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 真摯に謝罪する俺を、マルガレーテは静かに見つめていた。やがて高貴な猫のようにするりと体を離すと、くるりと俺に背を向ける。


「……わかりましたわ」

「ほ、本当に⁉」

「……ほんとに、以前のヴィルヘルム様とは思えませんわね」


 そう言うとマルガレーテは、くすりと笑いながら振り返った。その表情はどこか晴れやかで、俺はほっと胸を撫でおろす。


「分かりました。もう今後、あの子に手出しはいたしません」

「……ありがとう」

「なんですの、その情けない顔。しっかりなさいまして?」


 よほど間の抜けた顔をしていたのだろうか。俺は慌てて口元を手で覆った。

 その光景が面白かったのか、マルガレーテはさらにふふ、と声を上げて笑う。そこには今までのような、投げやりな態度や緊張感はなく、年頃の女の子らしい可愛らしさだけがあった。


「まったく――大体、あの子が好きなのもバレバレですわ」

「えっ⁉ そ、そうだったのか……」

「あれだけ毎日追い回していれば、誰だって気づきます。知らないのはアリスティア本人くらいじゃありませんこと?」


 そんなにあからさまだったのかと蒼白になる俺を見て、マルガレーテは微笑んだ。


「大変なのはこれからですわよ。何といっても、婚約を破棄してしまったのですから」

「そ、それを言われると」

「しっかりなさい。本当に、以前のヴィルヘルム様はどこに行かれたのかしら」


 まるで弟を叱るようなマルガレーテの口調に、俺は思わず笑ってしまった。マルガレーテはきょとんとしていたが、つられたように口角を上げる。

 やがて消灯を告げる時計の鐘がなった。


「俺、そろそろ行くよ。本当にごめん――そしてありがとう、マルガレーテ」

「……ええ」

「また明日、学校で」


 俺は満面の笑顔で手を振る。

 きっと以前のヴィルヘルムではありえない行動だろうが、マルガレーテは同じように手を振り返してくれた。


(直接話が出来て良かった……これで、アリスたんに危害が及ぶことはなくなるはずだ……)


 もちろん心が痛まないわけではない。

 俺は自室への道を歩きながら、胸元をそっと握りしめていた。







 ヴィルヘルムのいなくなったバルコニーで、マルガレーテは一人夜風を楽しんでいた。


(不思議ですわ……絶対に、諦めるつもりなんてなかったのに……)


 以前のヴィルヘルムは他者を気遣ったり、ましてや謝るなど絶対にしない男だった。暴君とも呼べる圧倒的な力とカリスマ性。それにマルガレーテは惹かれたのだ。

 だがある時から、彼は変わってしまった。

 最初はマルガレーテも困惑したが、愚直とも思える彼の行動を見ているうちに、次第に気持ちが変化していったのだ。


「でも……ヴィルヘルム様が好きなのは、わたくしではない……」


 ドレスでも宝石でも、欲しいものは何でも手に入れてきた。ヴィルヘルムの心だって、時間をかけて必ず手に入れてみせると。しかし今のマルガレーテは、どこかで彼の恋が叶ってほしいという願いも抱えていた。


(でなければ……振られたわたくしが、惨めじゃありませんの……)


 マルガレーテは吹っ切れたように笑う。

 少し風が冷たくなってきたのか、マルガレーテはふるりと肩を震わせた。早く部屋に戻ろう、と振り返ったその時――低く濁った声色が、マルガレーテの耳元に囁きかける。




――『かわいそうなマルガレーテ』


「だ、誰ですの?」


 たまらず耳を押さえ、振り返る。眼下には誰もいない校舎と中庭が広がっているだけで、人影ひとつ見当たらない。だがその声は再びマルガレーテを襲った。


『その純粋な愛を、受け止めてもらえないなんて』

「誰⁉ 姿を見せなさい!」

『あの子さえ、アリスティアさえいなければ、彼の愛は君のものだったのに』

「違いますわ! あの子は関係ありません! ただわたくしが至らなかっただけで……」


 口にしながら、マルガレーテは一瞬だけ迷ってしまった。そこを突くかのように、謎の声は心の底から同情するように語り掛ける。


『本当に?』

「……ッ」

『君はずっと頑張って来た。彼に好きになってもらおうと、美しくなる努力を惜しまなかった。勉強も運動も人一倍努力していた。何より君は――誰よりも彼を愛していた』

「それ、は……」

『あんなに一途に、彼のことを思っていた。彼といるだけで幸せだと信じていた。自分が彼を幸せにするのだと――その気持ちが、彼女に負けていたというの?』


 否定は、出来なかった。


『マルガレーテ。君は幸せになるべきなんだ』


 足元にあった影が、先ほどより濃くなっている。マルガレーテの瞳からは光が消え、うろんな表情のまま、ぽつりと言葉を漏らす。


「わたくし、は……」

『君の願いをかなえよう。わたしの名は――』


 刹那、マルガレーテの影がひとりでにぬるりと動いた。黒い触手のように彼女の腕や腹を這いまわり、全身を絡めとっていく。やがてしずしずと元の位置に収束したかと思うと、マルガレーテは静かに瞼を押し上げた。

 その光彩の縁は、赤い三日月のように輝いていた。



 

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