新型コロナワクチン接種1回目における副反応
新型コロナに感染後、療養を経て社会復帰いたしましたが、7月25日に予防接種を打ってきました。
会場は良くシステム化されており、会場到着から摂取後待機をして帰宅許可が出るまでものの30分ほどで完結しました。現場にいるスタッフ、看護師、医師などは悪く言えば事務的と捉えることもできますが、システム化は大変有意義なものです。混乱もなく、老若男女(といってもみんな大人でしたが)平等に回していてすごく良かったと思います。
執筆段階で摂取からおよそ24時間が経っていますが、現状副反応ではと思われるものは、①注射した箇所を中心にした鈍痛、②倦怠感、③火照りくらいです。腕の痛みはともかく、倦怠感と火照り(発熱)に関して言えば、『新型コロナのほうがきつい』ということがわかりました。
はっきり言って、この程度なのです。新型コロナに罹患したら、この程度では断じて無い、と山本元柳斎重國も言っています(言ってない)。罹患するよりは軽症です。無症状でもない限り、罹患するほうがよっぽど辛いです。
世の中はオリンピックが始まっていますが、日本国内の新型コロナでデルタ株が増え、緊急事態宣言下であっても多くの感染者が確認されています。
けど、思い返してみてください。今の状況、本当に緊急事態宣言だと思っていますか? 一人一人の行動は、それに見合った感染対策をされていますか?
感染者が増えたら行政の所為。営業に制限が出れば行政の所為。それを破るのは店舗の所為。病院でクラスターが発生し、それにより医療に問題が出れば病院の所為。感染者が出ても保健所と電話が通じないのも保健所の所為。
はたしてそうでしょうか。緊急事態宣言が解除されれば平時でしょうか。ワクチンが未だ十分に広がっていない日本は果たして政府の汚点でしょうか。
人はポジティブなことよりもネガティブなことに引っ張られます。特に日本人は感覚的にゼロリスクと神話を重んじる傾向があるとすら思います。けれど、ゼロリスクなんてもの、存在するのでしょうか。これをしておけば大丈夫、これをしないあなたは不幸という神話は存在するのでしょうか。
日本人は生まれ方や親から『神話』を強要されます。自然分娩じゃない子は可哀想。帝王切開や麻酔分娩で産むと陣痛などの痛みがわからないから愛情がない。母乳で育てないと身体が弱い子になる。片親だと愛情が足りない。総じて人はどんどん不幸になる。そう周囲に言われ、出産間近や出産直後の母親を追い詰めます。そして、過程はどうであれ、母親が乳児を殺せば無責任とまでいわれる。産まれてきた子供は不幸だと言われる。
不幸不幸不幸。人は他人の不幸が好きです。蜜の味とまで形容されます。
けれど、私はそうは思いません。殺されてしまった子供は不幸だった、恵まれなかったとは思いますが、その過程は誰も知りません。母親は産後鬱だったかもしれません。助けになる人が周りにまったくいなかったかもしれません。ただ単に、母親として不向きな人だったかもしれません。けれど、人は産まれながらにして平等ではありません。親も違えば、生まれる場所も国も経済状況も違います。行政だって違う。その中で、産まれた子供は尊いものです。それは人一人で抱えきれるものではありません。社会が子供を排除している状況で、それでも子育てをすることは苦行であり、けれど子供の成長は嬉しいものです。
なぜ新型コロナの話の中で出産の『神話』を出したか。それは、私が帝王切開で産まれ、親の手術の為に母乳をほとんど飲まされず乳児期を祖父母に育てられてきたからです。果たして私は不幸な子供でしょうか。そこに愛情はなかったのでしょうか。答えは否です。私は万全ではない『環境』であっても、すくすくと育ちました。他人の言葉など関係なく、周囲から『神話』を聞かされても、それこそ『うっせぇわ。あなたが思うより健康です』と胸を張って言えます。
産まれた時代が良かっただけかもしれませんが、なら戦時中に産まれた子供たちは不幸でしょうか。その物差しで評価を張ることは正しいのでしょうか。苦しい時代に産まれ、厳しい社会をもがきながら生きてきた年配の方は、産まれてから今までずっと不幸でしょうか。
新型コロナの話とは反れてしまっていますが、何事にもポジティブなこととネガティブなことがあります。その情報を、精査するのはあなたです。他人の押しつけではありません。
ワクチンを打つと副反応で高熱が出る。今倒れてはいけないから打たない。そう判断するのならそれは尊重されるべきです。けれど、悩んでいるのなら、ネガティブの意見に傾くのではなく、ポジティブなことにも耳を傾けるべきです。
