期待のエース
「あ~、それじゃあお前ら、今日から2人新入部員が入るからよろしくな。おい、2人とも」
「は、はい!!二年生の伊坂誠二っす!!スピードには自信ありまっす!!」
「同じく二年生の黒葉鶫です。マネージャーとして入部しますが、練習にも参加していくつもりです。よろしくお願いしますね」
時は流れて放課後。
オレたちはグラウンドでD組の担任兼顧問に促され、陸上部のメンバーに自己紹介をしていた。
少しどもったオレに比べ、昨日の開会式の演劇では棒読みだったはずの黒葉さんは淀みなくスラスラと言ってのけている。
「え?舞札祭も終わったのに、今から新入部員?」
「あの女の子、めっちゃ可愛いけど、昨日のオカ研で発表してた子だよな?」
「ああ、俺もオカ研の占いの館に行ったけど、あの子が部長だったような・・・」
「っていうか、隣の男の方はヤバすぎだろ。部活で汗流すよりタバコとかヤクとか吸ってそうな顔じゃん」
「あの伊坂ってヤツ、一昨日の体育祭でめちゃくちゃ速かったヤツだよな・・・確かにあれだけのステータスがあれば陸上部でも活躍できるだろうけど」
「顔がヤバい方もオカ研にいたぞ。女の子の方に声かけようとしたら睨まれて漏らしかけたわ」
「何やってんだよお前・・・」
反応は様々だが、黒葉さんの可愛さを嬉しく思うような声や、オレの顔面にビビってるヤツの気配がする。
しかしそれ以上に、『あの2人オカ研だよな?なんで陸上部に?』という疑問が大半を占めているようだ。
「お前たちの言いたいことはわかる。なんでこの中途半端な時期にオカ研の2人が陸上部に来たかってことだが・・・一昨日の体育祭での伊坂の走りを見たヤツいるだろ?あのとき、道上さんも来ててな。今日スカウトしたんだよ」
「「「あ~・・・」」」
陸上部の部員たちが示し合わせたように納得の滲んだ声を上げる。
オレの運動能力を見ていた部員もいたのだろうが、それ以上に道上さんの名前が大きいみたいだ。
たまに陸上部の練習を見に来ているということだし、人となりを知っている部員も多いのだろう。
オレをスカウトしてもおかしくないと思ったのかもしれない。
「あれ?それなら伊坂君はわかるけど、黒葉さんが来たのは?」
「道上さんなら伊坂をスカウトするのは分かるけど、黒葉さんまで誘うのはやらなそうだよな?」
「いや、マネージャーで入るって言ってるから、ガチでやるつもりではないんじゃないか?」
「俺は、あんな可愛い子がマネになってくれるんなら理由は何でもいい・・・!」
オレが来たのは理解できるが、いかにもインドア派の黒葉さんがここにいるのはなぜだ?といった感じの視線が黒葉さんに向かう。
・・・なんか変な視線が混じってるような気もするが。
(これ、オレが盾になった方がいいか?いや・・・)
「・・・大丈夫だよ」
一瞬、『黒葉さんがこんなに視線を浴びせられたらビビってしまうか?庇った方がいいか?』と思ったオレだったが、そんなオレの内心を悟ったかのように、オレの方を見て少しの間笑みを浮かべた黒葉さんが、手でオレを制止しながら一歩前に出た。
「あはは、お恥ずかしながら、オカ研はこの先は次の舞札祭まであまり活動がないんです。それなら、ワタシもご一緒させてもらおうって思ったんですよ。それに・・・」
そこで、黒葉さんはオレの方をチラリと見て。
「普段とってもお世話になってる誠二くんを応援したいなって思って・・・それなら、マネージャーになるのが一番だと考えたんです。ね?誠二くん?」
「え?あ、うん・・・」
急にオレに話を振ってくる黒葉さん。
咄嗟のことで反応しきれず、つい正直に答えてしまった。
「「「あ、ふ~ん・・・」」」
「「「チッ!!」」」
陸上部員の反応は綺麗に二分されていた。
何かを察したように生暖かい視線になるグループ(主に女子。一部彼女もちっぽい陽キャ男子)と、同じく何かを察したようだがオレを射殺さんばかりの眼で睨んでくるグループ(男子のみ)だ。
昨日の舞札祭でもオレを睨んでくる男子がいたが、彼らも同じ理由だろう。
度胸のある連中だとは思うが、変な暴走をしないか早速心配である。
だが、それよりも気にかかることがあった。
『・・・・・』
(いや、お前もさっきから何なんだその眼は。怖いんだけど・・・っていうか、白上さんに戻ってやれよ)
睨む男子に混じって、さっきから無表情の白上さん、ではなくツキコがいるのだが、妙なプレッシャーを放っている気がしてしょうがないのだ。
少し前、恋人を倒した後で改名してやろうか?と提案したときと似た感じだ。
