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「――アリスティア」


 振り返った彼女は、本当に美しかった。

 頭上に輝くステンドグラスが、アリスティアの足元に素晴らしい絵画を映し出す。その光を浴びて、彼女の金の髪がキラキラと輝いていた。

 アリスたんが振り返ると、その光が不思議な燐光のように舞い、その姿は今しがた目の前に下りてきた天使のようだ。

 だがアリスたんは俺の姿を見て、少しだけ困ったように表情を陰らせた。


「ヴィルヘルム様……」

『……俺はもうだめだ……』

(ちょっと他人行儀に呼ばれたくらいで諦めるんじゃない! しっかりしろ!)


 こいつこんなに打たれ弱い奴だったのか⁉ と俺は戸惑いながら、心の奥底にいるヴィルヘルムを必死に励ます。

 渡すだけなら俺でも出来る。だが――お前が言わないと意味がないだろうが!

 ええいままよ、と俺は勢いよく脇に抱えていたプレゼントを差し出した。突然のことにアリスたんも分かりやすく目を丸くする。

 こうなったら、俺が一手を打つしかない。


「――これを、受け取ってほしい」

「わたしに、ですか…‥?」


 ディートリヒの二の舞、という単語が浮かび、俺は一瞬ぎくりと硬直した。もし奴と同じように、受け取りすら拒否されたらどうしよう。

 だが俺の不安をよそに、アリスたんは恐る恐るではあったが、箱を受け取ってくれた。


「開けても、良いですか?」

「あ、ああ」


 早く、早く入れ替わってくれ。出てこなくていい時はすぐ出てくるくせに、いざという時に黙り込むのは奴の悪い癖だ。

 アリスたんが包装紙を剥がす間、俺は何度もヴィルヘルムを呼びつけたが、一向に声帯を乗っ取る気配がない。


 やがてアリスたんが箱を開いた。

 中から現れたのは靴――だが、俺が思っていたレベルの数段上の品物だった。


 可愛らしく繊細な白のハイヒール。だが交差するベルトストラップにはダイヤとイエローガーネットが整然と配されている。靴裏は濃紺で、複雑な文様が薄い銀で書かれていた。ヒールの部分も変わっていて、踵と床につく部分以外は透明になっている。

 ヒールの中はとろりとした液体で満たされており、虹色の光を弾く宝石がゆったりと浮かんでいた。傾けるたびにキラキラと輝きが零れる――これは間違いなくオーダーメイドだろう。ディートリヒの指輪とため張る重さになってない? 大丈夫?


 さすがのアリスたんも驚いたのか、夕日色の目を大きく見開いていた。


「これっ……て……」

「あ、いや、その」

「――覚えていて、くれたんですか? 十六歳の誕生日に、靴をくださるって……」


 へ? と俺は目を点にした。何それ聞いてないぞ。

 顔を上げたアリスたんの頬はバラ色に上気しており、そのあまりに愛くるしい笑顔に、俺はかつてないほどの罪悪感に苛まれた。違うんです。俺はただの配達のお兄さんであって、用意したのはこいつなんです。でもありがとう。


(もういいから! お前の! 口で! 言え‼)


 いよいよ痺れを切らした俺は、もうこれ以上声帯を使う気はないとばかりに、唇を引き結んだ。ヴィルヘルムもそれを察したのか、ようやく、本当にようやく、渋々と浮き上がってくるのが分かる。

 やがて俺の意思とは別に、ゆっくりと口が開かれた。



「――迷惑なら、捨てろ」

(そうじゃないだろーーーー⁉)


 俺の絶叫に、ヴィルヘルムがわずかに顔を顰めた。どうやら俺自身が引っ込むと決めているせいか、表情も奴の感情に影響されているようだ。

 この期に及んでまだ素直になれないのか、と俺が憤るのにも構わず、奴は素っ気ない言葉を選び続ける。


「俺が勝手に用意しただけだ。いらないのであれば――」

「嬉しいです! すごく!」


 だがアリスティアの満面の笑みを前に、ヴィルヘルムは次に用意していた皮肉を呑み込んだ。さすがに十年思い続けていた相手には、この不器用男も歯が立たないらしい。


「……そうか」

(そうか、じゃない! 早くちゃんと謝るんだよ、婚約破棄のこと!)


