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小椋①

「ねー、お腹すいたー」

「そうだな。どっか、店に入ろうか?」

 とある日曜日の正午過ぎ。それほど大きくない駅近くの、人通りはやや多いくらいの路上で、ともに二十代前半の恋人と思しき男女がそう口にしたところ、彼らよりいくらか年上そうである、そばにいた男性が声をかけた。

「だったら少し先に、いいお店がありますよ」

「え?」

 突然見知らぬ人間に話しかけられて、二人は身構えた。しかし温和でまともな雰囲気の男性を見てすぐにリラックスした状態に戻り、カップルの男のほうが尋ねた。

「そんなにおいしいんですか?」

「まあ、高級なレストランとかではないので、そういうお店がお望みなら薦めませんが、普通にご飯を食べるのであれば悪くないと思います」

 カップルは顔を見合わせ、「どうする?」などと小声で相談を始めた。

「何料理のお店なんですか?」

 また男のほうが質問した。

「えっと、和食ですね。定食が多い、庶民的なご飯屋さんです」

 二人は再び話し合い、女のほうが「別にいいけど」とつぶやいた。

「じゃあ、とりあえず行ってみようかな。どこですか?」

 男が言うと、男性は喜んだ顔になり、「すぐそこだから案内しますよ」と二人を連れていった。

「ここです」

「え?」

 カップルは唖然となった。想像していた以上に庶民的、というか、はっきり言えば足を踏み入れたいとはまったく思えない、ひどく年季が入った外観の店だったのだ。

「ねー、あの店おいしそう」

 とっさに女が近くの中華料理店を指さした。

「なんか中華が食べたくなっちゃった。あそこにしよー?」

 女は男にねだる感じでしゃべった。

「わかったよ。すみません、こう言ってるもんで」

「ああ。もちろんいいですよ、お構いなく」

 男性は笑顔で二人を見送ったが、姿が見えなくなると落胆した表情になり、案内した店の扉を開けた。

「いらっしゃい……何だ、史明か。どうかしたのかい? 冴えない顔して」

 その店の主の佳枝が問うた。

「今、道端でご飯を食べようって話してた若いカップルにここを勧めたんですけど、もうちょっとのところで別の店に決められちゃいまして」

「あら、わざわざそんなことしてくれなくていいのに。本当は、こんなボロい店なんか紹介するなって、文句を言われたんじゃないのかい?」

「そんなことないですよ」

 史明は空いている席に、といっても客は数えるほどしかいないけれども、腰を下ろした。

 この店は「みやけ食堂」といい、史明が大学に進学するのに伴い住み始めた東京郊外のアパートのそばにあり、彼がそのタイミングから通っておよそ十年が経つ。

 一人で店を切り盛りしている佳枝は、おそらく史明の親くらいの歳だ。おそらくというのは、最初の来店時に「おばさん」と口にした際に「おばさんなんて嫌だから、佳枝と呼んどくれ」と返されたことで名前は知ったものの、年齢など他の個人情報は長い付き合いになるのに一切教えてくれないのだ。店名の「みやけ」が名字だろうと思うが、それさえも確実ではなく、これまでした会話などから独身のようだけれども、夫と死別したのか、離婚したのか、あるいはずっと独りなのか、もわからない。しかし、子どもはいる気がする。たった今そうだったように、史明が浮かない気持ちでいるとか、所持金が少なくて困っているなどを、いつも的確に察知して、料金をまけてくれたり、ぶっきらぼうだが本当の母親のような温かさがあって居心地が良く、だから卒業後に引っ越したけどもあまり離れた場所にはしないで、社会人になった現在も変わらずこの店に頻繁に食事をしにきているのである。


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