普段口やかましいツキコだからこそ、無言でじっとこちらを見ているというのが地味に怖い。
というか、今は部活動の時間なのになぜまだツキコのままなのだろうか。
「あ~、とりあえずお前ら静かにしろ。まだ説明の途中なんだ・・・この2人だが、陸上部に来るのはひとまずインターハイまでってことになってる。あと、週一でオカ研の活動もすることになってるから、そこんところも覚えとけ」
「「「・・・・・」」」
担任がざわつく陸上部員たちを鎮めるついでにいろいろと説明をしてくれた。
まず、オレたちの所属は今のところインターハイまでの期限付き。
そして舞札高校のルールとして部活の掛け持ちはOKだが、その代わり週に最低一日は掛け持ちをしている両方の部活に顔を出さないといけないらしい。
だが、それを聞いて部員たちの一部が気に入らないことがあったかのように顔をしかめた。
(まあ、そりゃそうだよな。いきなり鳴り物入りで入ってきたのに他の部活と掛け持ちで練習に顔出せない日があって、しかもインハイまでって期限付きだもんな。やる気あるのかって思うか)
彼らがそういう顔をするのも無理はない。
オカ研で言えば、舞札祭の少し前に入ってきて、準備を手伝うのも中途半端なのに本番ではがっつり活躍したいと言っているようなものだ。
いくら偉い人のスカウトがあったとはいえ、舐められているように思われても仕方がないだろう。
自分たちは必死で練習をしているのに、大きな大会のためにわざわざ外からやる気のないヤツを連れてくるのかと、真面目に頑張っている人ほど腹立たしいかもしれない。
しかし、担任もそうなることは予想していたようだ。
「よし、お前らがなんとなく気に入らないと思うのはわかる。だから、手っ取り早く道上さんがこいつをスカウトした理由を見せてやろう・・・白上!!伊坂と走ってみろ。距離は200mだ」
『わかりました』
オレは運動部に所属したことはないが、スポーツが実力主義の世界であることくらいは知っている。
担任も、不満のある部員に特別待遇を納得させるために、オレの実力を見せつけることにしたらしい。
そして、オレの実力を示すには、生半可な相手では意味がない。
オレの相手に選ばれたのは、当然と言うべきか陸上部でもダントツの実力者である白上さん・・・に扮するツキコだ。
担任に呼ばれて、それまで白上さんに似合わない無表情をしていたツキコが、爽やかな笑顔とともにハキハキと活力に溢れる声で返事をする。
・・・悔しいが、今のツキコは白上さんと極めて酷似していると、二年生になってから白上さんを観察し続けていた白上さんの専門家を自負するオレとしても認めざるを得なかった。
(誠二くん、なんか気持ち悪いこと考えてる・・・)
(誠二め、気色の悪い視線を向けて何を考えて・・・いや、どうせ白上羽衣のことか)
「おい伊坂。何ぼーっとしてんだ」
「あ、すみません・・・」
「頑張ってね、誠二くん」
「うん。行ってくる」
ツキコ扮する白上さんとすぐ隣から冷たい何かを感じたような気がしたが、担任に肩を叩かれて我に返る。
そうだ、せっかく実力を見せつける機会をくれたのだから、ここで恥をさらすようなマネはできない。
そう思いながら黒葉さんの声援を受けて、トラックでクラウチングスタートの構えを取るツキコの隣でオレも同じようにスタートの準備をする。
『じゃあ、よろしくね、伊坂君!!でも、私も負ける気はないから!!』
「お、おう・・・」
オレが構えると、白上さんのフリをしたツキコがにこやかな顔で宣戦布告をしてきた。
少し前までのオレなら喜んで返事をしたのだろうが・・・中身がツキコだとわかっている今ではひたすらに気色悪くて、つい引き気味になってしまう。
『・・・おい。もっと愛想良く返事をしろ。普段のお前を知ってるヤツもいるのだから不審に思われるだろうが』
「わ、わかったよ・・・オ、オレも精一杯頑張るよ、白上さん」
『チッ・・・精一杯頑張ってその棒読みか。お遊戯会からやり直せ下手くそ』
(・・・今決めた。コイツ絶対抜かす)
「はい、よーいスタート」
早速ツキコから小声でダメだしが入り、リテイクしたもののお眼鏡には適わなかったらしい。
結果は残念だが、代わりに何があってもコイツを負かすという熱意が湧いてくる。
そして、『いつかコイツだけは泣かす』と心に誓うのと、担任の微妙に棒読みっぽい合図があるのは同時だった。
「『っ!!』」
オレとツキコの2人がほぼ同じタイミングで地面を蹴って走り出す。
(やっぱ速いな!!っていうか、今の方が速くねーか!?)