 やいやいと騒ぐ俺に舌打ちし、ヴィルヘルムははあと短く息をついた。


「……アリスティア」

「は、はい」

「その、……以前のことなんだが……」


 だがヴィルヘルムが決意の一言を紡がんとしていた、まさにその瞬間――礼拝堂の中が暗闇に包まれた。月明りが雲で覆われた、などというレベルではなく、一切の光明が失われた。まるで漆黒の只中に落とされたかのようだ。


「え……?」


 驚きに声を上げるアリスティアを、ヴィルヘルムは周囲に警戒しつつ、無言で抱き寄せた。感覚を共有している俺は、アリスたんの細すぎる腰や甘い匂いに一瞬気を失いかけていたが、必死に頭を巡らせる。

 今日はクリスマス。

 アリスたんは誰のプレゼントも受け取らず、一人で礼拝堂にいた。よく考えてみれば、一・二年のクリスマスイベントは教室だけで行われるため、アリスたんがどこかに移動することはない。


(これ、……もしかして……最終イベントなのか……⁉)


 ヴィルヘルムの思いを届けることに集中しすぎて、俺はすっかり失念してしまっていた。アリスたんが礼拝堂に向かうのは、ゲーム中で二回だけ。

 卒業式の後で告白を受ける時と――三年のクリスマス、『誰ともエンディングを迎えない』ノーマルルートが確定した時だ。


 それを思い出した瞬間、足元がぐらりと傾いだ。途端に、外れていた部品ががちりと嵌め込まれるかのように、俺に体の主導権が戻ってくる。

 気づくと床板が外れており、ものすごい急傾斜を滑り降りる間、俺は腕の中にいたアリスたんを横向きに抱き上げた。アリスたんも振り落とされないよう、必死に俺の首に腕を回す。やばい、違う理由で死にそうだ。


 ずざざざ、と靴底を鳴らしながら、俺たちはようやく一番下に到達した。幸い二人とも怪我はしておらず、俺は名残惜しさと戦いながら、そろそろとアリスたんを地面へと降ろす。


「だ、大丈夫?」

「は、はい。ありがとうございます……」


 短いやり取りを最後に会話が途切れる。

 ヴィルヘルムは先ほどの衝撃で引っ込んでしまったのか、呼びかけてもうんともすんとも言わない。


(どうしよう……俺、アリスたんと実際に話したこと、ほとんどないんだけど……)


 毎日のようにストーキングしていたおかげで、誰よりもアリスたんについて詳しい自負はある。だがあくまでも陰から見守っていただけなので、こうして実物を前にして何と声をかけるべきか分からなくなっていた。


(というか、俺じゃなくてヴィルヘルムとして接しないと、後々ややこしくなるような……でもあいつのアリスたんへの喋り方ってどんなだったか……?)


 悶々と考えていた俺をよそに、アリスたんは懸命に辺りを見回していた。礼拝堂の地下は下水道通路のようになっており、壁にはずらりと煉瓦が嵌め込まれている。等間隔に灯りも設置されているが、道の先は暗く、何があるか全く視認できない。


「ヴィルヘルム様、上には戻れなさそうなので、とりあえず進んでみましょう」

「あ、ああ……」


 どこか頼もしいアリスたんの発言を受け、俺はとりあえず彼女の前を歩くことにした。コツンコツンと踵の音が遠くまで響き渡り、かなり広い空間なのだと伺える。空寂な雰囲気の中、俺は必死に脳内攻略本を再生していた。


(間違いない……ここはラスボス前のダンジョンだ……)


 だとしたら、相当まずい。


(ノーマルルートのエンディングは、……絶望的だ)



 

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