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 午前の授業を終えた俺は、こっそりと中庭に来ていた。校舎の壁を背に、隠れるように弁当を広げているアリスティアを発見し、こくりと息を吞む。


(よし……他には誰もいないな……)


 ここはアリスティアが昼食の際に一人で訪れる、人には知られていない秘密の場所だ。

 あまりお金がないアリスたんは、大多数の生徒が使う食堂やカフェテラスは利用せず、調理室で自炊したお弁当を持参している。

 もちろん普通の貴族令嬢なら、自分で弁当を作るなどありえない。だがそこは乙女ゲームの醍醐味。女子力の本領発揮だ。


 おまけに攻略キャラによっては、アリスティアの弁当をご馳走になる、という羨まけしからんイベントも存在する。

 だがそれが発生するのはあくまでも秋以降、好感度がある程度高まってからの話だ。五月の今時点では、アリスティアの昼ご飯に同伴してくる不逞な輩は現れないはず。


(ちゃんと伝えるんだ……昨日のは間違いでしたと!)


 授業の傍ら、覚えている限りのエンディングリストを書き出した俺は、ある一つの可能性にたどり着いた。

 ヴィルヘルムとアリスティアに公式のエンディングはない。だがヴィルヘルム――つまり俺が、破棄した婚約をもう一度結べばいいのではないか。


 ゲームではシステム上、強制行事のたびに現れ、アリスティアに嫌味を言うだけのヴィルヘルムだが、ここでは自由に行動することが出来る。

 昨日の婚約破棄をなかったことにして、正式な婚約者としてよりを戻せば、ゲーム上では存在しない幻の『ヴィルヘルム・トゥルーエンド』を目指せるのでは、と思い至ったのだ。


 深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 昨日のこともあるため、驚かせないようにそろそろとアリスたんとの距離を縮めた。


「――あの、」

「!」


 出来るだけ穏やかに声をかけたつもりだったが、アリスたんはひどく驚いた様子で顔を上げた。

 まだ流行パラメーターが低いせいか、長い前髪で顔が少し隠れている。

 だが輝く橙色の目や、生まれ持った可憐さは隠しようもなく、真正面から視線をぶつけてしまった俺は、一気に頬が熱くなった。


(うおおお、や、やっぱ可愛い……! 実体化した天使かなんかかな……)


 だが声をかけたのが俺――ヴィルヘルムだと分かると、アリスたんは慌てて手にしていたお弁当に蓋をし、広げていたハンカチをたたみ始めた。

 その様子に俺は違うんだ、と示すように両手のひらを向けて振る。


「アリスた……アリスティア、その、昨日は酷いことをしてごめん」

「ヴィルヘルム、様……?」

「誤解なんだ! 俺は君のことが――」


 その瞬間、声帯が活動を停止したかのように、一切の音が出なくなった。どうしたんだ俺、と必死に唇を上下させるが、何一つ声にならない。


(一体何なんだよ! ちゃんと言えよ俺!)


 自棄になった俺は、ひときわ大きく息を吸い込んだ。全身に力を込めて、腹の底からアリスたんへの思いを叫ぶ。



『――大っ嫌いなんだよ!』


 しん、と世界中が静まり返った。


 永遠にも思える一秒を体感しながら、俺は震える手で、自分の喉を恐る恐る掴む。


(俺は……今、なんて、ことを……)


 だが訂正する間もなく、俺の口からさらに残酷な言葉が紡がれた。


「まだこんなとこにいたのか、貧乏令嬢が。それとも俺の施しが欲しいのか?」

(やめろー!)


 急いで口を閉じるが時すでに遅し、目の前のアリスたんは長い睫毛を伏せ、必死に零れそうな涙をこらえていた。

 俺が言ったんじゃないんだ、と伝えたかったが、口を開けばまたひどい言葉を彼女に向けてしまいかねない。


 混乱した俺はアリスたんを残し、逃げるようにその場から駆け出した。中庭を抜け、寮の玄関に飛び込むと、そのまま自室へと転がり込む。

 ぜいはあと床に倒れ込んだ俺は、ゆっくりと体を起こした。目の前には鏡があり、焦燥しきったヴィルヘルムの顔がこちらを見つめている。


(なんで……どうして俺、あんな、心にもないことを……)


 すると突然、体の奥から聞き慣れた声が響いた。

 低く冷たい男の声。

 それは俺の声帯から発されていた、ヴィルヘルムの声とまったく同じものだった。


『――てめえ、アリスに余計なこと言うんじゃねえよ!』


 どういうことだ、と俺は胡坐を組みなおした。

 幻聴か、とそっと胸に手を当てると、その声は再び俺に向けて話しかけてくる。


『俺はあいつとの婚約を破棄したんだ! 何勝手なことしてやがる!』

「お前もしかして……ヴィルヘルムか?」


 俺の問いかけに、心の声はぴたりと黙り込んだ。


「なあ、そうなんだろ! さっき俺の口を使って勝手にしゃべったのも――」

『あああうるせー! そうだよ! オレがヴィルヘルムだ!』


 何ということだろう。

 こうした異世界転移の場合、元々の人格は上書きされるものだと思っていた。だがこうして会話出来ていることを鑑みるに、どうやらこの体には俺とヴィルヘルム、二人分の意識が共存しているようだ。


