界が像を結んでも、しばらくはその広さを把握できなかった。天井も壁も継ぎ目なく無機質。光は天井自体が発光しているかのように均一に降り注ぎ、影すらほとんど生まれていない。静謐で、どこか霊安室を思わせるような空気が漂っていた。
身体は、繭を縦に割ったような半円形のベッドにすっぽりと収まっていた。内側は柔らかく、体に合うように微細に形状を変え、最も負担の少ない姿勢を保つよう調整されるらしい。ついもう一度沈みたくなるような心地よさだった。近代的で合理的――男は思わず親近感を覚えた。
だが、自分の宇宙船にこんな部屋はなかった。
男は頭を垂れ、目頭を揉みながら記憶の糸を手繰り寄せ始めた。
男は地球の使者。
まだ正式な外交関係を結んでいない惑星へ降り立ち、接触の糸口を作るのが任務であった。環境データを収集し、言語体系を解析して翻訳システムを構築する。初歩的な挨拶を交わし、滞在しながら原住民との信頼関係を築く。そして安全が確認され次第、地球本部から長官を迎え入れ、正式な会談へと移行する。それが定められた手順だった。
この宇宙時代、進出してまだそれほど経っていない地球人類にとって、いかに迅速かつ穏便に異星文明と接触するかは最重要課題であった。
「目覚めたようですね」
壁の一部――扉だったのだ――が音もなく横に滑り、そこから二人の異星人が部屋へ入ってきた。
細長い首に白い肌、切れ長の目。首を伸ばした亀を彷彿とさせたが、甲羅はなく、全体的にひょろりと痩せている。
「ここは、プギモ星です」
「プギモ星……そうか、N1154はそう呼ばれているのか」
男はこめかみをさすりながら、ゆっくりと言葉を整える。意図した形とは違うが、これもファーストコンタクトには違いない。高圧的には出ず、かといって必要以上に下手にも出ない。対等に接する――頭に染み込ませたマニュアルが、自然と口を動かしていた。
「私は地球から来た使者だ。だが、着陸態勢に入った直後に操縦が利かなくなり……」
「不時着しました」
「そう……そうだ。不時着だ」
記憶が一本に繋がった瞬間、鋭い痛みが頭蓋の奥を走った。男は思わず「うっ」と小さく呻き、顔を伏せた。
あれは、凄まじい衝撃だった。機体が激しく揺れ、警告音が鳴り出した直後、視界が火花に覆われた。そして、まるで内臓がまるごと背中から押し出されたかのような衝撃が襲った――。ああ、生きているのが不思議なほどだ。
「ああ……あなた方が助けてくれたのか」
男は顔を上げ、二人を見つめた。
「ええ。大破した宇宙船の内部から、かろうじて生存していたあなたを回収し、この施設で治療を施しました」
「三日ほど昏睡状態でした。その間に脳を解析し、言語の同期と交信手段の確立を完了しました」
この星の住人は、かつて多様な言語体系を持っていました。その技術の流用です――プギモ星人はそう付け加えた。
「あ、ああ……確かに問題なく会話できている。違和感がなくて気づかなかったほどだ。すごい……素晴らしい科学力だ。いや、まずは礼が先だったな。ありがとう。命の恩人だ」
「いえ。それで、さっそくですが会見の準備が整いました。ご同行願えますか?」
「会見……? ああ、そうか」
男は小さく頷いた。
「ちなみに、異星人がこの星を訪れたのは何度目かな?」
「あなたが初めてです」
「ええ、初の異星人」
「そうかそうか、ふふ。原稿はすでに用意してあるよ。頭の中にね」
男は胸を張った。使者とは、読んで字のごとく使いの者。だが、ただの伝令ではない。自分こそが最初の接触者であり、歴史の一行に名を刻む存在なのだ。選抜されたエリートとしての矜持が、胸の奥から再び湧き上がってきた。
「ただ、この星の習慣や禁忌について少し教えてほしい。地球とプギモ星の友好のために、失言は避けたいからな」
「……友好?」
「ああ。そちらの代表、大統領なども出席されるのかな? 地球からは後ほど長官が到着する予定だが」
「ええ、市長が出席します。それから――」
「友好だと!」
突然、片方のプギモ星人が声を荒げた。男は思わずびくっと肩を震わせ、仰け反った。もう一人が慌ててその肩に手を置き、低い声で制した。
「失礼しました。着替えと移動車両は用意してあります。そろそろ向かいましょう」
「あ、ああ。気にしないでくれ。ははは……」
「なにを笑っている!」
「おい、よさないか」
「え、え? あの、何か……?」
「いえ。さあ、こちらに着替えてください。予定より早く会場入りしたほうが、反省の意思が伝わるでしょう」
