【第八話】静寂を破る足音
その朝、リーヴェンの空はどこか重たかった。
雲は厚く垂れ込め、村の畑に流れる風は、まるで何かの前触れのようにひどく冷たかった。
村の人々は「今日は雨かな」と口をそろえていたが、ただの天気とは思えぬ“違和感”を、敏感な者は感じ取っていた。
「おじさん、今日は畑仕事しないの?」
ミリィの問いに、カイは空を見上げながら答えた。
「ああ……今日は何かが違う。少し様子を見てからにしよう」
その予感は、程なくして現実となる。
午前も半ばを過ぎたころ、森の方面から村の見回り組の一人――若者のアレンが、血相を変えて走り込んできた。
「大変です! 森の中で、倒れている魔物が何体も……しかも、変な痕跡が……!」
「落ち着け、順に話せ。何があった?」
アレンは息を整えながらも、震える声で続けた。
「最初は、狩りの途中でおかしいと思ったんです。森の奥に、妙に静かな一帯があって。入ってみたら……何体もの魔物が、何かに“喰われたような”状態で横たわっていて……」
「喰われた?」
「はい。けれど、歯型も爪痕もなかったんです。ただ……ただ、何かに“腐らされた”みたいに」
言葉が、村人たちの間に緊張を走らせる。
それからほどなくして、村の集会所で急ぎの集まりが開かれた。
カイ、長老、バロックをはじめとした主要な面々が揃い、話は次第に核心へと迫っていく。
「先日の巨大魔物の出現、あれだけでも異常だった。けれど今度は……腐敗痕のある魔物? まるで何か“力”が侵食しているようだ」
「まさか、封印の影響がまだ……?」
「可能性はある。いや……むしろ、あれは“始まり”に過ぎなかったのかもしれない」
カイは腕を組み、静かに言った。
「俺が行こう。森の奥に何が起きているのか、見極めなければならない」
その言葉に、長老が目を細める。
「無理をするなとは言わん。だが、今のあんたは……」
「分かってる。以前のように万全ではない。だが、俺には“知っておく責任”がある」
カイの瞳には、あの日封印の間で見た“視線”の記憶が宿っていた。
あれは偶然ではない。何者かが、意図的に動いている――。
翌朝、調査隊が結成された。
カイを先頭に、アレン、狩人のエリス、若い魔術師ライルの4人。
軽装ながら、全員がそれなりの戦闘訓練を受けている者ばかりだ。
ミリィは、出発前のカイにそっと小さな布袋を手渡した。
「また作ったの。お守り……おじさんが、ちゃんと帰ってこれるように」
「ありがとう。……お前の祈りは、強いな」
そう言って彼は、袋を胸に結びつけた。
森の中は、やはり異常だった。
虫の鳴き声はなく、鳥も飛ばない。
木々の葉は、ところどころ黒ずみ、幹には不気味なひびが走っていた。
「……これは、ただの自然現象じゃない」
「カイさん、ここです。昨日、僕が見つけた場所」
アレンに案内されるまま進んだ先に、確かに複数の魔物の死体があった。
しかし、それは“死体”と呼べるようなものではなかった。
皮膚は乾ききり、目は空洞。まるで生気だけを吸い取られたかのような――。
「まるで、何かを封じる“呪印”のようだな……。ほら、この土の上の紋……」
ライルが魔法の感知術を用いると、淡い紫の残留魔力が地表に浮かび上がった。
禍々しく、何かを呼び起こすかのような“召喚の痕跡”。
「まさか……ここでも、儀式が?」
カイは無意識に、剣の柄を握りしめた。
そのとき―― 森の奥から、一陣の風が吹いた。
だがそれは自然の風ではなかった。
空気が粘つき、冷たく重く、まるで「何かの気配」が迫ってくるような――。
「……来るぞ」
カイは剣を引き抜いた。
一方その頃、リーヴェンの村では、カイ宛ての一通の文が届いていた。
封筒には、かつて彼が所属していた“王国騎士団”の刻印。
――差出人不明。
だが、そこに記されていた言葉は、簡潔だった。
> 『目覚めは始まった。真実に備えよ、カイ・レオンハルト』