オレとツキコはほとんど併走するような形になっていた。
両者にスピードの差はほぼない。
しかし、すぐ近くで走っているからか、オレの記憶にある白上さんが走る速さより、今のツキコの方がよりスピードが出ているような気がする。
心なしか、ただでさえ綺麗な走るフォームがさらに洗練されているというか、動きの隙がない走り方と言うべきか。
もしも仮にオレが今のツキコを捕まえようとしたら、躱されて反撃をもらうのがはっきりとイメージできる。
白上さんが元々積み上げてきた走りに、怪異との実戦を数多くくぐり抜けてきたツキコの経験が加わって仕上がった、まさに『実戦的』な走りだ。
(・・・コイツ、技術ではなく純粋な身体能力で今の私に着いてきているのか。白上羽衣が知れば泣くぞ)
走りながらツキコと目が合ったが、その目は鋭く、ツキコも全力なのだとわかった。
ここで手を抜くのは白上さんらしい行いではないからだろう。
だが、だからこそオレも負けるのは嫌だった。
勝つのならば、相手も全力でなければスッキリしない。
これが命のかかった怪異との戦いならば話は別だが、オレはそういう性分なのだ。
(残りはあとほんの少し!!気張るぜ!!)
オレたちが走るのは200m。
オレたちのスピードならあっという間の距離であり、実際ゴールは目の前だ。
その状況で、未だに互角。
これはもうあとのことは考えずにここで全力を出し切るしかないだろう。
オレは、気合いを込めて地面を踏みしめ・・・
『おい、バカ!!』
「え?あ・・・」
全身から黒い魔力が漲るのと同時に、オレはゴールの手前まで一足飛びで駆けてしまっていた。
「や、やっちまった・・・」
一昨日と同じく、魔力の制御が緩んだのだ。
そのおかげで人間の身体能力を超えた動きができたわけだが、今この衆人環視の中でやってしまうにはやりすぎなくらいの距離を飛んでしまった。
そもそも、オレもツキコもさっきまで魔力なしで走っていたところでこれというのは、完全にオレがルール違反をした形である。
いろんな意味でやらかしてしまい、頭が真っ白になってしまった。
そこを。
『チッ!!下手くそめ!!』
「あ」
立ち止まってしまったオレの横を、風のようにツキコが駆け抜けていった。
魔力による強化で距離を詰めたとはいえ、数秒立ち止まってしまえばさすがに追いつかれる。
オレは呆然とツキコの背中を見送るしかできなかったのであった。
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「な、なあ、さっきの伊坂さ。すごい距離飛んでなかった?」
「あ、ああ・・・棒高跳びくらいの距離を一発でいってたよな?」
「人間って、あんな風に飛べるんだな」
「でも、結局白上さんに抜かされてたろ」
「あんな大技出したんだし、足やっちゃったんじゃね?」
「いや、今普通に立って歩いてるぞ?」
「っていうか、あの大ジャンプがなかったら伊坂君が勝ってたんじゃないの?なんか自分でもびっくりしてるみたいな感じだったし」
「ああ~・・・ゴールのすぐ近くまでほとんど互角だったしな。白上もいつもより速いような気がするくらい本気だったみたいだからな」
(き、気まずい・・・)
ワイワイガヤガヤと陸上部員たちが騒いでいる中、オレはいたたまれなくなっていた。
魔力だってオレの実力といえば実力であるが、さっきのオレがやったのは明らかなズルだ。
しかし、それを判断できるのはオレ、黒葉さん、ツキコの3人だけ。
傍から見れば、オレが超高校級の運動能力を持っているとしか思えないだろう。
結局ツキコに負けたのは、むしろ良かったのかもしれない。
これでオレが勝っていれば、オレはどこに出しても恥ずかしい卑怯者になっていたのだから。
だが、結果オーライと言うべきか、オレが一目置くに値する実力者であるというのは認めてもらえたみたいだ。
