第12話 魂の終焉
1.
洋館を脱出してから3か月。悠真は東京のアパートで、日常を取り戻そうとしていたが、夜ごとの悪夢は消えない。迷宮の無数の鏡、白石瑠璃の瞳のない白い目、創設者アキラの赤く光る目、そして教団「光の集団」の信者たちのささやき。
「ゆうま…みさき…恭司…私たち…まだ…ここに…」
アパートの洗面所の小さな鏡に映る自分の顔が、時折歪む。姉・彩花の声が、頭の奥で響く。
「ゆうま…なぜ助けなかった…?」 悠真は目を閉じ、拳を握る。「もう終わった…迷宮は閉じたんだ…」
スマートフォンに、美咲からの着信。「悠真、助けて! 鏡が…また変なの! 影が動いて、声が聞こえる!」
彼女の声は恐怖で震えている。
佐藤からもメッセージ。「新たな手がかりだ。教団創設者アキラの故郷、霧谷町の古い寺院に最後の鏡がある。すぐ来てくれ」
悠真は胸のざわめきを抑え、返信する。「今行く」。だが、心の奥で恐怖が膨らむ。神社の蔵、博物館の倉庫で鏡を壊した夜、ささやきが止んだはずだった。なのに、呪いは広がっている。新たな宿主を求めて。
その夜、悠真の部屋の鏡が波打つ。そこに映るのは、彩花でも瑠璃でもない。見知らぬ老女。白い目、歪んだ笑み。「ゆうま…新たな宿主…見つけた…」
2.
翌日、悠真、美咲、佐藤は霧谷町の山奥にある古い寺院「霧月寺」に集まった。苔むした石段、朽ちた本堂、霧に包まれた境内は不気味な静寂に満ちている。佐藤が古い地図を手に言う。
「教団の記録を追ったら、ここがアキラの故郷であり、教団『光の集団』の最初の儀式が行われた場所だ。残りの鏡がここにある」
美咲が震える。
「また…あの鏡? 何度壊しても…終わりそうにないよ…」
悠真が銀のナイフを握り、言う。
「今度こそ終わらせる。教団の魂も、呪いも、全部」
3人は本堂の奥、地下へ続く隠し階段を発見。佐藤が懐中電灯で照らすと、埃と湿気に満ちた地下室が現れる。中央に、巨大な石の祭壇。その上に、洋館と同じ符咒が刻まれた2つの鏡。表面が波打ち、ささやきが響く。
「ゆうま…みさき…恭司…私たち…まだ…ここに…」
佐藤が呟く。「教団の記録にあった。『迷宮の魂は7つの鏡に分散する』。俺たちは洋館、神社、博物館で3つ壊した。残りの2つがここだ」
悠真が鏡に近づくと、ガラスに無数の顔が映る。教団の信者たち。男、女、子供。白い目が、3人を貫く。
「血…魂…私たちの楽園…」
突然、鏡が光を放ち、視界が暗くなる。迷宮の廊下が現れるが、今回は異なる。壁は赤黒く脈打ち、鏡は歪んで揺れる。新しい声が響く。
「ゆうま…みさき…恭司…私の意志…継ぐ者…」
3.
声の主は、黒いローブの男。だが、アキラではない。顔が現れ、鋭い目と冷たい笑み。佐藤が硬直する。
「カズヤ…? 教団の副指導者…お前が…?」
カズヤの幻影が鏡から現れる。
「アキラは死に、瑠璃は解放された。だが、教団の魂は私のものだ。お前たちが呪いを広めた…新たな宿主として…私の楽園を完成させる…」
悠真が叫ぶ。
「カズヤ! お前の楽園は偽物だ! 迷宮は終わる!」
カズヤの笑い声が響く。「終わる? 愚かな…迷宮は私の意志そのもの。教団の魂は、永遠に私のものだ」
美咲が震える。
「カズヤ…アキラの弟子だったの? どうして…まだ続けるの?」
佐藤が教団の日記を握り、言う。「カズヤはアキラの右腕だった。儀式の失敗後、彼の魂が鏡に封じられた。アキラの意志を継ぎ、迷宮を再構築しようとしている」
鏡が揺れ、信者たちの顔が現れる。
「カズヤ…我々の指導者…楽園へ…」
4.