ワクチンとは、その病原体(細菌やウィルス)に感染しても、重篤化しないことが目的で、免疫があるから罹らないわけではありません。インフルエンザだって、ワクチンの種類にもよりますが打ってもなる人はなります。それがワクチンと型が合えば、より軽症となり回復が早くなります。決して、感染しない、人に移さないものではありません。
日本は奇しくもワクチンの後発国です。自国でのワクチン開発では欧州に遅れを取り、政府の働きで分けてもらっているのが現状です。後発国のデメリットは世界情勢から遅れを取り、経済状況の回復も遅れています。イギリスやアメリカなど多くの犠牲者が出た大国ではありますが、一定数のワクチンの効果により集団免疫を獲得しつつあり、経済の立て直しが進んでいます。けれど、それにより感染者が増えた、デルタ株に置き換わった、猛威を奮っている、と日本のマスコミでは騒がれています。
それ、感染か非感染かで線引きする意味があるのでしょうか。問題は、感染しても、どの程度で済むかではないでしょうか。
そもそも、ワクチンというものの意味を日本だけでなく、世界中で正しく通知しているでしょうか。その仕組みは、全能ではないのです。
全能でなければ意味がないわけではない。けれど、悪い情報だけで人はパニックになり、正しい判断がつかなくなっています。正しく恐れよ。世界で根絶できた天然痘じゃないんですから、コロナにアフターはありません。ウィズしかない。インフルエンザだって、感染予防で劇的に数を減らしていますが、未だにゼロにはなりません。それを、正しく教養を共有することが国のあり方であったはずです。
オリンピックや各国のパワーバランスもあり、そうはうまくいかないかもしれませんが、それも含めて、皆様が一番目を向けるべきは結局は『政治』です。
以前、このエブリスタにて新型コロナの影響で好きだったグループのライブが中止になり悲しんでいる子がいました。彼女は小学生で、手元にあるお金で私になにかできることはありませんかと問いかけていました。
はっきりいいます。子供にできることは、声を上げる以外にありません。なぜなら、社会で子供は弱者であり、その声よりも社会を作り上げた政府に選挙という声をあげれるのは圧倒的な人口比率を有する団塊の世代以上です。
政治家も人間です。選ばれるためには、大多数の声を拾う必要があります。いまの若者が政治や選挙に興味がないのは、一重に教養がないからです。これは、若い人一人一人のせいではなく、そう教育されていないからにほかなりません。18歳で選挙権を得ても、学校で選挙の話をするのはいけない、とワイドショーが言っていますが、言論の自由を説いておきながら恥ずかしいとすら思います。なら、若い人の声が届くはずなんてない。日本は民主国家ですから、数の多さが優勢です。
なので、はっきりいいます。子供たちや若い人たちに今後必要なことは、政治に少なからず興味を持つことです。それは選挙権を得る前から必要で、今の世代ではなく、後のあなたを救うために。選挙権を持つ中で中途半端な立ち位置にいる世代ではありますが、国を変えるのは政治しかない。日本人は大人になると金と宗教と政治の話はするなとどこかで必ず言われます。クソくらえです。話せばいい。日本人とアメリカ人の大きな違いは愛国心であるとも言われます。それは、日本人は表立って政治の話はしない。けれどアメリカ人は自分は民主党か共和党かと話をする。一部行き過ぎて連邦議会議事堂で暴動がありましたが、あれを一言で断罪するべきではないとも思います。度合いはどうであれ、民主国家ですから話し合いは盛んになるべきです。
三島由紀夫になれとはいいません。右か左か、どちらかにどっぷり傾けとはいいません。けれど、冷静に、俯瞰的に、物事を知ることが大事であり、それを子供たちに教育することが、より良い社会になるために重要かつ必要かと思っています。
また話が反れましたが、正しい情報を得て、正しく恐れることです。科学を正しく知ることです。人の意見ではなく、あなたの意思です。ワクチンを打ったら無期限自宅待機という実質島流しを全職員に通達した社長もいますが、社長はあなたの命を救いません。あなたの家族を救いません。どちらも、救えるのはあなたの決断だけです。そこにしがみついても、SDGsと騒がれている社会でそんな事言う会社は筋が通っていません。
だからこそ、もう一度いいます。政治も、社会も、ワクチンも、正しく知り、正しく恐れましょう。あなたがきちんと決断したことは尊いものです。他人とを区別するものではありません。誰かを差別するものではありません。
よりより明日、よりよい未来にするために、今一度振り返ってみてください。