第11話 残響の呪い
1.
洋館を後にして1週間。悠真は東京のアパートに戻り、日常を取り戻そうとしていた。だが、心の奥に刻まれた恐怖は消えない。白石瑠璃の瞳のない目、創設者アキラの赤い目、迷宮の無数の鏡。あの7日間の記憶が、夜ごとに悪夢となって蘇る。
アパートの小さな鏡に映る自分の顔が、時折歪んで見える。姉・彩花の声が、頭の奥で響く。
「ゆうま…なぜ…?」 悠真は目を閉じ、深呼吸する。
「もう終わった…迷宮は閉じたんだ…」
美咲からのメッセージが届く。
「悠真、最近変な夢見る? なんか…まだ気配感じるんだよね」。
彼女の軽い文面にも、不安が滲む。佐藤からも連絡。
「あの洋館、調べ直してる。まだ何か残ってるかもしれない」。
悠真は胸のざわめきを抑え、返信を打つ。
「ただの後遺症だろ。もう終わったよ」。
だが、言葉とは裏腹に、確信が持てない。洋館を出た日、鏡の奥で揺れた無数の影。教団の信者たちのささやき。「あなたたち…私たちと…一緒に…」。
その夜、悠真は再び悪夢を見た。迷宮の廊下。鏡に映る瑠璃の姿。だが、彼女の背後に、アキラの影。そして、別の声。「ゆうま…まだ…終わらない…」。
目が覚めると、部屋の鏡が微かに揺れている。ガラスが波打ち、遠くでささやきが聞こえる。
「ゆうま…見つけた…」
2.
翌朝、悠真は美咲と佐藤に連絡を取り、喫茶店で会った。美咲は目の下にクマを作り、佐藤は疲れた顔で分厚いファイルを抱えている。
「悠真、やっぱり変だよ」 美咲が声を潜める。
「この1週間、鏡を見るたびに…何かいる。影とか、ささやきとか」
佐藤がファイルを広げ、言う。
「俺もだ。洋館の資料を調べ直した。教団『光の集団』の記録に、気になる記述があった。『迷宮は閉じても、魂の残響は残る。呪いは新たな宿主を求める』」。
悠真の背筋が冷える。
「新たな宿主…? 俺たちってこと?」
佐藤が頷く。「アキラの意志は断ち切った。瑠璃の魂も解放したはずだ。だが、迷宮に閉じ込められた他の魂…教団の信者たちが、まだ残っている可能性がある」。
美咲が震える。「じゃあ…私たち、呪いから逃げられてないの?」
佐藤がファイルを指差す。「教団の儀式は、複数の鏡に魂を分散させた。アキラは中心だったが、他の鏡がまだどこかに存在する。洋館の鏡は壊したが…別の場所に、呪いの残滓があるかもしれない」
悠真は思い出す。洋館を出る前、ひび割れた鏡の奥で揺れた無数の影。あのささやきは、瑠璃やアキラだけではなかった。
その夜、悠真のアパートで、鏡が再び波打つ。ガラスに映るのは、自分の顔ではない。見知らぬ女。白い服ではないが、目が白く、口元が不気味に笑う。
「ゆうま…私たち…まだ…ここに…」
3.
翌日、3人は佐藤の提案で、地元の古物商を訪ねた。洋館の鏡がどこから来たのか、調べるためだ。古物商の老人は、埃だらけの帳簿をめくり、呟く。
「あの洋館の鏡? ああ、1950年代に、教団が持ち込んだものだ。だが、全部は洋館にない。一部は他の場所に売られた」。
「他の場所?」 悠真が問う。
老人は目を細める。「地元の神社の蔵。博物館の倉庫。あと…個人収集家の手に渡ったものもある。教団の遺品は、呪われていると噂されてたが、金になるからな」
佐藤がメモを取る。「その個人収集家、誰だ?」
老人は首を振る。
「名前は知らん。だが、10年前、若い男が同じ質問に来た。そいつも、鏡に取り憑かれてたみたいだった」
悠真の胸が締め付けられる。10年前…佐藤の親友、亮太か?
その夜、3人は地元の神社に向かった。古い蔵の扉は錆びつき、鍵がかかっている。佐藤がバールでこじ開けると、埃とカビの匂いが広がる。奥に、古い鏡。洋館のものと同じ、複雑な符咒が刻まれた木枠。
「これ…あの鏡と同じだ」 美咲が震える。
悠真が近づくと、鏡の表面が波打つ。そこに映るのは、教団の信者たち。無数の顔。白い目。ささやきが響く。
「ゆうま…みさき…恭司…私たち…まだ…ここに…」。
突然、鏡が光を放ち、3人の視界が暗くなる。迷宮の廊下が再び現れる。
4.
