24
(体が、勝手に、動く……!)
恐ろしいほどの剣速で、俺は次々とレオンを攻め立てる。レオンも必死に受けてはいるが、一つ一つの攻撃が恐ろしく重く、最後の一打で俺はレオンの剣をはるか上空へと跳ね上げていた。
「――そこまでッ!」
突然の逆転劇に、一瞬歓声のタイミングが遅れた。俺自身も何が起きているのかまるで分かっておらず、倒されたレオンも突如牙を剥いた俺の剣技に、言葉を失っているようだった。
だが俺はすぐに剣を置き、そのままどこかへ走り始める。
(お、おい、ヴィルヘルム、お前一体どこに――)
答えはすぐに判明した。
ざわざわとした人混みを掻き分けながら、俺が向かったのは女子の試合会場――中央には倒れ込むアリスたんの姿がある。
「アリスティア!」
俺とヴィルヘルムが同時に叫んだ。取り囲む審判を押しのけて、アリスたんの前にしゃがみ込む。どうやら医療班が遅れているようだ。傍らには折れた木剣が転がっており、対戦相手が震える声で必死に弁明している。
「ち、違うんです! 突然剣が折れて……私は何も……」
俺はちらと木剣の断面に目を向けた。剣身の中程で折れていたそれは、一部が不自然なほどに真っ直ぐだ。
(あの剣、劣化で折れたにしては妙だ――もしかしてこれも……)
しかし俺の思考はそこで中断した。
何故なら俺は、アリスたんの肩と膝下に手を差し込んだかと思うと、そのまま彼女を横抱きに持ち上げたのだ。周囲から驚きと歓声が上がる中、俺は堂々たる足取りで会場を後にする。
だが当然のごとく、この行動に俺の意思は一ミクロンも採用されていない。
(お、俺が、……アリスたんを、お姫様抱っこしている……!)
自分の体が勝手に動く不快感はあるものの、万一急に俺に主導権が戻ってしまい、アリスたんを取り落とすようなことがあってはまずい。そう気づいた俺は、ヴィルヘルムの機嫌を伺うようにひたすら押し黙った。
校舎に入ったヴィルヘルムは、ある一か所を目指してずんずんと歩き続けた。たどり着いたのは医務室。中に教諭の姿はなく、整頓されたベッドの上にアリスたんを寝かせる。
「……」
ヴィルヘルムは一言も発さないまま、そっとアリスたんの髪を撫でた。さらさらとした金髪が、俺の手をかいくぐるようにして頬に落ちる。静かに呼吸するアリスたんの容態にほっとした俺だったが、ヴィルヘルムの次の行動に、再びパニックに陥った。
(お、お前、一体何を⁉)
あろうことかヴィルヘルムの奴は、アリスたんのシャツのボタンに手をかけたのだ。誓って言う。俺がやっている訳ではない。本当に。俺は遠くから眺めていれば満足するタイプのオタクですぅー!
「いちいちうるせえな」
苛立ちを吐き出したヴィルヘルムは、慣れた手つきでシャツの一番上のボタンを外した。アリスたんの細い首筋と鎖骨が露わになり、俺は思わず目をそらす――つもりだったのだが、体の統制権が完全にヴィルヘルムにあるため、視線を外すことが出来ない。
真珠のような肌に思わず唾を呑み込む。一体何をする気なんだ……と俺が困惑していると、ヴィルヘルムは開いた襟をくつろげ、赤くなった部分を見てぽつりと呟いた。
「打撲だ。呼吸はあるから、すぐに回復するだろう」
(……へ……?)
どうやら怪我をした箇所を確かめただけのようで、ヴィルヘルムはそれ以上アリスたんには触れなかった。代わりに冷蔵庫から氷嚢を取り出したかと思うと、赤くなった肌にタオルを当てそれを乗せる。
心なしかアリスたんの呼吸が穏やかになった気がして、俺はその間ヴィルヘルムの動向を傍観することしか出来なかった。
はあ、とようやく落ち着いたヴィルヘルムは、ベッドの傍にあった小さな丸椅子に腰かけた。ゆっくりと上下するアリスたんの胸を眺めながら、複雑な面持ちで睫毛を伏せる。その様子が、とても婚約破棄をした相手に対するものとは思えなくて、俺はこっそりと問いかけた。
(……お前さ、さっき試合を早く終わらせようとしただろ)
「……」
(それってさ、……アリスたんを助けるため、だよな?)
