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サクラと僕~君がいた、あの夏~  作者: 相田ゆき


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3-サクラとの日々

 ―――朝の光が障子越しに差し込み、蝉の声が遠くで鳴いている。


村の夏は、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。


賢は、その静けさに最初こそ戸惑っていた。

けれど、サクラに出会ってからというもの、朝が来るのがほんの少しだけ、楽しみになっていた。


白い猫。左の耳に小さな欠けのある、美しい猫。

桜の木の下に座り、風に吹かれながら目を細めているその姿は、まるで絵本の中から抜け出してきたようだった。


賢は毎日、午前中の涼しい時間に川辺まで降りていった。

サクラがいない日もあったけれど、不思議なことに、彼が本当に「話したい」と思った日は、いつもそこにいてくれた。


最初は黙って見つめ合うだけだった。

でもある日、賢はふと呟いた。


「……俺、ずっと、ひとりだったんだ」


サクラは何も言わなかった。ただ、草の上で尻尾を揺らしていた。


「誰にも言えなかった。怖くて、情けなくて、みっともなくて。

……でも、お前には言える気がする。返事がなくても、ちゃんと聞いてくれてる気がするんだ」


そのとき、サクラはぴたりと動きを止め、賢の方をまっすぐに見つめた。


金色の瞳に、なぜか心の奥をすべて見透かされているような気がして、賢は思わず小さく笑った。


「……お前、ほんとに猫なの?」


返事の代わりに、サクラは小さく「ニャ-」と鳴いた。

それだけのことなのに、賢の胸がじんわりと温かくなった。


    *


 ある日は、祖母の畑仕事を手伝った帰り道。

麦わら帽子をかぶりながら、川のほとりへ向かうと、サクラが待っていた。


「おばあちゃん、僕ちょっとサクラと話してくる!」


「はいよ、気ぃつけてなぁ」


賢は走ってサクラの元へ行くと、横に座って話し出した。


「今日は……ちょっとだけ、いいことあったんだ」


土の匂い。汗をかいて、日差しを浴びて。

それでも、誰かと一緒に身体を動かして働くというのが、思った以上に気持ちよかった。


「おばあちゃん、ありがとうって言ってくれたんだ。

『賢がいてくれて、助かったよ』って」


それだけの言葉が、どれほど心に沁みたか。


賢はサクラの隣に座り、そっと背中に手を伸ばした。

ふわりとやわらかい毛並み。あたたかくて、確かにそこにある命の重み。


「……なんかさ、誰かのために何かできるって、いいかもな」


サクラは瞬きをひとつだけして、空を見上げた。


夏の雲が流れていく。風が草を揺らし、蝉が鳴いている。

何も特別なことは起きていないはずなのに――


その時間が、たまらなく愛しかった。


    *


 別の日、雷雨が突然やってきた。


山の天気は気まぐれで、さっきまで晴れていた空があっという間に鉛色(なまりいろ)に染まった。


家の縁側で雷の音を聞いていると、賢の胸がざわついた。


「……サクラ、大丈夫かな」


思わず立ち上がり、傘をつかんで外へ出る。


「賢!雷来てるけぇ、外行っちゃなんねぇ!」


祖母は驚いて声をかけたが、賢は「すぐ戻る!」とだけ言い残し、坂道を駆け下りた。


桜の木の下。ざんざんと降る雨の中、ずぶ濡れになりながら、サクラはそこにいた。


――――まるで、誰かを待っているかのように。


賢がサクラの側に寄ると、今までゴウゴウと降っていた雨や、雷がスッと遠くに消えていった。


「バカ、なんでこんなとこに……!」


賢はしゃがみ込み、サクラの横に座った。

その瞬間、サクラは小さく身を寄せた。


その温もりに、賢ははっとした。

自分が守りたいと思う存在が、ここにいる。


「ニャァ」


「もう……絶対、置いていかないから」


自分がどれだけ誰かを欲しがっていたのか、そのときはっきりとわかった。


そして、誰かに必要とされることが、こんなにも自分を強くすることも。


雷の音の下で、サクラの体は少し震えていたけれど、賢の心は不思議と静かだった。


    *


 ――――そして、ある日の午後。


サクラは突然、賢の膝の上で眠った。


初めてだった。


いつも少し距離を保っていたサクラが、自分からぴたりと寄り添ってきたのだ。


その毛並みに、そっと指を滑らせながら、賢は目を閉じた。

波のように押し寄せる不安や恐れが、少しずつ、静かに引いていく感覚。


サクラの体温が、心の隙間に染み込んでいくようだった。


    *


サクラとの日々は、賢にとって、特別なことばかりだった。


一緒に空を見て、一緒に風を聞いて、一緒に静かに時間を過ごした。


けれど、その日々が、確かに賢を変えていった。


心の傷が完全に癒えたわけじゃない。

けれど、自分の存在を否定するばかりだった日々から、少しだけ――前に進める気がしていた。


賢にとって、サクラはただの猫じゃなかった。


言葉も持たない小さな命が、自分の心に触れてくれた。

そして何より、信じることを、もう一度思い出させてくれた存在だった。


サクラとの日々は、賢を少しずつ確実に強くしていった。


 


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