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鏡の迷宮  作者: 憂月
第1部 始まりの影
2/28

第2 話 映らない影

1.

朝日が洋館の窓を薄く照らしたが、悠真の心は重いままだ。昨夜、鏡から聞こえたささやき声と、勝手に移動した鏡の記憶が頭を離れない。廊下の突き当たりに立つ鏡は、今朝もそこにあった。

布で覆おうとしたが、シーツはまた床に落ちていた。まるで鏡が、覆われることを拒むように。


悠真はキッチンでコーヒーを淹れ、落ち着こうとした。だが、手が震える。鏡に映った白い服の女、掠れた声。


「ゆうま…見つけた…」


あれは幻覚か? 疲れとストレスが作り出した錯覚か? しかし、美咲もあの声を聞いた。彼女の青ざめた顔が、悠真の不安を裏付けていた。


スマートフォンが振動し、美咲からのメッセージが届く。「昼にまた行く! あの記事、もっと調べたよ。やばい話出てきた!」 彼女の軽快な文面とは裏腹に、悠真は胸のざわめきを感じた。

美咲の好奇心は頼もしいが、どこか無謀にも思える。


悠真はリビングのソファに座り、昨夜渡された新聞記事を手に取った。


30年前の地元紙、色あせたインク。

見出しは「洋館の謎:連続失踪事件の真相」。

記事は、1970年代にこの洋館に住む家族や借家人たちが次々に消え、警察が捜査したが手がかりなしと結論づけたと書いている。だが、最後の行に気になる一文。


「地元住民は、屋根裏の古い鏡が失踪に関係していると噂する」


悠真の視線が、廊下の鏡に引き寄せられる。朝の光に照らされた鏡は、静かにそこに立つ。だが、反射するはずの部屋の景色が、微妙に歪んでいる。窓の形が、実際より細長く見える。まるで、鏡の向こうに別の部屋があるかのように。


2.

正午過ぎ、美咲が再び洋館に現れた。手に分厚いファイルを持ち、興奮した様子だ。


「悠真、聞いて! この洋館、めっちゃやばいよ!」


彼女はリビングのテーブルにファイルを広げ、古い写真や手書きのメモを並べた。地元の図書館でコピーしてきた資料らしい。


「この洋館、元々は1920年代に建てられた医者の別荘だったんだ。でも、1950年代に変な宗教団体が買い取って、なんか怪しい儀式やってたって噂がある。で、1970年代の失踪事件の後、誰も住まなくなった」


「宗教団体?」 悠真は眉をひそめた。


「うん。名前は出てこないけど、なんか『鏡を使った儀式』がキーワードで出てくる。ほら、これ」


美咲が指差したのは、黄色く変色した手紙のコピー。1975年の日付で、差出人は匿名。


そこにはこう書かれていた


「あの鏡は門だ。見る者を迷宮に閉じ込める。決して覗くな」。


悠真の背筋が冷えた。昨夜の老人と同じ言葉。


「迷宮」


「でさ、ネットの掲示板でも似た話見つけた。10年前、この洋館に住もうとした人が、鏡を見てからおかしくなって、1週間で出てったって」


「1週間…?」


悠真の脳裏に、『リング』の呪いの7日間がよぎった。あの鏡に、そんなルールがあるのか? いや、まさか。だが、不安は消えない。


美咲は鏡を一瞥し、声を潜めた。


「ねえ、悠真。あの鏡、ほんとにやばいかも。ちょっと…見に行ってみない?」


「冗談だろ? 昨夜のあれで十分だ」


悠真は拒んだが、美咲の目は好奇心で輝いている。彼女の無鉄砲さが、逆に恐怖を煽った。


3.

