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――目が覚めるとそこは、狭いワンルームのベッドの上だった。
「……」
俺はゆっくりと体を起こすと、心臓の音を確認するように胸に手を置いた。ちゃんと動いている。痛みもない。
次に手と足が動くか。これも問題ない。
「生きてる……」
どうやら、あくまでも『ゲームの中の命』というカウントだったらしく、現実世界の元の体に戻ってきたようだ。
と、俺は慌ただしくスマホを捜す。
くしゃくしゃなシーツに埋もれていたそれを発掘すると、真っ暗になっていた画面を何度もタップした。すぐに鮮やかなゲーム場面が現れ、俺は歓喜の声をあげる。
「――アリスたん!」
そこには空のメッセージウインドウと、驚いた表情のアリスたんが表示されていた。指先でもう一度画面を叩くと、たどたどしくテキストが流れてくる。
『終わった、の……?』
それはノーマルルート、しかもアリスたんが生存している場合のセリフだった。どうやら俺は無事、彼女の命を守り通すことが出来たらしい。ひとまず胸を撫で下ろした俺は、ヴィルヘルムのことを思い出す。
(あんな別れ方になって、ちょっと悪かったかな……あれ、っていうか、あいつ死んでないよな⁉)
思えば封印に取り掛かるまで、マルガレーテからの攻撃をしこたま受けてしまった。もしあの傷がそのまま残っていたら……と考え至った俺の顔から、さあっと血の気が抜けていく。
震える手でメッセージウインドウを進めていた俺だったが、やがて「あれ?」と声を上げた。
「ヴィルヘルムが……いる……」
てっきり普通のノーマルルート展開が続くのかと思いきや、何故かヴィルヘルムの立ち絵が表示された。
それを見た俺は、奴が生存していた安堵とともに、あの最後まで謎だった攻略掲示板のルートを思い出す。
(ノーマルルートの差分って……もしかして、ヴィルヘルムルートになるのか?)
どうやら俺の予想は当たったらしく、ヴィルヘルムは画面の向こうからテキストを寄越してきた。もちろん俺宛ではなく、あくまでもゲームの中のことだ。
『――大丈夫か、アリスティア』
「はい。ありがとうございます……助けていただいて」
すると立ち絵のヴィルヘルムは、複雑そうな表情を浮かべた。こんな表情差分があったのか、と俺は息を吞みながら二人の動向を見守る。やがてヴィルヘルムはぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
『ずっとお前に、謝らなければいけないことがあった』
「わたしに、ですか?」
『婚約破棄を……お前が一番傷つく形でしてしまったことだ』
俺はごくりと唾を呑み込む。
頑張れ。頑張れヴィルヘルム。
『そのせいでお前は、いらぬ僻みを受けたり、攻撃されることがあったと、……ある男から聞かされた。本当に、すまなかった』
「そんな、……わたしは大丈夫ですから、どうか頭を上げてください」
『そこまで考えが至らなかった、オレの失態だ。オレはただ、――悪役になりたかった』
「悪役に、ですか?」
『そうだ。オレが悪いと、オレだけの我がままで言い出したことなのだと、はっきりとさせたかった。そうすれば――お前が気に病むことなく、オレとの婚約を解消することが出来ると思ったんだ』
悪役として生み出されたヴィルヘルム。ただしその本意は、彼にしか分からない。
『……本当は! 婚約破棄なんてしたくなかった! ……でも、オレと一緒にいるお前は、いつも苦しそうだった……』
「ヴィルヘルム様……」
『――そうやって、様付けで呼ばれることも、敬語で話されることも、俺には耐えられなかった……。俺はお前と、昔のような関係に戻りたかったんだ』
懸命に自分の思いを語るヴィルヘルムを前に、気づけば俺は涙を流していた。人目はないので恥ずかしさなど微塵も考えずに、ただだばだばと滝のように泣いた。
良かった。ちゃんと言えた。
あの拗らせ不器用男が。真っ直ぐに。
やがてヴィルヘルムは、普段の真面目な顔つきに戻ると、画面越しの俺に――おそらく向こうにいるアリスたんに向けて、はっきりと口にした。
『こんなことを言える立場にないのは分かっている。ただもしも許されるなら……オレはまたお前と、対等な関係に――友人に戻りたいと、思っている』
まるで自分に向けて言われたような感覚に、俺はドキドキしながら画面をタップする。すると枠の端にあったアリスたんの顔が、ふわりとした笑顔に変わった。
「じゃあわたしも、謝らないといけません」
『……?』
「昔、ヴィルヘルム様がわたしとの婚約を受けてくださったと聞いた時、本当にすごく、すごく嬉しかった……。でも、婚約に際しての条件を聞いてしまったんです」
アリスティアの実家が抱える負債。それをヴィルヘルムが肩代わりする。
「もしかしたらヴィルヘルム様は、――わたしのために無理やり婚約してくださったんじゃないか、って。そのために本当に好きな方を諦めてしまっていたのなら、わたし、とてもじゃないけれど償いきれない、と思って……」
『アリスティア……』
「だから、わざと距離を取りました。他に好きな方が出来た時、気兼ねなくそちらに行けるように。だから婚約破棄を言い渡された時は、『良かった。これでわたしから、ヴィルヘルム様を解放できる』って思ってしまって……」
アリスティアの読みは、ある意味正しかった。
ただしヴィルヘルムは単なる情けで婚約したわけではなく、アリスティアへの好意が先だってしたことだった。
