最近の価値観の変化など、世界情勢などを交えて考察したいと思います
まず戦争が多すぎる、発火してない火種だけでも多いと感じる、火種というより火薬庫とか形容・表現するらしい。
なぜ何もしなくても、ネットがあれば凄まじく幸福な状態になれるのに、前時代的な戦争が起こるのか?
それは勿論のこと、戦争を望む奴らがいるからだが、他にも要因はある。
まず世界中が戦争状態になって、高みの見物がしたい奴ら、これは世界人口の大部分が、そうだ。
人間は他人が不幸なら、自らの幸福を強く感じれるのだから、幸福追求権として、これは否定はできない人間の心理だ。
次に、世の中が腐ってて、徴兵されたり、ブラック企業に働いてたり、ブラック国家に強制的に従事されている人。
こんな人は前述の思考に陥るのは当然として、もっと積極的に世界を全体的に不幸にしたいと思うだろう。
なぜなら自分だけが不幸なのは、社会性と共感して欲しいという承認欲求などを合わせて持つ人間にとって、耐えがたいモノだから。
常に死んだ方がマシな人生を、歩むことを強制されているような、そんな有様なら、これは当然の帰結行為だ。
他に、これから先の世界には、純粋に、人間がいらなくなった、からだ。
厳密には、低能で低スペック、頭の悪い人間がたくさん存在するのは、リスクでしかないからだ。
既にリスクは顕在化していて、世界中で戦争が起こりまくっているようだ、ようは不幸な大多数の人間は、いなくなってくれた方が良いのだ。
そして戦争が起こりまくれば、暗い未来に子孫を残そうと思う人もいなくなるので、二重の意味で良い感じになるのだろうと予測している。
そもそもの所、不幸な人間を生み出す、社会や世界の構造が多すぎるのも、非常にデカい問題の根底・根本原因だ。
例えば、今という現代社会を生み出すのに、粉骨砕身で尽力しまくった、偉大なる功績者、老人が、世界中で多すぎるほど多くなった。
彼らに豊かな生活を提供し、肉体的・精神的に負荷の高い、辛い労働をしなくても、つまり働かなくても生きていけるように、する必要が出てきた。
この為に、若者が搾取され、不幸にされているとか、まあ普通にある流れだ。
これは世界中である流れで、世の中や社会や国家が腐り果てる原因だ、既得権益が無尽蔵に肥大化して、勝ち組が確固たるモノになる奴だろう。
そして不幸な奴らを量産しても、直ぐにはデメリットは顕在しない、というよりも、不幸を生み出した張本人が不利益をうける事は少ないだろう。
若者を搾取して金を稼ぎまくっても、稼いだ本人は大して痛くない、若者を使い捨てて、長期的に国家が没落するだけだからだ。
まあコレも人がいらなくなるほど発展確実なので、既にどうでもいい問題だ、免罪符は既に切られているような問題だ。
他にも、世の中が一つに纏まる、纏まり易くなる要素が多くなり過ぎた。
ネットの発達、コミュニケーションの全体的な発達、とにかく、人と人が繋がり合う、それも強固に確実に、そういうのが多くなった。
これによって、市場が独占状態になり易くなった、トップ層が手をとりあって、馴れ合いの談合、ねんごろ状態になるのが、トップ層にとっては確実に良いからだ。
トップ層は、金持ちな奴らは、毎日楽しく金使いまくって、火星に行ったり、美食三昧とか、世の中を真により良くしたいとも思わんし、変えたいとも思わないわけで。
こういう奴らが手を取って、結託して、自分達の地位や名声、財産を恒久的に確実なモノにして、仲間や身内を強固に固めて、それ以外を自分達とは違う、非人間と定義するような流れは、
現代社会を生きる人間には、確実にある流れだろう、自分の都合で他人を非人間と定義して、無意味・無価値として、利用して搾取して、殺すことも厭わない。
アメリカ開拓時代に、アメリカ先住民を、非人間として定義して、撃ち殺しまくったような歴史があるだろう、つまりはそういうことだ。
だから戦争でも何でも利用して、世界が一つに纏まり、市場が独占状態になる事を、なんとしても阻止しないと駄目なのだ。