「そうだな……反省?」
「ええ。謝罪会見ですから」
「謝罪!?」
「さあ、急いでください」
「いや、待ってくれ。謝罪ってどうして……」
「このクソ野郎が……!」
「だからよさないか。……さきほど、不時着したと言いましたね。問題は、その場所です」
「場所……どこだ?」
「市街地です」
「うあ」
「それも保育園」
「な……」
「二十三人の園児が死亡しました」
「だあ……」
「世論では、あなたはダブボアの刑に処すべきだという声が高まっています」
プギモ星人は体を小刻みに震わせた。怒りを露わにしていたほうでさえ、頭を抱えて後ろへ反り、震え始めた。ただならぬ刑罰なのだろう。男の背筋に冷たいものが走った。
「そ、その、聞いてもいいですか……? 初の異星人ということで、何かこう……擁護の声は……」
「ありません。実刑一色です」
「満場一致。だが、むごい……」
「あ、あの、わざとじゃないんですよ。事故、事故なんです! それでも……」
「ダブボアの刑です」
「なっ……」
男は口を開けたまま硬直した。喉がきゅっと締まり、舌が空気を求めるように顔を出した。
「さあ、向かいましょう」
プギモ星人が男の腕を掴み、ぐいと引いた。その冷たい指の感触に、男ははっと我に返った。身震いし、慌てて両手をかざして言葉を探した。
「あ、あ、あの……あっ、あなた方とはその、こう、どこか近しいものを感じると言いますか、その……好きです! ええ、好きです!」
「発言は会見の場でどうぞ」
「さあ」
「ち、治療までしてくれたじゃないですか! それなのに……」
「罪を償っていただくためです」
「ち、地球との友好は? ど、どうなりますか? わ、私を処刑なんてしたら、交流が始まる前から関係が悪化してしまいますよ!」
「すでに悪いですからね。それに、場合によってはあなたの星に賠償責任が発生するかもしれません」
「なにせ、二十三人の園児の命が……!」
「あ、あ、あ……」
男は言葉を失い、半ば放心したままプギモ星人たちに着替えさせられ、施設の外へ連れ出された。
用意されていた車両は、芋虫を思わせるような曲線を描いていた。節のように連なる車体には過剰なほど多くの車輪が並んでいる。外装は毒々しい紫と黄、緑のまだら模様で鈍い光沢を放っていた。
男は抵抗する気力もなく、その中へ押し込まれた。
扉が閉まるとほぼ同時に、低い振動が足元から伝わり、車は滑るように走り出した。
やがて、やや開けた通りへ出た――その瞬間だった。
凄まじい喧騒が車体を揺らした。
通りは群衆でごった返していた。怒号が幾重にも重なり、窓がびりびりと震える。車体を叩く衝撃が鈍く響き、窓には卵のようなものが次々と投げつけられ、ぶつかってはぬちゃりと潰れ、黄濁した液体が糸を引きながらゆっくりと流れ落ちていった。
男は反射的に手を振りかけ、はっとして頭を抱えた。一瞬、自分が思い描いていた光景がよぎったのだ。
歓迎のパレードと友好の旗――それが一瞬、今目の前に広がる現実と重なった。だが、窓の向こうに広がっていたのは剥き出しの怒りだった。
車体はゆっくりと憎悪の沼を掻き分けて進んでいった。
やがて巨大な建造物が視界に入った。市民ホールか、あるいは市役所だろうか。無機質な灰色の外壁が、男の胸を重く圧迫した。
車から降ろされ、長い廊下を歩かされる。処刑室に向かっている――そんな錯覚が頭を揺らし、男はふらりとよろけた。すると即座に左右から腕を掴まれ、強く支えられた。その手には、絶対に逃がさないという無言の圧がこもっているように感じられた。
『え……えー……私は地球から来ました――』
壇上に立たされた男の視界に、おびただしい数のマイクが映る。針のように突き出された金属の先端がこちらへ向けられていた。その奥には整然と並ぶ椅子。最前列に座るのは、おそらく遺族たちだろう。身じろぎもせず、ただこちらを見上げている。
無数の視線が刃のように皮膚へ突き刺さる中、男は唇を震わせながら話し始めた。
「えー、ワ、ワレワレはウチュウジンだっつってね……ははは……えー、このたびは、その、この旅はとても長く孤独で、い、いや、そうではなくてですね、あのー、地球はとても暖かく、素晴らしい自然環境で、ここはなんだか少し寒いなあ、アウェーだからかなあなんて……いや、あのー」
台本はおろか、まとまった言葉が何一つ出てこない。今、頭の中を占めているのは、『こんなはずではなかった』という後悔だけだった。ゆえに口からこぼれ落ちるのは、反射的な言葉と事前に考えていた原稿の残滓のみ。
