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アリスたんが戻ってから、俺は少し時間を空けて会場に入った。すると入口のところで、誰かからがしりと腕を掴まれる。
誰だ、と振り返ると、そこにいたのは目をキラキラとさせたレオンだった。隣には愉悦を浮かべたディートリヒもいる。
「お待ちしていました。さあ、行きましょう」
「ちょっ、ど、どこに行くんだよ!」
「もちろん、最終試合です」
「へ⁉」
連れてこられた先は、男子リーグの決勝戦だった。慌てて掲示板を見ると、レオンと俺の対戦カードに先ほどの結果が表示されている。その下を見て俺は目を剥いた。
(こ、こいつ……三年に勝ってる……!)
どうやら俺が中座したために、先に一年対三年の試合が行われたらしい。そこでレオンが勝ったということは……。
(俺が三年に勝ったら、優勝……⁉)
おい起きろヴィルヘルムと必死に呼びかけるが、今度はどうやら黙秘ではなく、完全に電池切れのようだった。絶望する俺に対し、レオンはうきうきとした表情で語りかけてくる。
「感動しました。先ほどの試合、自分の技量を測るため、わざと攻撃を受けておられたんですね」
「え、いや、そういう訳では……」
「最後の切り返し、実に鮮やかでした。そうだ、良ければ剣術部に入って是非指南を」
「ご、誤解だー!」
ずるずると引きずられ、対戦相手の三年の前に立たされる。そこにいたのは本当に一つ上かと疑いたくなるほど、隆々とした筋肉の男だった。胸筋が分厚すぎてシャツの第一ボタンが留まってない。鳩胸というよりもはや鷲胸。
「待ちわびたぞヴィルヘルム!」
「お、俺、ですか……?」
「貴様に負けたことをきっかけに、俺は一年間肉体改造だけに費やしたんだ! 見ろこの美しい上腕二頭筋を!」
SASU〇E出場者みたいな肉体を前に、俺は死を覚悟した。どうやらこの先輩が、去年ヴィルヘルムが倒した上級生らしい。
(つーか、よくこんな奴倒したなレオンのやつ!)
ちょっと試合が見たかった。ではなく。
息つく暇もなく、審判から開始の合図がもたらされる。俺は懸命に抵抗したものの、内なるヴィルヘルムの助力なくしては、なすすべもない。
SAS〇KE先輩は俺に勝利した嬉しさのあまり涙を流し、各学年の代表それぞれが一勝したため、今年の武術大会は『優勝者なし』という結果に落ち着いた。
そして俺は翌日の筋肉痛と、レオンからの妙な尊敬を得る羽目になった。
武術大会から数日後、俺は大会の実行責任者の元を訪ねた。
「剣や道具は全部こちらに保管されていますが……」
連れていかれたのは校舎裏の倉庫。中には掲示板や参加者用の剣などが几帳面に収納されていた。俺は木剣の一つを手に取りながら、続けて確認する。
「壊れた剣はどこに?」
「それでしたらこちらにまとめて……ああ、これですね」
重量感のある音を立てながら、巨大な麻袋が顔を出す。縛っている紐をほどくと、中から数本の剣が転がり出てきた。俺は壊れた剣を見比べる。
(やっぱり、……アリスたんの剣だけおかしい)
他の経年劣化で折れた木剣は、断面が刺々しいものばかり。一方でアリスたんの剣だけは、まるで鋸で切られたかのように真っ直ぐな面がある。おそらくアリスたんが使う剣にだけ、あらかじめ細工をしていたのだろう。
ありがとうございます、と責任者に礼を言い、俺は二年の校舎へと戻った。
「悪い、マルガレーテ。少しだけ二人で話せないか」
夜の談話室。
俺が声をかけると、周囲にいた取り巻きたちの方が色めきだった。
「ヴィルヘルム様! も、もちろんですわ!」
「ささ、マルガレーテ様。ゆっくりお話しして来てくださいませ」
「わたしたちのことはお気になさらず!」
過剰なまでの反応に押されつつ、俺はマルガレーテを伴って寮の一角に移動した。大きなフランス窓を開けると、じき冬を迎える涼やかな風が、ぶわりと流れ込んでくる。バルコニーには誰もおらず、俺は少しためらいがちに切り出した。
「二年の、武術大会のスタッフに話を聞いたよ」
「……」
「アリスティアの剣に、細工をさせたのは君だよね」
俺の言葉を受けて、マルガレーテは酷薄した笑みを浮かべた。
「あら、もうばれてしまいましたの」
「……もうやめてくれないか。彼女と俺は何の関係もない。君と……別れたのも」
だがマルガレーテはふふ、と赤い唇を歪める。
「相変わらず、嘘が下手ですのね」
「え?」
「とっくに知っていましたわ。――わたくしのことが好きで、付き合ってくださったわけではない、と」
するとマルガレーテは俺に歩み寄り、そっと手を伸ばして来た。白く滑らかな指が、蛇のように俺の頬に絡みつく。
「貴方はきっと、婚約破棄をしたかっただけなんでしょう? そのためにわたくしを利用した。あの子より家柄が良く、手懐けやすい女であれば誰でも良かった。……違いまして?」
違いましてと言われても、あいつの思考回路は半年一緒にいる俺ですら分からない。だがマルガレーテの言うことが事実だとすれば、ヴィルヘルムはマルガレーテに骨抜きにされたからではなく、何か他の理由があって婚約破棄をした、ということになる。
(一体どういうことだ?)
混乱する俺をよそに、マルガレーテはさらに体を密着させてきた。豊満な胸が押し当てられ、俺は思わず目をそらす。だめだ。俺はアリスたん一筋だ。
「わたくしはそれでも良かった。たとえ偽りでも、貴方が傍にいてくださるならそれだけで良かったのに……今の貴方は、まるで人が変わったようですわ」
心臓がどくりと拍打つ。マルガレーテさん鋭いな。
「飽きたなら捨てればよろしいのに、わざわざ人前で頭を下げて……舞踏会のことだって、あの場でわたくしを糾弾すればよかったのです」
「そんなことをしたら、君が……」
「……だから『人が変わった』と申したのです。以前のヴィルヘルム様であれば、そのような慈悲を下さりませんでしたわ」
おとがいを掴まれ、マルガレーテと正対させられる。情熱的なマルガレーテの瞳に見つめられ、俺は視線をそらすことが出来なかった。
「――変わったのは、あの子のせい?」
「マルガレーテ、俺は」
「でも婚約破棄を望むくらいなのですから、あの子とは結ばれぬ運命なのでしょう? でしたら、わたくしでも良いではありませんか」
甘い声が、俺の心を侵食する。
「貴方があの子を思っていても、わたくしは責めませんわ。愛してくださらなくとも、ただ傍に置いてくだされば、……好きにして構いませんのよ」
マルガレーテの腕が俺の首に回り、そのまま強く引き寄せられる。顔を傾けて口づけを強請る彼女を前に、俺は小さく「ごめん」と零した。
「……だめだよ、こんなの」
「どうしてです?」
「俺が君を傷つけたのは謝るよ。でも代わりにするなんて、出来ない」
「……」
「……本当にごめん」