それにとり、戦争は最も有効なアプローチなのかもしれない。
トップ層が結託しようとしても、愛する存在を殺されたとか、そういうので、トップ層が手をとりあって、馴れ合いの結託を絶対にしない流れができれば、これほど良い事はない。
そしてトップ層の大企業同士が、身を切る改革をして、お互いが戦うような感じになれば、組織は戦いの為に、必然的に新陳代謝して、利権や既得権益が凝り固まらないようになる。
まあ、とにかく、世界をバランスよく維持してくために、常に戦争が起こりえる土壌を、ひたすらに大事にしたいというのは、良く考えれば分かる話なのだ。
争いの火種も、人と人の確執がないのも、それはそれで全く良くない事であり、むしろ、そうあれと、世界のどこかの誰かが言っているのが聞こえてくるかのようだ。
つまるところ、そういう生贄や犠牲になるのを、誰に、どこにするのか、常に見定められている、というのも、自覚しなくちゃいけない。
コイツなら、この国家なら、いじめられっ子のように、犠牲にしても、いいだろう、大丈夫だろうと、そう思われては、絶対にいけないと言うわけだ、これは現代社会・世界情勢を見る上で大事そうだ。
コイツなら世界のバランスを維持する為に、尊い犠牲にしても良いだろうと、そう思われてはいけないという事だ。
例えば、経済力が低い、老人が多すぎて将来性がない、外交が下手で外国に対して影響力も発言力も好感度も低いとか、犠牲にされ易くなる要素は幾らでも考えつくが。
付加価値を生み出していないとか、生み出せる将来的な余地もないとか、まあ端的に纏めて言えば、その国家の潜在的なモノも含めた総合的な国力を、見られるという所だろうか。
まあ、そんな話はいい加減、長々とし過ぎたのでよいとして、閑話休題する。
最近は世界で戦争っぽいのが起こり過ぎて、起こりまくっている位だと、なんとなく感じたのである。
このままでは、戦争なんて、起こって当たり前、資本主義の限界で、市場を独占状態にしない為に、世界中で戦争が起こってた方が、むしろ良いまである、
みたいな歪な状態になるんじゃないかと思う。
そして、その犠牲になるのは底辺で、むしろ働きアリの底辺、働かない、ならまだ良いのだが、人間の場合は、不幸を連鎖される底辺大家族や、反グレ、不良、ヤクザ、普通にただの犯罪者でしかないクソ屑を大量産する。
まあこれは言うなら、世界の歪みの元凶なのだが、それを戦争という大義名分で、綺麗さっぱり存在を無くせる、それくらいの勢いはある、あった。
某紛争?で、刑務所の受刑者を最前線に強制徴兵して、送ったり、同時にそれによって犯罪抑止効果を見込めるとか、いろいろあるのだろうが、実際にそういう事は事実として、あったようだし。
戦争を肯定するわけじゃないが、戦争を起こすことで、これだけ利益とメリット、世界の均衡とバランスを保ちやすくなる要素を上げられたら、流石に抵抗し続けるのは難しくなるだろう、現に日本も変わってきている。
これはまんま、資本主義を肯定するわけじゃないが、社会主義を肯定できないので、必然的に残った選択肢が資本主義と似たような匂いがする、これも消去法で選ばれてしまう選択肢な気がして、非常にならない。
とにかく、世の中は不幸な人間を無くすことに尽力するべきだと、思うわけだ。
そんなのは当然なのだが、一部の、いや大部分かもしれないが、不幸な人間が居れば、誰もやりたがらない下働きやクソ雑用、その他、面倒な全てを馬鹿な無意味・無価値な奴らに放り投げられる。
彼らはアメリカ先住民のように見られていると思う、
底辺大家族やスラム出身で、学がそもそもないから、同じ人間として見なくて済む、犠牲にしても心が痛まないような、そんな腐った構造を平然と維持してる癖に、自ら生み出した癖に、免罪符が最初からあるタイプ。
とかく、そういうのは戦争が起きるから、起こすからやめろと、底辺の奴らも世界中で決起して、反抗しているという所か、これによって上の連中も身の振り方を、よく考える必要性が出てきた感じ。