無数の鏡が並ぶ廊下。壁は黒く、足元は冷たい。ささやきが、頭の奥で響く。
「あなたたち…私たちと…一緒に…」
悠真はナイフを握り、叫んだ。「もう終わりだ! 迷宮は閉じた!」
だが、佐藤が首を振る。
「違う。この鏡は、教団の魂の残滓だ。アキラの意志がなくなっても、信者たちの魂が呪いを繋いでいる」
美咲が泣きながら叫ぶ。
「どうすればいいの!? また血が必要なの!?」
鏡が揺れ、信者たちの姿が現れる。男、女、子供。無数の白い目が、3人を貫く。
「血…魂…私たちの楽園…」
悠真の脳裏に、彩花の声。「ゆうま…助けて…」。美咲の鏡には、裏切った友人の顔。佐藤の鏡には、亮太。
「恭司…お前が…殺した…」
佐藤が叫ぶ。
「心を一つにしろ! 魂の残響に負けるな!」
悠真は目を閉じ、彩花の声を振り切る。
「姉貴…俺は…お前を忘れない。でも、俺は生きる!」
美咲も叫ぶ。「ごめん…過去は変えられない! でも、私は…今を生きる!」
佐藤がナイフを握り、亮太の幻影に叫ぶ。
「亮太…俺は…お前を救えなかった。でも、俺は進む!」
3人の声が重なり、鏡が揺れる。信者たちのささやきが途切れ、廊下が揺らぐ。だが、奥から新たな影が現れる。黒いローブではない。普通の服を着た、若い男。
「亮太…?」 佐藤が硬直する。
男が笑う。「恭司…お前も…ここに来たか…」
5.
亮太の幻影が、鏡からゆっくりと現れる。
「恭司…俺は…迷宮にいる。お前も…来い…」
佐藤が叫ぶ。
「亮太! お前は死んだ! これは…幻だ!」
だが、亮太の目が白く光る。
「死? 違う…俺は…迷宮の一部だ。教団の魂…全て…ここに…」
悠真はナイフを構え、叫んだ。
「亮太! もう終わりだ! 迷宮は閉じた!」
亮太の笑い声が響く。「閉じた? 違う…迷宮は…広がる…お前たちが…新たな宿主だ…」
突然、鏡が一斉に光を放ち、3人の視界が白く染まる。目を開けると、彼らは神社の蔵に戻っていた。鏡はひび割れ、静かだ。
「今…何だった?」 美咲が震える。
佐藤が呟く。
「呪いの残響だ。教団の魂が、別の鏡に移っている。俺たちが洋館を脱出したことで、呪いが…広がった」
悠真は拳を握る。「広がった? じゃあ…他の人も…?」
佐藤が頷く。
「教団の魂は、新たな宿主を求める。俺たちが…呪いを運んだ可能性がある」
その夜、悠真のアパートの鏡が再び波打つ。そこに映るのは、亮太の顔。そして、教団の信者たち。無数の白い目。
「ゆうま…みさき…恭司…私たち…まだ…ここに…」
鏡が光を放ち、部屋が暗くなる。ささやきが響く。
「新たな宿主…見つけた…」
6.
翌日、3人は博物館の倉庫を訪れた。古物商の情報通り、教団の鏡がそこにある。埃だらけの倉庫の奥に、洋館と同じ符咒の鏡。表面が波打ち、ささやきが響く。「ゆうま…みさき…恭司…来なさい… 」
悠真はナイフを握り、叫んだ。
「もう終わりだ! 教団の魂! お前たちを解放する!」
佐藤が呟く。「儀式の逆転を、もう一度。だが…血が必要だ」
美咲が震える。「また…私たちの血?」
突然、鏡が光を放ち、亮太の幻影が現れる。
「恭司…お前が…俺をここに閉じ込めた…」
佐藤が叫ぶ。「違う! 俺は…お前を救えなかっただけだ!」
鏡の破片が浮かび上がり、3人を囲む。悠真の腕をかすめ、血が滴る。美咲が悲鳴を上げ、佐藤がナイフを振り上げる。「今だ! 儀式を完成させる!」
悠真は血を鏡に塗り、叫んだ。
「教団の魂! 迷宮は終わる! 解放されろ!」
鏡が砕け、光が爆発する。ささやきが止み、倉庫が静まる。
「終わった…?」 美咲が震える。
佐藤が首を振る。「まだだ。他の鏡が…まだどこかにある」。
その夜、悠真のスマートフォンに、見知らぬ番号からメッセージ。
「鏡…見つけた…助けて…」
悠真の背筋が凍る。呪いは、広がっている。