「……」
まただんまりだ。
だが既にここまで派手に動いている以上、言い訳は受けつけない。
(どうしてだよ⁉ こんなに大事に思っているのに、どうして優しくしてやらないんだよ⁉)
俺は何だか悔しくなって、握りしめた拳を力いっぱい自分の胸に叩きつけてやった。すると時間切れを起こしたのか、タイミング悪く体の主導権が入れ替わる。俺は自分の拳でしこたま腹を強打してしまい、ぐは、とやられモブのようなうめき声を上げた。
「きゅ、急に戻るなよ! 痛いだろうが!」
『チッ……オレだっていつ戻るか分かんねーんだよ!』
一人どつき漫才を繰り返していた俺だったが、かすかな声を耳にした瞬間、急いで椅子から立ち上がった。見るとベッドに横たわっていたアリスたんが、少しだけ目を開いている。
「アリスた……ええと」
思わず声をかけてしまったが、ここまで運んできたのも、処置をしたのもヴィルヘルムだ。ここで俺がどや顔するのも何だか悪い、と浮き立つ気持ちをいったん落ち着ける。
「大丈夫、か?」
「ヴィルヘルム、様……」
中身が違うとばれないよう、俺はゲームに出てきたヴィルヘルムの口調を思い出しながら静かに応答した。アリスたんはすっかり意識を取り戻したのか、ゆっくりと上体を起こす。
「すみません、わたし、気絶していたんですね」
「そう、らしいな」
「もしかしてここまで運んで下さったんですか? ……ありがとうございます」
ああ、と答えながら、俺はちくちくとした罪悪感を覚えていた。この礼を受け取るべきは俺じゃない。俺の中にいる本物のヴィルヘルムなのだから。
だがそんな真実を知らないアリスたんは、心の底から嬉しそうに微笑んだ。やがて静かに言葉を続ける。
「――あの頃と同じですね」
「あの頃?」
「体の弱かったわたしが倒れた時、いつも助けてくれて……」
まただ。俺は舞踏会の夜を思い出す。
(アリスたんとこいつは、昔からの知り合いなのか……?)
それも互いに嫌っていたわけではなく、むしろ仲が良い間柄だったかのような口ぶりだ。ヴィルヘルムと入れ替わった直後の今なら聞けるだろうか、と俺は勇気を出して口にした。
「アリスティア、――」
だがすぐに声は音を失った。
俺の思惑を阻止するように、意思に反した冷徹な言葉だけが紡がれる。
「偶然だ。他に手の空いている人間がいなかったから、オレが運んだだけだ」
(なぁーーーーにが偶然じゃーーーーー!)
あのレオン相手に、一発で決めて試合切り上げてきたくせに。救護班がおろおろしているのを無視して抱っこしたくせに。ものすごい心配そうな顔で医務室まで運んでいたくせに! 俺全部知ってるんだからな! この天邪鬼! 素直じゃない男ランキング一位!
しかし体は俺のままでも、声帯はヴィルヘルムに奪われている。俺は荒れ狂う心の声を完全に封じられたまま、ただアリスたんの返事を待った。
「そう……ですよね」
恥ずかしそうに笑うと、アリスたんはそっと起き上がり、俺に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました。試合、中断しちゃったので会場に戻りますね」
「好きにしろ」
アリスたんは寂しそうに眼を眇めると、そのまま医務室を立ち去った。一人残された俺は、ようやく取り戻した声で、腹の奥でくすぶるヴィルヘルムへと語り掛ける。
「……本当に良かったのか? あれで」
『……』
またお得意の黙秘権だ。
どうしたものか、と俺は一人ため息をついた。