ツキコと競争する前にあったような、オレを気に入らないような目で見る者はすっかりいなくなっていた。
「ま、まあ、終わりよければすべてよしって感じか」
『いいわけあるか。『月光天蓋』・・・まったく、これでこの魔法は今日二回目だぞ』
とりあえず一件落着と思っていると、呆れたような顔のツキコが魔法を唱え、光の結界がグラウンドの一角を包み込んだ。
『お前、また魔力の制御をミスしたな?あんな距離を無名の高校生が飛べるわけがあるか。忘れてもらわないと面倒なことになる』
「・・・すまん、助かる。っていうか、この魔法すごい便利だよな。オレも覚えられないのか?」
『闇属性しか持ってないお前では一生かかっても無理だ。お前の権能なら記憶を消すのはできるかもしれんがな。相手の脳みそも吹っ飛ぶかもしれんが・・・まあ、どのみちこれで終わりだ』
ツキコが指を鳴らすと、結界の中を光が包み込み、すぐに収まる。
記憶の処置とやらが終わったらしい。
他人の記憶をいじくるなど、本来ならば見過ごしがたい所業だが、今回は100%オレが悪いので何も言えない。
というより、逆に感謝せねばならないだろう。
「・・・朝はゆっくり見れなかったけど、認識阻害の結界か。それに、光を介した記憶の操作・・・参考になるかな?」
「ん?黒葉さん、何か言った?」
「・・・ううん。何でもないよ」
『ふん・・・お前も光属性に適性はないようだからな。観察したとてマネはできんぞ』
「それは残念ですね。この結界、便利だと思ったんですけど」
さっきから黒葉さんが妙に静かだと思ったところでボソリと何かを呟いたので気になったのだが、もしかしてこの結界を解析しようとしていたのだろうか。
確かに、オレもさっきツキコに言ったように、この結界の魔法は覚えられるなら覚えたい魔法だとは思うが。
「っていうか、お前がツキコのままなのって、こうなることがわかってたからなのか?」
『まあ、お前には前科があるからな。そのうちやらかすだろうとは思っていた。まさかこうも早くことが起きるとは思わなかったが』
「マジで申し訳ありませんでした」
オレは素直に頭を下げた。
『ふん、そうだ。そうやって精々私に感謝するがいい・・・役に立たんそこの魔女とは違うのだから』
「・・・・・」
(頭、あげたくねぇなぁ・・・)
ツキコがそう言った瞬間、黒葉さんのいた方向から底冷えするような嫌な感じの魔力を感じた。
今、オレは頭を下げているのだが、しばらくはこのまま地面を見つめていたいところだ。
『誠二が何かやらかすと思っていたのもあるが、お前がいる場所で白上羽衣のトロくさい人格に替わるつもりはない・・・お前、そもそも何を企んでここに来た』
「別に・・・あなたと同じですよ。ワタシの目の届かないところで誠二くんに変なことをされるのは絶対に嫌なので」
『はっ!!本当にそれだけか?てっきり私に毒でも盛りに来たと思ったのだがな?』
「まさか。そんなすぐに足が着きそうなことなんてしませんよ・・・あなたみたいに便利な魔法は使えませんし。もちろん『権能』もですけど」
『・・・ふん』
(何の話してんだ?ダメだ、バカなオレにはわからん・・・)
オレの頭越しに昼休みと同じようにバチバチと嫌味をぶつけ合う2人だが、それが何の暗喩なのかはオレにはわからなかった。
(相性のいいカードなら権能が使える・・・そしてツキコが持っているのは『月』以外だと『隠者』、『正義』と『恋人』。この結界を見るに、ツキコは隠すことが得意。今まで誠二くんの灯りが白上の方に向いてなかったのも、『月』か『隠者』の権能で自分のことを結界に閉じ込めるか何かして隠していたから炎が向かう先を見つけられなかったのかな。残りの二枚も、どっちも逆位置なら正義は『不正』、恋人は『誘惑に負ける心』。契約魔法をすり抜けて強力な洗脳をするなんてこともできるかも。昨日、オカ研で白上の灯りがおかしく見えたのは両方の権能を使っていたから?少なくとも、白上の心に細工をしていたのは間違いない・・・そしてそうする必要があったってことは、あのときの白上の本心は言葉とは正反対だった?・・・ううん、そこまで考えるのは楽観的すぎだね。また勘違いでやらかしても困るし、同じ轍は踏まないようにしないと)