結局、美咲の勢いに押され、2人は屋根裏に上がった。鏡は、昨夜と同じ位置に立つ。だが、昼間の光の下でも、その表面は不自然に暗い。まるで光を吸い込むように。


「ほんと、でかいね…」 美咲が鏡に近づき、木枠の彫刻を指でなぞる。


「これ、なんか文字っぽいけど、読めないや。古代文字かな?」


悠真は一歩離れて見ていた。鏡に映る美咲の姿が、微妙にズレている気がする。彼女の動きと、反射の動きが、ほんの一瞬遅れる。


「美咲、ちょっと離れてろ」


「え、なんで? ほら、写真撮ってみる!」


美咲がスマートフォンを構えた瞬間、鏡の表面が波打った。ガラスが液体のように揺れ、彼女の姿が歪む。


「うわっ、なにこれ!?」


美咲が後ずさり、スマホを落とした。画面には、彼女の写真のはずが、真っ黒な背景に白い服の女が映っている。長い黒髪が顔を覆い、口元だけが不気味に笑う。


「美咲、離れろ!」


悠真が叫び、彼女の手を引いて屋根裏から逃げた。

階段を駆け下り、リビングに戻ると、2人とも息を切らしていた。


「何…あれ…?」


美咲の声が震える。


「私の写真、撮っただけなのに…」


悠真は彼女のスマホを拾い、画面を見た。だが、写真は消えている。真っ黒な画面だけが残る。


「もう…触らない方がいい」


悠真の言葉に、美咲は頷いたが、目はまだ鏡のある屋根裏を見上げていた。


4.

夕方、美咲は一旦帰宅したが、悠真に資料を預けた。


「もっと調べるから、待ってて!」と明るく言ったが、彼女の手に汗が滲んでいた。悠真は1人、洋館に残された。


静寂が重く、部屋の空気が冷える。悠真は資料を広げ、読み始めた。1970年代の失踪者のリスト。5人。家族、借家人、旅行者。それぞれ、洋館に短期間住んだ後、忽然と消えた。

警察の記録では、失踪直前に「鏡を見た」と証言した者がいた。


さらに、古い写真に目が止まった。洋館の屋根裏で撮影された白黒写真。そこには、鏡の前に立つ男女。だが、鏡に映るのは彼らではなく、複数の影。

顔のない、ぼやけた人影が、鏡の奥に並んでいる。


悠真の心臓が跳ねた。写真の裏に、鉛筆で殴り書きされた文字。


「彼らはまだそこにいる」。


その時、2階から音がした。ドン、ドン。重いものが動く音。悠真は息を止め、階段を見上げた。屋根裏のドアが、ゆっくりと開く。


「誰!?」


叫んだが、返事はない。だが、足音が近づく。ゆっくり、確実に。悠真はキッチンに走り、包丁を手に取った。心臓がうるさい。


階段を上がると、屋根裏のドアが全開。鏡が、部屋の中央に移動している。だが、鏡に映るのは、悠真の姿ではない。白い服の女が、じっと彼を見つめていた。


「ゆうま…来て…」


声が、鏡の奥から響く。低く、まるで歌うように。

悠真は包丁を握りしめ、叫んだ。


「何だ! 何をしたい!?」


女の顔が、ガラス越しに近づく。黒髪の隙間から、目が見える。真っ白な、瞳のない目。悠真の体が凍りついた瞬間、鏡の表面が波打ち、彼の手がガラスに吸い込まれる。


冷たい。骨まで凍るような冷たさ。鏡の向こうは、暗い廊下が続く。見覚えのない、古い洋館のような空間。遠くで、誰かが笑う声。


「やめろ…!」


悠真は手を引き抜き、後ずさった。鏡はまた静かになるが、女の気配は消えない。部屋の空気が、重く圧迫する。


5.

夜、悠真は寝室に閉じこもり、鏡を布で覆った。

だが、布はまた落ちる。鏡は、どこにいても彼を見ているようだ。スマートフォンに、美咲からの着信。


「悠真! やばい、さっきの写真、復元できた!」


彼女の声は震えていた。送られてきた画像を開くと、そこには白い服の女。だが、背景に、悠真の姿が映っている。彼が屋根裏にいた時の服、表情。だが、悠真はあの時、鏡の前に立っていなかった。


「美咲…これ、なんだ…?」


「分からない…でも、悠真、絶対その鏡、触らないで! 私、明日また行くから!」


通話が切れた後、悠真は部屋を見回した。

静寂…だが、廊下の奥で、カサリと音がする。

恐る恐るドアを開けると、鏡がまた移動していた。

今度は、寝室の入り口に。


「ゆうま…見つけた…」


鏡の奥から、複数の声が重なる。

男、女、子供。無数のささやきが、悠真の頭を締め付ける。


彼は目を閉じ、耳を塞いだ。だが、声は頭の中で響く。鏡の表面が波打ち、部屋の明かりが揺れる。

悠真が目を開けた時、鏡に映るのは、彼の姿ではなかった。

無数の影が、鏡の奥で彼を見つめ、ゆっくりと手を伸ばしていた。


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