だがアリスティアは、家を守ることが主題だと思い込んで、ヴィルヘルムの好意に気づけなかった。
お互いがお互いを思っているはずなのに、何故かすれ違ってしまったというわけだ。
『そう、だったのか……』
「でも私も本当は、以前のように仲良くしたかった……だから、ヴィルヘルム様の気持ちが聞けて、今はすごく嬉しいです」
アリスたんのその言葉に、ヴィルヘルムは安堵の表情を浮かべた。やがて確かめるように、最後のテキストを綴る。
『アリスティア。オレとお前の婚約関係は解消された。それでもどうか――また一から……友達としてでいいから、……お前の傍にいさせてもらえないだろうか』
「……」
と、ここで突然二択が現れたことで、俺はスマホを取り落としそうになってしまった。見れば大きく『はい』『いいえ』と表示されている。
こんなの、悩む必要すらない。
俺はまるで、俺自身があいつに向けて返事をするかのように、しっかりとタップした。
「はい。これからもよろしくお願いします――ヴィル」
すると画面上のヴィルヘルムが、強張った表情を崩した。
『――ありがとう。アリス』
やがてヴィルヘルムは、まるで憑き物が落ちたかのような、爽やかな笑みを見せた。その顔は他の攻略キャラと遜色ない格好良さ――むしろレア度でいえば群を抜く、それはそれは貴重な照れ顔差分だった。
週明けの月曜日、俺はひしめく通勤電車の中で、ぼうっと意識を飛ばしていた。
デスデスの世界では一年近くの日数が経っていたはずなのだが、戻って来てみれば土日の二日間しか経過していなかった。昨日の夜は散々嬉し泣きに溺れ、買っていたアルコールを片っ端から飲み干した。
おかげで頭の痛みは最高潮だ。
(夢……だったのかなあ……)
朝、デスデスをニューゲームしてみたが、特に変哲のない状態だった。ヴィルヘルムは相変わらず嫌味な悪役をしているし、脇には得意げなマルガレーテもいる。どうやら彼女も無事だったようだ。良かった。
エンディングリストにも変化はない。
そもそも攻略サイトでも、テキスト差分だけと言われていたので、あのヴィルヘルムの一世一代の告白を読み返すことは出来ないようだ。何らかの条件を満たせばあのルートに行くことも出来るのだろうが……いまだ、はっきりとした攻略方法は分かっていない。
俺はあくびを噛み潰しながら、がたんがたんと揺れ動く車窓に目を向ける。すると座席に座ってスマホを見ていた男の手元で視線が止まった。
(あれ、デスデスの限定スマホケース……)
真っ赤なレザーカバーに銀の校章箔押し。イベント限定で発売され、俺も喉から手が出るほど欲しかったが、女性ばかりのイベントに出向く勇気がなく、泣く泣く諦めてしまった代物だ。各キャラのイメージに合わせて作られたもので、赤はディートリヒだったはず。
すると俺の注視に気づいたのか、スマホの持ち主がちらりとこちらを見てきた。
歳は俺とあまり変わらないくらい。さらさらとしたストレートの黒髪に、頭のよさげな黒縁の眼鏡をかけている。
男は俺をじっと見つめると、どこか冷たい様子で睨みつけ、再び視線をスマホ画面に戻した。何だ? 俺何かしたか?
何となく苛立ちを覚えていると、次の駅に到着した。男はすっくと立ち上がり、人混みに交じって電車を降りる。
入れ替わるようにまた大量の乗客が押し寄せ、俺は先ほどよりも窮屈な中、水面で息をするかのように必死に耐えていた。
するとカチャ、という音と共に、スーツが引っ張られる感覚があった。何だろうと視線を落とすと、数ミリのアクリル板のようなものがボタンに引っかかっている。
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて囁くような声が聞こえ、俺はそちらに目を向けた。すると俺より頭一つ低い位置に明るい茶髪が見えた。小柄な女性が必死にカバンを手繰り寄せている。
「すみません、引っかかってしまったみたいで」
「ああ、大丈夫ですよ」
アクリル板に手を伸ばし、カチリと外す。キーホルダーによって結ばれていた俺たちは、互いに顔を見合わせて苦笑した。
何気なく手元を見た俺は、あれ、と目を丸くする。
「これ、デスデスの……」
「え、ご存じなんですか⁉」
他の乗客の邪魔にならないよう、可能な限り絞った声で会話を続ける。俺の手の中にあったキーホルダー――俗にアクキーというのだが――はデスデスの公式グッズの一つ。片面に各キャラがプリントされており、彼女が着けていたのは『ヴィルヘルム』だった。
「ヴィルヘルムですよね」
「えーっすごい、サブキャラだからあんまり好きな人が居なくて……」
「分かります。好きなんですか?」
すると女性はうーんと少しだけ首を傾げた後、どこか照れたように微笑んだ。
「ええと、私も前はそこまでだったんですけど、……最近色々あって、その、急に好きになったというか」
えへへと笑う女性を見て、俺はふと週末の大冒険を思い返した。そうですね、と俺は懐かしむように目を眇める。
「分かります。俺も――こいつが一番好きです」
不器用で、乱暴で。でも誰よりもアリスティアを大切に思っている。そんな奴のことを思い出しながら、俺は手の中のアクキーを見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
(了)
以上で完結です!
短い間でしたがお付き合い下さりありがとうございましたー!
次はだだもれの第二部です。
よければまたお付き合いいただけると嬉しいです~!