そして使命――地球外知的生命体との友好。その大義と、今この場で突きつけられている現実がぐちゃぐちゃに絡み合い、男の思考をさらに混沌へと引きずり込んでいく。
「いやー、本当にここは素晴らしい星で、えー、地球とどこか似ているような、そんな親近感が湧きますよねえ。きっと皆さんも地球に来れば、私のことをもっと好きになると思いますよ。ええ、私の勘がそう言ってますね。いやー……あの、大変申し訳ございませんでした。あのときはそうするしかなかったと言いますか、まさかあれほど多くの方が亡くなるとは思っておらず……決して『やってやったぞ』なんて気持ちはなくてですね、ま、今回は運がなかったと言いますか、これはもう仕方ない、割り切ってしまいましょうというか……事実は曲げられませんし、過去も変えられませんし……ええ――」
下手に出るな。対等であれ。自分は顔つなぎに過ぎない。段取りを整え、交渉は本部の役目だ――訓練で叩きこまれた教えが頭の奥からしつこく顔を出していた。そのせいで、ようやく口にした謝罪の言葉も中途半端な形になっていた。
彼の意識はすでに混濁していた。脇にはじっとりと汗が滲み、視界が揺れ、足元は頼りなく、立っているだけで体がぐらつく。こめかみの奥では鈍い頭痛が脈を打ち、歯まで疼いていた。強烈な尿意が込み上げ、腹の奥がぐるると鳴り、空腹とも吐き気ともつかない不快感が胃の中を転がり、頭の中はぐるぐるぐるぐるぐる……。
「ち、ちち、ち、地球の使者として、皆様のお怒りを真摯に受け止めて……わ、私としては、地球の使者という大きな立場から見れば、やはり真摯に受け止めて、どこかで折り合いをつけなければ、使者じゃないと思うんですよ! その、子供の死は本当に痛ましく……ですから、私はその、本当にもう……小さな子供が大好きで、本当に大好きなんで、ですから、もうそういう子供たちに申し訳なくて……。こんな使者で、プギモ星の皆さまに……。私も死ぬ思いで、本当に死ぬ思いで、もうあれですわ。一生懸命勉強して勉強して、大学を出て、訓練を受けてやっと選ばれて、地球の代表者たる使者であるからこそ、こうやって皆さまの前で話をするのは望んでいたんです。でも、望んでいた形ではなくてですね……それが本当につらくて、情けなくって、私に憧れを持った地球の子供たちに本当に申し訳ないんです。ですから……デッフ……皆さんのご怒りを、想いを真摯に受け止めて、使者という大きな、く、か、か、カテゴリーに比べたら、あ、あ、報告、報告のおおおお、ウエッ、ねえ、オエエッ、お、折り合いをつけるっていうー……ことで! もう一生懸命ほんとに、はあはあ、地球の少子化問題、人口減少、高齢……高齢、高齢ェェェェエエエ者ッハアアアアァアアー! こ、高齢者問題はァァァァー! 我が星の、ウワッハアッハッハアアアーン! 我が星のっ、ん、ハアーン! ワガホシノミナラズ! みんなの、宇宙全体の問題じゃないですか! そういう問題ッヒョオオオー! 解決ジダイガダメニ! おれハネェ! ハハハン! 使者に! ブフッフンハアァア……! 誰がネエ! 誰が使者にナッデモオンナジダ、オンナジダと思っでえ! ウーハッフッハーン! ウーンッ! 地球の人々は関心もなく! でも! それじゃ変わらないから、それだったらワダヂが! 使者になって! 文字どおり! アハハーンッ! 命がけでイェーヤッヒッフア゛ー! ……ッウック。あなた方には……分からないでしょうけどね……! 本当に、『どうせ変わらない』『誰が使者になろうと同じだ』って、そんなふうに言われる世界で! じゃあ、おれがっ! おれが使者になって! 地球を、この世の中を! ウグッブーン! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーン! ヒイィィェーイヤッエッフウン! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーア゛ッア゛ー! ゴノ! 世の中! ガッハッハアアン! アー世の中を! 変エダイ! その一心でえ! 一生懸命訴えて、訓練を受けて! 地球の使者に選出されて! やっと! 使者になったんですううー! ですから、皆さまのご怒りを受け止めデーーヒィッフウ! ア゛ーハーア゛ァッハアァー! グッグ、ア゛ーア゛ァアァアァ……。