『そもそもこれはオレの体だ! てめえが後から来て、勝手に乗っ取ったんだろうが!』

「お、俺だって別にお前になりたかった訳じゃない!」

『あーもーうるせー! 体は自由が利かねえし、声を取り戻すだけでやっとじゃねえか! どうなってんだよ!』


 どうなってるは俺のセリフだ。

 しかしヴィルヘルムの言い分を聞く限り、どうやら体の主導権は俺が握っているらしい。ヴィルヘルムが干渉出来るのは今のところ声だけで、そのせいで先ほどのような悲劇が起きてしまったようだ。

 しかしヴィルヘルムの奴、ゲームでのしゃべり方と随分印象が違う。テキストでは冷酷でお高くとまった貴族様という感じなのに、俺と言い争っているのを聞く限り、かなり砕けた口調のようだ。


「丁度良かった。俺、お前に言いたいことがあったんだよ。どうしてアリスたんとの婚約を破棄したりしたんだ?」

『うるせえな、てめえに関係ねえだろ。つーかなんだアリスたんって』

「他に好きな人が出来たのは仕方ないにせよ、もっと穏やかに婚約を破棄することも出来たはずだろ? それなのにどうして、あんな人目のある場所で言ったんだよ。アリスた……彼女が可哀そうだと思わないのか?」

『だからアリスたんってなんだよ。……じゃなくて、オレがどうしようと、お前には関係ねえだろうが』

「関係あるわ! そのせいでアリスたんはこれから大変なことになるんだぞ!」


 すると、ヴィルヘルムが一瞬息を吞んだ気がした。

 少しして『大変なことだと?』と冷静な声が続く。


「アリスたんは婚約破棄された令嬢として、皆からいじめられるんだ。もちろん彼女は頑張り屋さんだから、最終的にはそいつらを見返していくんだけど……」

『……待て。それは一年の奴らから、ってことか?』

「そうだよ! 全部お前のせいなんだからな!」


 再び黙りこくってしまったヴィルヘルムに、俺はゆっくりと話しかけた。


「なあ、頼むよ。昨日の婚約破棄を無かったことにしてほしい。そうしたらアリスたんもいじめられなくなるかも知れないし、今ならまだ元の関係に戻れるんじゃないか?」

『……』

「まああのマルゲリータ? あ、違う、マルガレーテ? さんが好きなら難しいのかも知れないけど、それでも婚約破棄なんて……」


 そうだそうだ。

 そして俺を正式なアリスたんの婚約者に戻してくれ。

 俺の切なる願いが届いたのか、ヴィルヘルムはようやく重い口を開いた。


『オレは……』

「うんうん」

『――絶対に、婚約破棄したままにする』

「はあ⁉」


 おいおいどうしたヴィルヘルムさんよ。

 ついさっきまで俺の説得に改心していた感じだったのに!


「ど、どうしてだよ! 元々婚約者だったんだろ⁉」

『うるさい! オレはあいつが嫌いなんだ! 絶対に婚約は破棄する!』

「そんなー!」


 交渉決裂。

 きっぱりと言い切ったヴィルヘルムは、そのまま貝のように口をつぐみ、一言も発さなくなってしまった。


(くそーダメだったか……しかし困ったぞ、行動は俺の自由に出来るとして、しゃべるとなるとこいつがまた出張ってくるに違いない)


 つまり婚約破棄を無かったことに、と直接アリスたんに伝えることは、ほぼ不可能なわけだ。

 ヴィルヘルムが寝ている間があれば、いける可能性もあるかもしれないが、そもそも俺と体を共有している以上、俺が覚醒している時はこいつも起きているに違いない。


「あーもー……どうしたらいいんだよ……」


 恨みがましく心の奥底に訴えてみたものの、ヴィルヘルムからの返事はない。ちえ、と唇を尖らせた俺は、私服に着替えようと立ち上がった。

 制服の入っているクローゼットにはなかったな、と思い出し、部屋の奥にあるもう一つのクローゼットに手をかける。


『馬鹿! そこに触るんじゃねえ!』

「うおッ⁉」


 突然心臓がしゃべった、と胸をばくばくさせている俺をよそに、ヴィルヘルムは謎の制止をかけただけで、再び黙り込んでしまった。

 どうやらこのクローゼットには旧・ヴィルヘルムにとって触れられたくないものが入っているようだ。


(なるほど……分かるぞ。俺も本棚の一番奥は、覗かれたくないからな……)


 いくらいけ好かないヴィルヘルムとはいえ、そこは男同士。守るべきプライバシーはあるだろう。

 俺は「乙女ゲームに出るようなキラッキラのイケメンでも、そういうとこは俺らと同じなんだな……」と妙に得心しながら、他のクローゼットに収められていた私服に着替えていた。



 

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