(契約魔法をイジった弊害か。誠二が私の持っているカードをすべて知っている以上、遅かれ早かれバレていただろうが、私がどんな権能を使えるか感づいているな・・・だが、私が正義と恋人の権能を使ったのはあの一回のみ。確証を得られるところまでは行っていまい。それに、誠二も私が白上羽衣の嫌悪を一時的に取り払っているだけということは知っている・・・まあ、厳密には違うが。ともかく正義や恋人の権能のことを誠二にバラされたとしても、その一環だと言ってしまえばいい。それも嘘ではないのだから、ヤツの眼でも誤魔化せる)
言葉や仕草の一つ一つにいくつの意味を込めて込めているのか。
今もめまぐるしく頭の中を回転させているのだろうが、説明されたとて半分も理解することはできないだろう。
空気がピリピリしているのもそうだが、会話について行けそうにないという意味でもこの2人の話に割って入るようなことはしたくない。
だが。
「あ~、なあ2人とも、その辺にしないか?ほら、今部活動の時間だしさ。オレたちだけならともかく、他の部員の動きも止まってるし」
「・・・誠二くんがそう言うのなら」
『まあ、コイツとこれ以上話しても私に益がないのは確かだな。この女が正直に腹の内を晒すわけもない』
「・・・・・」
『ふん・・・』
ツキコの挑発にも、黒葉さんは無反応だ。
もうツキコの方を見てすらいない。
『誠二くんがそう言うのなら』という言葉の通り、これ以上ツキコと会話する気はないと言ったところか。
対するツキコの方も黒葉さんの反応の薄さにつまらなそうに鼻を鳴らすだけで、それで終わりにするつもりのようだ。
オレにはまったくわからないが、2人の中で妥協できるタイミングだったのだろう。
未だ空気が重苦しいが、2人とも矛を収めてくれたようで、オレはホッと一息ついた。
『では、結界を解くぞ』
「あ、ちょっと待て。お前、陸上部の人たちの記憶はどういう風にイジったんだ?」
一つ気になることがあったので、結界を解かれる前に聞いておく。
オレがオリンピック選手もびっくりな跳躍を見せるより前から記憶を消しているのなら、最悪自己紹介からやり直してもう一度ツキコと走らないといけなくなる・・・というか、オレとしてはリトライしたいところなのだが。
『順当に、私とお前が互角の走りを見せて、最後の最後で私が勝ったということにしてある。心配せずともお前を妙な眼で見るヤツはもういないだろうよ』
「そっか、よかった・・・なあ」
『なんだ?まだ何かあるのか?』
「いや、やらかしたオレに言う資格はないと思うんだけどさ。白上さんの人格に交代するのはやっぱ無理か?ほら、白上さん、陸上部の練習いつも楽しそうにしてたろ?それをオレたちの都合で奪っちまうのは可哀想じゃんか」
前々から白上さんを見ていたオレでなくとも、白上さんが走ることが大好きなのはこの学校の人間ならほとんどの者が知っているだろう。
そして、オレが陸上部に来た理由はオレ自身のためなのもあるが、儀式や黒葉さんのことなど、無視しにくいものもあるので来ないという選択肢はなかった。
だがそれで、白上さんから日常の楽しみを奪ってしまうというのは、心苦しいモノがあった。
これは白上さんではなく他の誰であっても同じように思うだろうが・・・まあ、せっかく陸上部に入ったのだから白上さんと一緒に青春を駆け抜けてみたいという下心もなくはないのだけど。
そういうワケで言ってみたのだが。
「『・・・・・』」
(な、なんだ!?ツキコだけじゃなくて、黒葉さんからもプレッシャーを感じる・・・!!)
