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勝率は分からない。
だが俺の中では、ほぼ正解に近い答えが定まっていた。
『いいだろう。オレに体をよこせ』
分かった、と返事をした俺は、目を閉じて全身の力を抜いた。やがて弛緩した筋肉にぴりとした緊張が走ったかと思うと、俺の意思とは関係ないところで体が動き始める。ヴィルヘルムに主導権が移ったのだ。
ヴィルヘルムは確かめるように何度か首を傾け、手を強く握りしめた。やがて黒い霧に包まれたマルガレーテを見据えると、あそこまで行けばいいんだな、と呟く。
「お前――ディートリヒと言ったか」
「……そうだけど」
「剣を貸せ。あと、アリスを頼む」
短く告げると、ヴィルヘルムはディートリヒから剣を奪った。マルガレーテの位置を捕捉すると、すぐに踵を蹴り上げ走り出す。
俺が動かしていた時と足の長さは変わらないはずなのに、一度に進む距離が違い過ぎた。これが中身の差なのか。
迫りくるヴィルヘルムに向けて、マルガレーテの背後から帯状の影が飛来する。だがヴィルヘルムはそれを切り伏せ、次々と弾き飛ばした。剣戟による火花を見ながら、俺はあと少し、あと少しと間合いを測る。
やがてあと数歩でマルガレーテと衝突する、という範囲に足を踏み入れたヴィルヘルムは、心の中にいる俺に問いかけた。
「――来たぞ、どうする?」
『変わってくれ!』
その言葉にヴィルヘルムは高く跳躍し、ふつ、と体の力を抜いた。同時に俺は意識を露わにすると、着地点にいるマルガレーテに向けて手を伸ばす。
中空に浮かぶ俺の体めがけて、鋭く尖った細い触手が何本も突き刺さった。痛い。死にそう。ヴィルヘルムにも申し訳ない。でも。
「――マルガレーテ!」
棺の上に佇んでいたマルガレーテを、俺は最後の力を振り絞って、触手ごと勢いよく抱きしめた。目を丸くしたマルガレーテは、俺の背中にさらにドスドスと影の爪を突き立てる。
心臓が二つに割れるようだ。
喉の奥から血の味がする。
でも俺は離さない。
「ごめん。ごめんな……俺のせいで……」
『――ヴィル、ヘルム、さま』
「違うんだ。俺、ヴィルヘルムじゃないんだよ」
目が霞んできた。もうあまり時間はないのかもしれない。
(アリスたんが呪いを封印出来たのは、自分の命か、記憶を代償にした祈り……)
もしも。
もしもそれが、俺にも出来るなら。
俺の命を使えば、呪いが封印できるのではないだろうか。
(ヴィルヘルムの体には、俺とあいつの二つの命が入っている。なら、俺の分だけ使って、呪いを封印する――)
苦しそうなマルガレーテを腕に抱いたまま、俺は必死になって頭を回転させた。思い出せ。思い出せ。ゲームでアリスたんは、どうやって封印していた?
(そうだ――呪文……)
アリスティアが自らの命をもって呪いを封じ込める際、最後の選択肢が出る。ただし三秒だけ。ボタンを押し損ねると、呪いは封印できずゲームオーバーとなってしまう、デスデス最後の糞仕様だ。
しかも困ったことに、この呪文はプレイするごとにランダムで、本来であれば三年生になった時に一度だけヘルムートから教えてもらうことが出来る。当然、俺が知っているはずがない――はずがない、のだが。
俺は、何故か『大丈夫だ』と確信していた。
「――ヴィルヘルム!」
『なんだ!』
「これが終わったらさ、ちゃんと自分から、アリスたんに告白しろよ」
『こんな時に何を言ってる⁉ お前は――』
俺はマルガレーテの額に、自分の額を押し付けた。
間近で見たマルガレーテは、ひどく驚いた表情を浮かべていたが、何故かぼろぼろと大きな涙を零し始める。
それを見た俺は、穏やかに微笑んだ。
『――あな、たは』
「もう大丈夫だマルガレーテ。俺がちゃんと苦しい奴を取ってやるから」
『――あ、あ……』
意識を集中する。大丈夫だ。
俺は大きく息を吸い込むと、腹の奥底から咆哮した。
「――ザンギュラのスーパーラリアッ上!」
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
マルガレーテの中から絹を裂くような絶叫が聞こえ、黒い霧が一気に放出される。やがてそれは俺の体に吸い込まれて行き、内臓をかき混ぜるようなひどい吐き気に襲われた。体中についた傷が、一斉に熱を持ち始める。
再び心臓が、鉄条網でぎりぎりと縛りあげられるかのような激痛を生み出し、――俺はついに意識を失った。




