【第六話】穏やかな日と、忍び寄る影
あの戦いから、三日が経った。
辺境の村【リーヴェン】では、穏やかな陽射しの下、人々が日常を取り戻しつつあった。
森に再び鳥の声が戻り、村の井戸には子どもたちの笑い声が響く。
だがその裏で、一部の大人たちは静かに、しかし確実に“変化”を感じ取っていた。
カイ・レオンハルトは、自宅の縁側に腰を下ろしていた。
洗い晒しの白シャツに麻のズボンという村人らしい装いで、肩にはまだ包帯が巻かれている。
「……痛みはもう、ほとんどないな」
傷の回復は順調だった。
何より、村の薬師たちが協力してくれたことが大きかった。
「おじさん、リンゴ食べる?」
声をかけてきたのは、ミリィだった。
魔物が襲いかかった際に彼が助けた少女であり、今ではすっかり懐いてしまっている。
「お、いい匂いだな。お前が剥いたのか?」
「うん! ほら、これ、一番きれいにできたやつ!」
そう言って差し出されたリンゴの皮は、少しガタガタだったが、確かに心がこもっていた。
カイはそれを一口かじる。
「……うまい」
ミリィが笑顔になる。
カイも、どこか照れくさそうに微笑んだ。
昼過ぎ――
村の中央にある集会所では、村の鍛冶師・バロックが、カイが持ち帰った魔物の素材を調べていた。
「ふむ……これは、やっぱり普通の魔物じゃねえな。鋼の外殻も、魔石の構造も、人工的な加工痕がある」
「加工痕……? 自然に生まれたものじゃないと?」
「ああ。普通の魔物ってのは、進化や突然変異はしても“作られる”ことはねぇ。だけど、これは……誰かが意図的に強化したとしか思えねぇ」
バロックは分厚い指で、魔石の表面を指した。
そこには淡く残った、魔術刻印のような模様。
「それに、この刻印……どっかで見た気がするんだが、思い出せねぇ。だが、こんな技術、今の王都でもお目にかかれねえ代物だ」
カイは静かに目を伏せた。
あの戦いの中で感じた“視線”、そして儀式の痕跡。
「……封印が解かれ、魔物が解放された。それを“誰か”が見ていた。そして、その誰かは――おそらく、それを望んでいた」
カイの呟きに、バロックも表情を険しくする。
「このまま黙ってるわけにはいかねぇな。村の連中には……どう伝える?」
「必要以上に不安を煽るつもりはない。ただ、これが偶然じゃないことは伝えておこう」
その日の夜、村の広場ではささやかな宴が開かれていた。
カイの勝利と、村を守った功績を讃えるためだった。
子どもたちが歌い、老婆たちが笛を吹く。
素朴な祭りだったが、そこには確かな喜びと安堵があった。
「カイ! あんたの剣、まだまだ鈍っちゃいないな!」
「助かったよ、本当に……うちの息子も、お前がいなけりゃ……」
酒を勧められ、肩を叩かれ、何人もの村人たちが声をかけてきた。
カイはそのたびに、少し照れたように笑いながらも一つ一つ言葉を返していった。
昔、騎士団の中で賞賛を浴びても、こんな温かさはなかった。
そこには戦功や勲章ではなく、“信頼”と“感謝”があった。
祭りの終わり際、ミリィがカイの横に座った。
「ねえ、おじさん。これからも、ずっとここにいてくれる?」
「……ああ。少なくとも、すぐにどこかへ行くことはない」
「よかった!」
満面の笑顔。 その表情を見て、カイは改めて誓った。
――もう、守れなかったとは言わせない。
だがその頃――
遥か遠く、王都とは異なる南方の山岳地帯。 黒衣の人物が、古い石造りの遺跡に立っていた。
月明かりの下、石碑に手をかざす。 そしてその口が、かすかに呟いた。
「《第壱封印、解除確認。対象:鋼鬼、消滅》」
淡く光る石碑に、新たな紋章が浮かび上がる。
その紋章は、かつてカイが所属していた――王国騎士団の紋章に酷似していた。
「予定より早い……だが問題はない。次は――“あの男”の真価を試す番だ」
そして、影は霧のように消えていった。