面と向かって話していたツキコだけでなく、オレのすぐ隣にいた黒葉さんからも妙な気迫を感じた。
まさか、オレの下心がバレたのか。
いやでも、白上さんの趣味を楽しめなくしてしまうのが悪いと思っているのは本当なのだ。
少しくらいは譲歩を引き出せるように粘って・・・
『本当に、やらかしたお前が言える台詞ではないな。そういうことはもう少しマトモになってから言え・・・まあ、そこのチビがここからいなくなるなら考えないでもないが』
「誠二くん。ワタシ、ツキコさんのことは欠片も信用してないから。誠二くんが陸上部にいる限り、ワタシもここを離れるつもりはないよ」
「そ、そっか・・・ご、ごめん」
(本当にごめん、白上さん・・・それにしてもなんだ?なんか、さっきまでのピリピリと少し感じが違う空気の悪さなような)
取り付く島もないとはこのことか。
ツキコに加えて黒葉さんからも手痛い反撃をくらい、情けないとは思いつつも引き下がることしかできなかった。
・・・ただ、一瞬だけ、黒葉さんとツキコが視線を合わせ、なにがしかのアイコンタクトをしたように見えたのが気になった。
それはさすがにオレの気のせいだろうが、しかし、2人の言葉はさっきのようにお互いを悪く言っているのに、どこか弱いというか、その敵意が向いている先は違う誰かになっているような気がしたのだ。
自分でも何を言っているのかよくわからないけど。
『ふん。だがまあ、安心しろ。白上羽衣に戻ったときに周囲との認識の齟齬があっても面倒だからな。私が体験した記憶をコピーして、一部編集した上で追体験させている』
「そ、そうなのか?まあ、それならいいのか?」
オレが素直に引き下がったからか、それか元々そうするつもりだったのか、ツキコもアフターフォローはするつもりのようだった。
さっき思ったように、オレと黒葉さんが陸上部にいるのは色んな意味でいい選択だし、巡り巡って白上さん自身の安全にも繋がる。
それならば、やはり白上さんには少し申し訳ないが、そこが妥協点だろう。
『ああ。ちゃんとお前には全身にモザイクをかけるようにしてから記憶を見せているからな。精神面のケアも万全だ』
「いやそこまでする必要ないだろ!?せめて顔面だけモザイクにしろよ!!それかいっそのこと登場させんな!!オレは存在そのものが猥褻物なのか!?」
『うるさいぞ。というより、いい加減結界はもういいだろう。解くぞ』
「は?いやちょっと待て。白上さんに見せる記憶の中のオレのことなら、まだ話したいことが・・・」
俺としてはまだまだ話したいことはあったのだが、唐突にツキコは指を鳴らして結界を解いた。
その直後。
「伊坂君!!さっきの走りすごかったよ!!」
「まさか白上と互角とは・・・」
「どっちが勝ってもおかしくなかった感じだったよ!!道上さんがスカウトしたのも納得!!」
「あんなに速くて真剣な羽衣、初めて見たよ。羽衣のためにも、伊坂君には陸上部にいてもらった方がよさそう」
「君なら絶対に全国行けるよ!!羽衣と一緒に!!」
「お、おう?えっと、まあ、その、頑張ります・・・」
ツキコの魔法から解放された陸上部員たちがワッとオレの周りに群がってきた。
ツキコが一体どのように彼らの記憶を操作したのかわからないが、彼らの様子を見るに相当いい勝負をしていたのだろう。
ストレートにオレを褒めるような声には不慣れなのもあって、ツキコを問い詰めるという思考はあっという間に霧散してしまい、オレは素直に陸上部員たちに好意的な声に応えるしかなかった。
・・・そうして。初日から色々あったが、オレも黒葉さんも、晴れて陸上部の一員として加わることができたのだった。
この先、今日のようにギスギスする黒葉さんとツキコを宥めなければならないんだろうなという確信にも似た不安を抱えながら。
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そこは、黒い闇に囲まれた部屋だった。
部屋の中にはひたすらに暗闇が満ちていて、家具も何もない。
だが、部屋の中央にはそこが水中であるかのように少女が1人ぷかぷかと漂っていた。
その少女は、悪夢を見ているように苦悶の表情を浮かべながらうめき声を上げている。
(違う・・・これは、この『夢』は偽物・・・本物じゃ、現実じゃない・・・!!アイツの、せいで・・・)
その声にはコールタールのようにべったりと憎悪と恐怖が塗りたくられていたが・・・それに気付く者は誰もいなかった。
その黒い部屋を、眩い白い光が『外側』から覆い尽くしているために。
呪いのような瞳を宿す、黒葉鶫でさえも。
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『ふん、言いつけ通りちゃんと窓は開けていたようだね』
その日の夜、オレは部屋の窓を開けて『その人』が来るのを待っていた。
「えっと、はい。約束でしたから。それに、オレもいろいろ聞きたいことがあったし」
『ああ。それはアタシも同じさ。アタシもアンタには聞いておきたいことがある。それ以上に、伝えたいこともあるけどね』
「はい。今晩はよろしくお願いします、おばあさん・・・いや、『アカバ』さん」
そう言って、オレは窓から入ってきた一羽のカラスに頭を下げるのだった。




