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混乱する俺をよそに、ディートリヒとの遭遇イベントは滞りなく終了した。差し出された傘を手に、アリスたんはディートリヒの背中を見つめ続けている。
すると当のディートリヒが、つかつかと一直線にこちらへ向かってくるではないか。身を隠さねばと場所を探すが、そう都合よく見つかる筈もない。
案の定すぐにディートリヒに発見され、俺はしどろもどろに目を泳がせた。
「君は……ヴィルヘルムか」
「……」
こっそりと覗いていた気まずさもあり、俺は心臓をばくばくさせながら沈黙を守った。近くで見ると、その麗しい美貌が暴力的に訴えかけてくる。
ゲーム画面で見た時も綺麗な顔だとは思っていたが、現実となると破壊力がまた違う。
だが美の化身は俺の姿を一瞥すると、途端に「は、」と鼻で笑った。一瞬聞き間違いかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
この眩いばかりのイケメンが。俺を。鼻で。
「――男の風上にも置けないやつだな」
「そ、それは、どういう……」
「本気で言っているのか? その愚鈍な頭でよく考えろ。それともただの帽子の台か?」
鮮血のような赤い瞳が細く眇められる。その瞬間、どこか神秘的で手を触れられない清廉な美しさだったものが、一気に妖艶さと危うさを孕んだものに変わった。
口の端を軽く上げながら、ディートリヒは続ける。
「だがお前の目が節穴だったのは僥倖だ。おかげでアリスと最高の状態で知り合うことが出来た。その点だけは褒めてやる」
「ディ、ディート、リヒ……?」
「気安く名前を呼ぶな。アリスの婚約者という神にも近しい立場にいながら、自らその玉座を蹴落とした痴れ者が。己の犯した失態を死んで地獄で詫び続けろ」
俺が幾度となく攻略したディートリヒは、王子という身分にふさわしい、洗練された所作と穏やかさに満ちた完璧な男だった。
言葉遣いだって丁寧だし、アリスティアに危機が迫るたび、何かと助けてくれては微笑んでいく、そんなキャラだったはずだ。
それなのにどうしたことか。
薄紅の唇から紡がれるのは、およそ聞いたことのない罵詈雑言。外見が整いすぎているからこそ、その落差がより俺の心に衝撃をもたらした。
(もしかしてこいつ……アリスたん過激派だったのか……)
たしかに柔和なキャラほど、二次創作では腹黒鬼畜キャラにされやすい。実際ディトアリのカップリングタグを辿ると、病んだり監禁したりするディートリヒを多数拝むことが出来る。
だがここは公式の世界。
まさかこいつ、本当に裏での性格は真っ黒だったのか。
思いがけない一面におびえる俺をよそに、ディートリヒははあと物憂げなため息をつきながら頭を振った。長い睫毛を押し上げ、俺を冷たく睨みつける。
「ともかく、これでお前はアリスと何の関係もない他人になったわけだ。今後一切彼女に関わるな。半径一メートル以内に入るな。同じ部屋の空気も吸うな。ついでにそのまま息絶えろ」
「厳しすぎるだろ! た、たしかに婚約破棄をあんな場所でしたのは謝る! だがあれはちょっとした手違いで俺もするつもりじゃ」
「女性が人前で婚約破棄をされることがどれほど屈辱的か。お前の蚤ほどの脳みそでも分かるだろうが。ああ、分からないか。単細胞生物は大変だな」
「ちょっとは話聞けよ!」
ぐぬぬ、と俺たちの間に見えない火花が走る。
デスデスの中では比較的好きな攻略キャラだったのに、本性を知った今はその感情すら思い出せない。
やがてディートリヒは、俺に侮蔑するような視線を向けた後、ふいと顔を背けて歩き出した。
「――アリスを傷つけるのであれば、僕が許さない。次に何かあれば、ただでは済まさないからな」
そう言うとディートリヒは颯爽と校舎に戻っていった。
残された俺は急いでアリスティアを捜したが、どうやら別の方向から帰ってしまったらしく、既に影も形もなかった。
土砂振りの雨の中、濡れ鼠となっている俺の姿は、さぞかしみすぼらしいものだろう。
艶々とした銀髪の端から幾度も雫が伝い落ち、漆黒の制服の色を濃く染め上げた。新品の革靴は泥だらけで、ズボンの裾もひどく汚れている。
ぐすりと鼻を鳴らすと、鼻腔が強い土の匂いで満たされた。
(違うんだ、俺は……)
だが何と言い訳しようとも、ヴィルヘルムがアリスティアを傷つけたことに違いはない。
俺は自らに罰を与えるかのような気持ちで、しばらくその豪雨の中に佇んでいた。
寮の自室を何とか探し当てた俺は、水分でぐしょぐしょになった制服をハンガーにかけた。ベッドに置かれていた私服に着替えた後で、ふと不安を覚える。
ゲーム中では洗濯する場面などなかったが、明日から一体どうすればいいのだろうか。
恐る恐るクローゼットを開けてみる。
すると、まったく同じ造りの制服が隙間なくぎっしりと並んでいた。なるほど、ゲームやアニメのキャラがいつも同じ服を着ていられるのはこういう訳か。
だが感心に浸る余裕もなく、俺はぼんやりと鏡の前に立つ。そこには、かつての俺の体型とは似ても似つかないほど、均整の取れた体つきの男がいた。
すらりと長い手足に対し、顔は驚くほど小さい。
切れ長の瞳は沖縄の海を思わせる綺麗な青色で、髪はシャンプーのモデルと張り合えるほど、しっとりとした質感の銀色だ。
目鼻の配置も絶妙で、二次元のキャラクターを最高の状態で三次元化した、とキャッチコピーが付きそうなほど、素晴らしい再現がなされている。
しかし問題なのは、その中身がどうしたことか――俺なのである。
はあ、とため息をつきながら、俺はヴィルヘルムに関する知識を、脳の底から可能な限り引っ張り出すことにした。
悪役――ヴィルヘルム。
アリスティアの一学年上の生徒で、家同士が決めた婚約者。在学中に他の女に惚れこんだ結果、アリスティアが入学してすぐに婚約破棄を宣言するクズだ。
御覧の通り、見た目とスタイルだけは他の攻略キャラと比べても遜色ない。むしろ「あの涼やかな目元がイイ!」というファンもいるくらいだ。
なるほど、実際に男の俺から見ても、とんでもなく整った顔立ちであるということに異論はない。
おまけに古くは王族にも繋がりがあったと言われる公爵家の跡取りで、成績優秀、剣の腕もダントツ、彼の仕立てた衣装が来年の流行になると言われるほど、非の打ちどころのない御曹司。
『ルイス・カレッジ』において、誰もが逆らえないほどの圧倒的な権力とカリスマ性を称えたキャラ、と描写されていたはずだ。
顔が良いことはたしかに認める。
だが俺の愛しいアリスたんを傷つけるような奴、どうして認めることが出来ようか。いや、出来まい。(反語)
(というかそもそも、どうして俺はデスデスの世界にいるんだ……?)