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 そこで俺は一つの仮説にたどり着いた。


(もしかしてディートリヒの奴、アリスたんとの好感度をめちゃくちゃ上げてる⁉)


 先ほどから気になっている、ディートリヒが繰り返す『様はいらない』というセリフ。あれは好感度が一定値を上回ると発生する、通称『名前呼びイベント』だ。

 ちなみに『様→さん→愛称』と変化していくのだが、ディートリヒは他のキャラよりも高い好感度を必要とする。


(さん、でもまあまあ高い状態だが……万一愛称だったとしたら、相当やばい……)


 一体どうやったら五月のこんな初期に、名前呼びイベントが起こせるほど好感度を上げられるというのか。

 チートか? 改造か? 確かにあの美貌はチートと呼んでも差し支えはない気がする。


 正気を保つのに必死の俺に気づくことなく、二人は零れたお弁当を片付けていた。その途中、アリスティアの手が汚れていることに気づいたディートリヒは、手を洗っておいでと彼女を見送る。

 そうして一人になった直後、ディートリヒはぎろりと俺がいる物陰を睨みつけた。



「――さっさと出てこいよ。クズ野郎」


 間違いない。

 あいつは俺がここにいると完全に見抜いている。仕方なく姿を現した俺を見たディートリヒは、先ほどとは打って変わった冷たい声色で吐き捨てた。


「言ったよな。次何かあれば容赦しないって」

「う、……」

「なんだこのざまは。女に任せてお前は高みの見物か? さぞかし愉快だったろうな、かつての婚約者がいたぶられる様は」

「ち、違う! これは俺がさせた訳じゃ……」


 言いかけて、俺は言葉を呑み込んだ。


 本当にそう言い切れるのか? 

 マルガレーテに別れを告げたのは、他ならぬ俺自身だ。

 俺があんなことを言い出さなければ、アリスたんに彼女たちの悪意が向くことはなかったんじゃないのか?


(やっぱり、……俺のせいなのか?)


 途端に大人しくなった俺に戦意を削がれたのか、ディートリヒは呆れたようにため息をついた。


「まあ、お前が何を考えていようがどうでもいい。ただしアリスに被害が及ぶようなら、僕は全力で阻止させてもらう。お前はせいぜい陰から、指をくわえて眺めていればいい」


 何の反論も出来ない俺が立ち尽くしていると、アリスたんが慌てた様子で戻ってきた。

 ディートリヒに微笑みかけていたが、隣に立つ俺の姿を見つけると、途端に顔を強張らせる。

 ああ、ダメだ。俺、完全に嫌われてる。


 やがてアリスたんが恐々とした口調で話しかけてきた。


「ヴィルヘルム様、昨日はその、すみませんでした」

「ち、違う! あれは俺の方が悪かっただけで!」

「いえ、わたし、そこまで嫌われているとは知らなくて……婚約とか、嫌、でしたよね。気づけなくてすみません」


 えへへ、と苦しそうに笑うアリスたんを見て、俺は違うんだの大合唱に苛まれていた。

 だがアリスたんは俺の意思など汲むべくもなく、大丈夫ですと前置きして続ける。


「ちゃんと家にも伝えて、正式に婚約を解消しようと思います。今まで、ありがとうございました」

「アリスティア! 誤解なんだ、俺は……!」

「――アリス、そろそろ行かないと、午後の授業が始まってしまうよ」


 必死に言い繕う俺をあざ笑うかのように、ディートリヒが俺たちの会話に割り入って来た。ちらりと俺にだけ視線を送ると、にやりと口角を上げて見せる。


「あ、そ、そうですね。じゃあヴィルヘルム様、失礼いたします」

「僕も失礼します――ヴィルヘルム様?」


 赤い瞳が勝ち誇るように眇められ、ディートリヒとアリスティアは、俺に背を向けて歩き始めた。少し離れたところで、何やらひそひそと言葉を交わしている。


「――ディートリヒさん、ありがとうございました」

「大したことはしてないよ。それより……さんじゃなくて、『ディータ』と呼んでほしいって、言わなかったかな?」

「あ、ええと、その……なんだかまだ、恥ずかしくて……」


 囁き合いながら肩を寄せ合う二人の姿は、完全にカップルのそれだった。午後の授業の始まりを告げる鐘を聞きながら、俺は燃え尽きた灰のようにその場にくずおれる。

 持ってきた手紙は、既に手の中でぐしゃぐしゃになっていた。


(名前……さんじゃなくて……愛称言ってた……)


 愛しのアリスたんからは婚約破棄を受け入れられ、気に入らない王子キャラはものすごい勢いで急接近している。

 それなのに俺は、大好きなアリスたんを守れないどころか、余計な悪意を生み出す原因になっている始末。


 艶々とした芝生に横倒れていた俺は、だばだばと目の幅と同じ涙を地面に垂れ流していたが、ようやくがばりと体を起こした。


 アリスたんがいじめられる原因を作ったのは俺だ。

 ならば俺が、負の連鎖を止めるしかない。


(俺が……俺がアリスたんを守らねば!)