悠真はナイフを構え、叫ぶ。
「カズヤ! お前の呪いは終わる! 教団の魂を解放する!」
だが、カズヤの幻影が嘲笑う。「解放? 彼らは私の楽園を望む。お前たちの血で、迷宮は完成する」。
突然、鏡の破片が浮かび上がり、3人を囲む。悠真の腕をかすめ、血が滴る。美咲が悲鳴を上げ、佐藤がナイフで破片を弾く。
「心を一つにしろ! カズヤの意志に負けるな!」
悠真の脳裏に、彩花の声。「ゆうま…助けて…」
美咲の鏡には、裏切った友人の顔。「みさき…嘘つき…」
佐藤の鏡には、亮太。「恭司…お前が…殺した…」
だが、亮太の幻影が異なる動きを見せる。白い目が消え、悲しげな表情。「恭司…俺を…解放してくれ…」
佐藤が叫ぶ。「亮太! お前…まだそこにいるのか!?」
亮太の幻影が囁く。「カズヤに…縛られている。教団の魂も…同じだ。名前を…呼んでくれ…」
悠真が叫ぶ。「名前? どういうことだ!?」
佐藤が日記をめくり、叫ぶ。
「教団の記録だ! 『魂を解放するには、名前を呼び、悔恨を癒す』。信者たちの名前を…一人一人呼ぶんだ!」
5.
3人は祭壇の前に立ち、鏡に向かう。悠真が日記の名簿を読み上げる。
「田中清…山本花子…佐々木健…お前たちの魂を解放する!」
美咲が震えながら続ける。「高橋美和…中村亮…悔恨を癒す…自由になれ!」
佐藤が叫ぶ。「亮太…お前もだ! 俺は…お前を救う!」
信者たちの顔が鏡に映り、一人一人が光となって消える。だが、カズヤの幻影が咆哮する。
「やめなさい…私の楽園…!」
悠真はナイフで掌を切り、血を祭壇に塗る。「カズヤ! お前の意志は終わる!」
美咲が血を鏡に塗り、叫ぶ。
「教団の魂! もう自由だ!」
佐藤が教団の聖句を逆詠唱する。
「光の集団よ、闇に還れ! 永遠の門は閉じる!」
鏡が揺れ、符咒が光る。カズヤの叫び声が響く。
「私の意志…永遠…!」
突然、祭壇が崩れ、鏡が砕ける。光が爆発し、3人の視界が白く染まる。
6.
光が収まり、3人は霧月寺の地下室に倒れていた。祭壇は粉々に砕け、鏡は灰と化す。ささやきは聞こえない。
「終わった…?」 美咲が震えながら呟く。
佐藤が頷く。
「最後の鏡を壊した。カズヤの魂も、教団の魂も解放された。呪いは…終わった」
悠真は掌の傷を見た。血が止まり、傷は浅い。だが、心の傷は深い。彩花の記憶、瑠璃の涙、アキラの意志、亮太の幻影。全てが、胸に残る。
「俺たちは…生き延びた」 悠真が呟く。
美咲が涙を拭い、頷く。
「瑠璃も…亮太も…みんな、自由になったんだね」
佐藤が日記を閉じ、呟く。
「教団の罪は、誰も救わなかった。だが、俺たちは…前に進める」
3人は寺院を後にした。朝日が、霧を貫き、境内を照らす。振り返ると、地下室の入口は静かに佇む。鏡の気配は、完全に消えていた。
7.
数か月後、悠真は大学に戻り、日常を取り戻していた。美咲は地元でカウンセラーの仕事を始め、佐藤は民俗学の研究を続けている。3人は時折連絡を取り、霧谷町の記憶を共有する。
ある夜、悠真はアパートの洗面所で顔を洗う。鏡に映る自分の顔は、普通だ。彩花の声も、ささやきも聞こえない。だが、鏡の端に、微かな影が揺れた気がした。
「気のせい…だろ」
悠真は笑い、電気を消す。だが、心の奥で、微かなざわめきが残る。
遠く、別の町。古い骨董品店の奥に、埃をかぶった鏡。符咒はない。表面も静かだ。だが、夜の闇の中で、微かに光が揺れる。
ささやきは……聞こえない。