だから、今まで平然と見捨てられてた地域や国家を、真に救う時がきたのだと、そう見れなくもない。
アフリカの子供たちに募金とか、もう30年くらい?いつまで言ってんだと、お前らが本気を出せば、別に救えるけど、最初から真に救う気はないのだろうと、ツッコミ入れたくなる事案が世界には腐るほど、本当にある。
もちろん、分かり易い例だと
某隣のミサイルを撃ちまくってる国のように、あの国が存在する事で、どう考えても国際バランスが保たれているわけで、それで、あの国の国民が超絶に不幸でも、しらんぷりされているような奴がある。
あそこはまだ良いとして、他の地域だ、今までアフリカなど、50年以上も搾取され、恨み骨髄、植民地支配に、数えればキリがないほどだ、全人口が不幸と言っても過言じゃない、平均寿命も一部地域は40を割る。
いま話題の某国も、結局は同じで、全国民が無敵の人間、貯金も0であったらしい。
とにかく不幸な人間を作らない事が大事なのだ、不幸な人間を作れば、それに比例する位に、幸福にしないと、本人たちは絶対に満足しないし、矛を収めないからだ。
人間をどん底まで落として、搾取して、身も心もボロボロにするのは、いとも簡単だ、そしてあぶくゼニのように大金を稼いで、湯水のように浪費するのも簡単だ、だから世界中で平然と行われている日常茶判事の事だ。
そしてまあ、そういう事をやめるように言いたい、なぜなら戦争が起こるから、むしろ積極的に起こすつもりだから、
やめないなら世界を滅ぼす、第三次世界大戦を起こす、位には発展途上国の総意として根底に通底する価値観だろうとは思う。
そもそもよくよく考えれば、可笑しな話し、構図だとは思えなくもない。
例えば日本だが、地方と都会がある、地方は人材を都会に取られて、都会は優秀な人間が一杯集まって、発展して税収も一杯だ。
だからか、地方交付税や、ふるさと納税など、地方に送られる金もたくさんあったり、するだろう。
これを世界スケールでは、まったくやってないように見える、してたとしても、その金額は遥かに微少だろう。
もちろん、最近は日本が世界に率先して、そのような田舎と形容できる外国に、金をバラ撒きまくっているようだ、おそらく、このエッセイで述べたこと全て無関係ではないだろう、色々と繋がっていそうだ、そういう流れ。
しかし、このシステムは難しそうだ、世界を一つに纏め上げる必要がありそうだ、世界政府なんて絶対に作れないわけで、地方交付税的なシステムでの問題解決は難しそうだ。
他に思いつくのは、世界中がベーシックインカム的な事をするのも面白そうだ。
強制的に徴兵すれば戦争ができるわけで、戦争するような国家に人がいなくなれば、それで良いのだ、発想としては生活保護と変わらない。
無敵の人間にダイレクトアタックされたくないから、しょうがないから保護して金を与える奴だ。
戦争したい奴らも、人命が関わらないなら、もうそんなのは、ただのゲームだ、巨大なサバゲーを、莫大な金を掛けてやりたいなら、勝手にどうぞ、そんなの誰もやらないわけで、時期に下火になるだろう。
ようは人命が掛かって、その大量生産・大量消費を、前時代的な物質主義社会の、進化系のようなモンだと、そう見ることもできるだろう。
高度付加価値産業に転換し、唯物主義、宗教や唯一無二の高度な価値が肯定され、賞賛される世の中だ、社会だ、配信者など新しい業態や仕事もたくさん出てきた。
だから、その延長線上で、膨大な唯一無二の、人命というモノを消費する事で、
注目を、求心力を、発言力や影響力を得ようとする、例えるなら迷惑系配信者のようなモノだろう、まったく変わらないとまでは言えないかもしれないが。
とにかく、我々ができる事は、毎日コツコツと、各々の最善を尽くすことだけだ、世界がどうなるか、どのようになるか、変わるか、未だに暗中模索の状態である様に見えるのだった。