【第十八話】打ち直される刃、動き出す影
「木刀はもう必要ない。今日からは、本物の刃で鍛え直す」
朝霧の中、剣聖ゲルトの低く響く声が静寂を切り裂いた。
立ち尽くすカイ・レオンハルトの前に、無骨な長剣が投げ渡される。
「……この重さ……」
手にした剣は、かつて扱っていたものよりもやや長く、重い。 だがそれ以上に――どこか、重みが「精神」にのしかかるようだった。
「それはお前が“剣を振ること”に怯えぬか、試すためのものだ。いいか、これは試験じゃない。鍛錬だ」
そう言うや否や、ゲルト自身が剣を抜いた。
彼の剣は、まるで風そのもの。年老いた肉体とは思えぬ速度と切れ味で、風を裂き、空気を変える。
「かかってこい、カイ。力ではなく“生きた剣”で来い」
カイは一瞬、構えを迷った。 身体が覚えているはずの“騎士の型”が、今はどこかぎこちない。
――迷い。それが身体に重く残っていた。
「……参ります」
地を蹴り、剣を振る。だが、ゲルトの一太刀が一歩先を行く。カイの剣は空を斬り、間合いを崩される。
「迷ってる。まだ、自分の剣を信じ切れていない」
ゲルトの言葉とともに、肩口に鈍い痛みが走る。 打ち込まれた剣の一撃は、皮膚をかすめる程度だったが、心には深く突き刺さった。
「何度でも来い。何度でも折れろ。そして、それでも立ち上がれ」
それが、ゲルトの“教え”だった。剣とは、勝つために振るうものではない。守るために、立ち続けるために――振るうものなのだ。
実戦訓練は、一日で終わるものではない。 カイは何度も何度も打ちのめされ、叩き伏せられ、それでも立ち上がった。
(……なんでだ。こんなにも、体が言うことを利かない……!)
肩に、腕に、膝に。かつての傷が痛む。 過去の栄光が、逆に今の自分を否定してくる。
だが、彼は折れなかった。 痛みを受け入れ、なおも剣を構えた。
「それでいい。強さとは“才能”ではない。“意志”だ」
ゲルトの声が、重く響く。
カイの目が、ふと少しだけ昔の光を取り戻していた。
【王都・出立】
そのころ、王都の騎士団詰所では―― 第二師団副団長、リリア・ミレーナが重装を身につけ、馬に跨っていた。
「全隊、出発。目的地は、辺境リーヴェン村周辺」
彼女の声は毅然としており、凛としていた。 かつて、彼女が最も信頼した隊長――カイ・レオンハルト。 その名を、今なお口にすることはないが、心の奥底ではその存在を否応なく意識していた。
(なぜ、何も言わずに……置いていったのか)
彼女の目はまっすぐに前を見つめていたが、胸の中には迷いがあった。再び交わるであろう運命に、何を問い、何を許すのか。
【もうひとつの闇】
そして、その王都の地下。薄暗く、誰にも知られぬ謁見の間にて――
「……リリアが動いたか」
黒いローブを纏った存在が、魔物の核を掌で弄ぶ。 その奥には、仮面の男がひざまずいていた。
「“あの男”と接触する機会が近づいています。やはり……彼は今も“それ”を宿している」
「ならば利用できる。もしくは、排除する。どちらでもいい」
仮面の男は言葉少なに一礼し、その場を後にした。 王国の影――その根は、騎士団のさらに奥深くまで伸びていた。
山の中、修行に打ち込むカイは知らない。
己を鍛え直す一方で、世界が再び動き出していることを。
そしてリリアもまた、知らなかった。命令の裏に隠された意図。かつての隊長が、その中心にいることを。
剣が交わる時は、近い。