7.数を数える
まぁ、今夜は月が綺麗ですこと。
天で輝く月を見上げてていた李殊はゆっくりと視線を下ろす。目の前の安は黙々と歩いていて、その背中をその黒い瞳でじっと見つめ観察する。
彼女はずっと何か考え込んでいるようだ。
心ここにあらず、という所でしょうか。
もしかすると李殊がいる事も頭から抜け落ちてしまっているのかもしれない。
しかし、花紅宮まで来ると安は打って変わったように表情を引き締めた。そこは異様に監視の目が多かったからだ。
二人は茂みに隠れ、周囲の様子を伺う。
まず部屋の前には二人の武官が立っており、強い存在感を放っていた。
そして部屋の周囲にはあちらこちらに人の気配を感じた。それも一人、二人ではない。何人かの武官が部屋の周りを巡回しているようだ。
重々しい空気に息が詰まりそうですわ。
ふぅ、と小さくため息をつく。
おまけに深夜の暗さが後押しをして、うっすらと立ち尽くす人影は不気味でしかなく、高貴な者の部屋というよりも何かいわくのある部屋のよう。
隣に並んで隠れる安は門番を警戒したまま、声を潜めて話し始めた。
「騒動の後、主上は急に魏妃に見張りをつけました。部屋の前には常に門番のように武官が立ちはだかり、部屋の周りは武官が一日中巡回をしてしている。部屋から出る事を許さず、どこにも行かせないようにしたのです」
「たかだか妃一人にどうしてこんなにも武官をつけているのでしょう?」
「それは…⋯魏妃が『奇異たる一族』だからでしょうか?」
奇異たる一族ならば何を仕出かすか分からない、と言う事か。安は魏妃が逃げ出さないように見張っているように見えるようだ。
しかし李殊にはこの光景は違って見えた。
何を、探している?
巡回の武官たちは目を凝らして辺りを見渡している。それが李殊の目には何かを探しているように見えるのだ。
見張るのならば魏妃に警戒が向けられる筈だが、魏妃ではないものに警戒を向けている。
何か、とは恐らく動く物。それは猫か、犬か、はたまた鳥か。魏妃を閉じ込め、その何かを捕獲しようとしているのではないか、と李殊は考えた。
さしずめ魏妃は鼠捕りの餌のようですわ。
「……鼠……?」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ。それよりも裏手の方へ回ってみましょう」
これは何かあるのは確かで、二人は部屋の裏手へと回った。
流石に警備の目はなかったが、今はたまたま誰もいないだけで、安によれば武官は巡回する経路に含まれていると言う。
「これでは魏妃の元には行けませんが、どうするおつもりですか?」
「行く手だてはありますよ」
李殊は部屋の方へと指を指す。そこには小さな丸窓がある。
「まさかあの窓から入るとでも?小さな子供なら潜り込めるかもしれませんが、流石に大人は……」
「安殿。少し目を瞑って頂けますか?そうですね、ゆっくりと三つ数を数えたら目を開けても構いませんわ」
「何を急に?」
「良いから、早くしないと巡回の武官が来てしまいますわ」
そう急かせば、安は納得しないままも目を瞑る。そして渋々と数を数え始めた。
「一つ……」
月に重い雲がかかる。あんなにも明るかった地上が一気に闇に包まれて、辺りは真っ暗になってしまった。
同じくして、何処からもなく微かに風が吹いて、安の髪を揺らした。
「二つ……」
静寂の中、ばさばさと鳥が飛び立つ羽の音が聞こえた。
こんな夜更けにどこかの木から鳥が旅立ったのか、確かに羽音が聞こえた。
「三つ…⋯」
言われるがまま数を数え終えた安は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
丁度月を覆っていた雲が流れて行き、隠されていた月が姿を現して、辺りが照らされていく。
「……いない」
李殊が忽然と姿を消しいて、安は目を丸くした。
まさか、と直ぐ様小窓へと目を向ける。しかし窓をよじ登る女の姿などない。
「彼女は一体……!?」
その問いに答えられる者は誰もいない。