ご怒りをすべて受け止めて! ア゛ーア゛ーアッハア゛ーーン! プギイ! プグ、プグギギギギィ、全プギモ星人の意志として受け止めて! 一人の大人として! 責任を負い、折り合いをつけましょうと! そういう意味合いで、自分としては『なんで、なんで、ちゃんと手順通りに進めていたのに、おれだけがこんな目に遭わないといかんのや』と思いながらも! もっと大きな目標ォ! すなわち! 本当に、地球の平和のため! プギモ星との友好のため! 自分の力で、使者一人の、このわずかな力ではありますけれども、両惑星が抱えるすべての問題を解決したいと思っているからこそォ! そのご怒りを真摯に、真剣に受け止めようとするから! 一地球人として、代表として、何とか折り合いのつくところで折り合いをつけさせていただいて、もっと大きな目標! 両惑星の平和のために、外交官として活動させていただきたいからこそ! 堪えに堪えて! 何とか折り合いのつくように! 実刑はおやめいただいて! ただそれは、私個人の意見ではなく、これは外交全体の問題に関わることかもしれないという、恐れがあるからでして、私個人ではありますが、地球の意見であり、会見であり、地球人類がお約束できる範囲で、しっかりとお約束させていただくと! 私自身も使者に選出されたいとずっと願っておりましたけれども、なかなか選出されず、同期が他の惑星と交渉を取りつけたと聞くと、歯がゆい思いで、でも喜んでみせて、もう腹の中では堪えに堪えて、それで何とか私も地球代表となり、ですから本当に真摯に受け止めていただき、折り合いをつけていただきたい! なぜかといえば、両惑星の友好という大目標の中に……。もちろん、あなた方のお怒りはものすごい大事ですよ、大事ですけれども! 宇宙というそういう大きい括りの中では、極々小さいものなんですゥ! ですから! いち、大人として、何とか折り合いをつけていただきたい。皆さまのお怒りはごもっともであると真摯に理解して、何とか、その、ナ゛ッ! えー……ダウ! 本当に、本当に、死にたくない! 死にたくないです! 死にたくナアアアアアアア! わ、私一人の命を奪ってどうなりますかアアア! ち、チ、チキュウ! 地球がっ! 責任をもって賠償するゥ! そう誓います! 死にたくない! 死にたくなああああああい!」
汗を流し、涙を流し、唾液を垂れ流し、建前も理屈もすべて削ぎ落とされ、最後に残ったのは本心――剥き出しの生への執着だった。
しばらく意味をなさない音を吐き散らしたのち、男はついに力尽き、その場に崩れ落ちた。
床に勢いよく膝をつき、反射的に両手をついたものの、そのまま額を打ちつけた。乾いた音が会場にはっきりと響いた。
市長らしきプギモ星人が歩み寄り、頭上から何かを話し始めたが、その内容は男の耳には入ってこなかった。耳鳴りがすべてを掻き消していたのだ。男はただ嗚咽で喉を震わせ、床に顔を押しつけたまま子供のように泣き続けた。
それから、数日後――。
「えー……ただいま地球との交信により、一部の市をホームタウンに指定し、プギモ星人に対する永住権の付与、住居の提供、就労支援を行うことを、地球政府が正式に認めました。後日、長官が来星し、条約を締結する運びとなるかと……」
「ありがとうございます。上手にお伝えいただけたようですね」
「え、ええ、まあ……。なにせ、こちらは尊い……いや、その、命を奪ってしまった立場ですから。本部もそう強くは出られないのでしょう……」
「お見事です。プギモ星の住民は、この決定を心から歓迎することでしょう」
「え、ええ……あの、それで、私は……」
「ええ。ぜひ、この星でこのままお暮らしください」
「え、ええ……」
プギモ星の宇宙局を後にした男は、迎えの車に乗せられ、用意された住居へ向かった。
通りは人々でごった返していた。車体を叩かれ、卵を次々と投げつけられる。ぬちゃりと潰れ、窓にべっとりと張りついたその中身は、とても小さく弱々しいが、プギモ星人のような形をしていた。薄い膜の内側でひくひくと痙攣していた。
地球とほぼ同じ直径の星でありながら、その人口は数十兆人。民度はそこそこ、繁殖力は絶大。連中が地球へ移住すれば、どれほど増えるのか――男は頭の中で計算しかけて、やめた。
代わりに、運転席へ向かって小さく問いかけた。
「あの……ダブボアの刑って、何なんですかね」
「ん? ……ああ」
運転手はあっさりと答えた。
「あなたの星で言うところの――土下座ですよ」




