だから、私は何もしなかった
私が前世を思い出したのは多分お話の世界ではよくある、幼少期に高熱を出した時だった。
そしてこの世界が私の知っている異世界と呼ばれる場所によく似ていることに気が付いた。
ちゃんと全部の作品を覚えている訳じゃないけれど特定の作品の登場人物に転生したという感じはしなかった。
私の様な名前のキャラクターは知らないし、思い当たるタイトルも無い。
けれど、悪役令嬢や、特別な力を持ったヒロインが出てきそうなそんな世界だなと思った。
そして、多分私は悪役令嬢になりそうなポジションだった。
だけど、私は何もしなかった。
何もするつもりもなかった。
普通に貴族として、魔法使いとして暮らし、勉強に励むだけだった。
だって、この世界が悪役令嬢がざまあされる世界だとは思えなかったからだ。
魔法使いがいて、貴族がいるというだけで酷い目にあわされるとは限らない。
だけど、前世の話をしようとは思わなかった。
次にあれ?と思ったのは“学園”に入ってからだ。
私は侯爵令嬢だったため王族の婚約者がいた。
それはこの世界にとって当たり前のことだった。
その婚約者が魔法が使えるようになったという事で入学してきた平民の女性と懇意にしているらしい。
その平民がいずれ下級貴族になるのだろうことはわかっているけれど、その時になって、ようやく、もしかしてこれは前世で読んだお話の様な世界なのでは!?と思った。
しかも婚約破棄物の!!
けれど、私は何もしなかった。
する必要があるとは思えなかった。
だって、この世界に追放だの修道院送りだの、それこそ死罪だのそんなものがあるとは思えなかったからだ。
この世界は特殊だ。
違うのかもしれない。
魔法のある世界というものはこういうものなのかもしれないとも思う。
何かあった時に全てを魔法に頼ることが当たり前になってしまった世界。
飢饉があった時、疫病があった時民は魔法使いに頭を下げるしかない。
渇水の際は水魔法が、土壌改良は土魔法が担ってきた。
農業が、医療が、それ以外の様々なものが魔法使いがいないと成り立たないのだ。
強い魔法使いは概ね功績を上げる。功績を上げれば貴族になる。
貴族である魔法使いがいなければ人々は生きていけない仕組みがこの国では完成してしまっている。
そこで国王が愚かだとか、王太子が婚約破棄でやらかしたとか。
そんなことで仕組みが変わることはない。
国のトップを挿げ替えて別の魔法使いの地位がより上がることはあるけれど、貴族が、魔法使いが国を治める。その仕組みは多分きっと変わらない。
魔法使いにとって、魔法を使うことに利益が無ければ、魔法は使ってもらえない。
魔法なしで同じ水準の生活を営むためには後百年あっても難しいかもしれない。
そんな中で貴族のいない世界でみんなで協力した暮らしができると、私には思えない。
数百年沢山の犠牲を出してくださいなんて、言える人間は恐らくまともではない。
“そんなもの民が許す訳がない”も“民からの信頼を失った貴族は”という前提もこの仕組みの上では成り立たないのだ。
魔法使いたる貴族がいないとそもそも生活ができないのだから。
この国を作った始祖は高名な魔法使いだったという。
そこまで考えて、この仕組みを作ったのならそれは恐ろしい事だとさえ思う。
民が頭を下げて、魔法使いが魔法を使う。
けれど限度がある。
魔法使いの人数が少なくなればできることが少なくなってしまう。
だから、めったなことで魔法使いは殺されない。
だから、魔法使いは早くに番う相手を決めることになる。
次の世代の魔法使いを生み出すために。
幸い私の家はそれなりに魔法の力を安定して使える家系で、私は次世代を生み出す貴族として欠かせないこの仕組みの一つだった。
だから、まるでお話の中の様な事が起きてしまっても、私は何もしなかった。
* * *
「レイア・アソーカ侯爵令嬢!! 貴様との婚約は破棄させてもらう」
けれど、さすがにこんな風に舞踏会で婚約破棄を宣言されるとは思わなかった。
とは言え、それでも私は何もするつもりは無いけれど。
目の前の王子殿下は私がついこの間男爵令嬢となった女をいじめただの、それが許されざることだの言っている。
実際は事実無根だ。
だけど、それが事実だったとして、この世界でどれだけの意味がある。
大した魔法も使えない娘を魔法使いである私がいじめたとしても残念だけどこの世界ではおそらくお咎めは無い。
「お前は国外追放だ!!!」
そんなことになる筈が無いのは周りの誰もが知っている。
魔法使い達がひそひそと耳打ちをしている。
そんなよその国に貴重な魔法使いを送るような馬鹿な真似は普通思い浮かばない。
魔法使いであることでこの国が回っていることを目の前の馬鹿王子はまるで理解していないのか。
目の前の男爵令嬢の肩をぎゅっと抱き寄せる王子を見て私はそう思った。
* * *
「で、結局君は僕のお嫁さんになるって事かあ」
目の前の新しい婚約者がクッキーをかじった後そう言った。
少しお行儀の悪いその態度は他の上品な仕草や見た目にかき消されてあまり気にならない。
当然私は国外追放なんてされていないし、修道院になんて行っていない。
大人たちがうまい具合にあれこれをした結果新しい婚約者をあてがわれただけだ。
ここはそういう世界だ。
きっと能力というものが目に見えて分かる世界で、能力のある者だけが政治に関わっている世界はみんなそうなのかもしれない。
王子と男爵令嬢がどうなったのかは知らない。けれど、国外追放にするなんてそんな危険なことはしないだろうし、強制労働と称して平民の中に入るようなこともさせていないだろう。
そんな危険なことはしない。
平民にもてはやされて違う価値観を生み出されても困るから。
幸い新しい婚約者は周りから後ろ指を指されるような人ではないし、この国のあり方をよく理解している人だ。
「まあ、能力がある人間が評価されるっていうのはいい事だと思うよ」
結婚の準備を進める上で、ぽろっと前世のことを言った。
嘘つきと言われるか、ホラと笑われるかと思ったけれど、この人は普通に受け入れてくれた。
その上で私を魔法使いの伴侶として尊重してくれている。
そんな人だ。
「この国はずっとこのままだと思いますか?」
将来を期待されている彼にこんなことを聞くのは良くないのかもしれない。
私自身その仕組みに助けられたのに、前世の記憶がどうしても違和感を訴えてしまう。
「魔法使いが今よりもっと生まれづらくなって行って数を下回るか……、それかみんながもっと簡単な方法で魔法が使えるようになる世界になれば……ってところかな」
そう言いながら彼は小さな石ころの様なものを取り出した。
宝石よりも濁っていて装飾品としては価値がなさそうなそれは今彼が研究をしているものだ。
「割と今回は上手くいったよ」
彼の研究対象。魔法使いでなくても使える魔道具、の試作品の一つだ。
これは音声を送るためのもの、らしい。
送れる音声の品質は魔法のそれとも、私の前世であった録音機能に比べてもかなり劣る。
けれどそれを楽しそうに語る婚約者を見ているのは楽しい。
「大丈夫だよ」
そう言って彼は笑顔を浮かべた。
「これが完成するのはもっとずっと先で、少なくとも僕たちの孫の世代位までは安泰だよ」
だから、君は何も怖がらず、今まで通り魔法の研究を進めればいいよ。
そう付け加えて。
この世界は魔法使いが回している。だから私はいつも通り何もしない。
今日もこれからも。
魔法使いとして生き、勉強を重ねるだけだ。