 その夜、二年生寮の談話室に向かった俺は、マルガレーテの姿を捜した。普段から多くの取り巻きを従えている彼女は、昼の武勇伝を聞かせるかのように、部屋の中央でやかましく息を巻いていた。

 周囲の人間はやや迷惑そうだ。


「覚えていまして? あの情けない顔。せいせいしましたわ」

「ほんと、あんな借金ばかりの貧乏貴族のくせに、ヴィルヘルム様の婚約者だなんて、よく言えたものですわ」

「それに引き換え、マルガレーテ様は本当にお似合いですわ。まさに美男美女、という感じで」


 マルガレーテの家は政界にも顔の効くかなりの資産家らしく、取り巻きの貴族たちも強くは出られないのだろう。彼女の機嫌をとるように、懸命にマルガレーテを褒めたたえた。

 その光景を俺は黙ったまま見つめ続ける。


「当然ですわ! わたくし以上にふさわしい相手など……ヴィ、ヴィルヘルム様⁉」


 ようやく俺がいることに気づいたのか、マルガレーテは急に顔を青くして、椅子から立ち上がった。周りを取り囲んでいた女どもも一斉に姿勢を正し、俺に向けて深く頭を下げる。


「こ、こちらにいらしたのですね! 滅多に談話室には来られませんのに……」

「少し、話したいことがあって」


 何ですか? と期待に満ちた眼差しを向けてくるマルガレーテに、俺ははっきりと告げた。


「マルガレーテ、俺は君とは結婚しない。付き合うのもやめよう」


 突然のことに、マルガレーテは理解が出来ていないようだった。きょとん、と目を見開いている。反対に周囲にいた取り巻きたちは、ようやく言葉を理解し始めたのか、少しあってざわざわと声を上げ始めた。

 それを受けて、マルガレーテもようやく、たどたどしく口を開く。


「それは……あの、アリスティアが、いるからですの……?」

「違う。彼女は何も関係ない。本当に俺のせいなんだ。許してほしい」


 ここで俺がアリスティアに傾倒しているなんて知れたら、彼女に対するいじめはもっとひどいものになるだろう。それだけは絶対に防がなくては。


(……でも、二人だけの場で話しても、きっと聞き入れてもらえない)


 ヴィルヘルムをあれだけ罵倒した割に、自分も大して変わらないじゃないか、と自虐的になりながら、俺は静かに絨毯の上に膝をついた。

 他の生徒たちのざわめきが一際大きくなったが、俺はそのまま手のひらを付き、額を床に押し当てる。


「本当にすまない。君は何も悪くない、全部俺が悪いんだ。お願いだ――」


 あのヴィルヘルムが土下座するなんて、俺でも想像できない場面だ。周りも同じ気持ちだったらしく、動揺と困惑が入り混じった視線や会話が、誰とはなしに囁かれ始めた。

 その空気に耐えかねたのか、マルガレーテが慌てて俺の前に膝をつく。


「やめて、やめてくださいませ、ヴィルヘルム様! そんな、こんなこと……」

「本当にごめん、マルガレーテ。でもこれしか、俺の誠意を伝える方法を、思いつかなくて」

「誠意だなんて、……」


 俺の勝手で終わらせるのに、彼女に泥を塗る訳にはいかない。だが俺と付き合っている限り、マルガレーテは元婚約者であったアリスティアに執着するだろう。

 かといってアリスたんを思いながら交際するのは、マルガレーテに対して失礼だ。


 それならば今はどちらにも――アリスたんにも、彼女にも俺の気持ちはないのだと、はっきり示しておくしかない。


 おまけにマルガレーテが好きだったのは、俺ではなく、毅然とした態度の旧ヴィルヘルムだ。

 こんな人前で、みっともなく頭を下げる男なんて、きっと彼女の理想から外れてしまうに違いない。

 周囲もきっと幻滅することだろう。


 俺の考えは思った以上に効果があったらしく、言葉を失ったマルガレーテは、潤んだ瞳のままどこかへ走り去った。

 急いで何人かの取り巻きが追いかける一方、ひれ伏す俺に向けて憐みの目を向ける者もいた。


(これで……いいんだ)


 本当はこんなに情けない男だと分かれば、マルガレーテも俺に興味をなくすだろう。そうすればアリスティアへ向けられる悪意が少しは減るかもしれない。


(こんなことしか出来なくて、……だめだな、俺……)


 ディートリヒに助けられ、心の底からほっとした表情を浮かべていたアリスティアを、俺は静かに思い出す。


(ごめんな。俺、こんなことしか出来ないけど……俺のせいで、君を傷つけることは、もう絶対にさせないから)


 心の中でそう誓うと、俺は零れそうな涙をこらえるように、強く瞼を閉じた。



 

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