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第一試合。
俺は滑り止めを巻いた剣の柄を握りしめた。
(とりあえず、やるしかないな)
試合開始の合図と共に、相手が振りかぶってくる。俺は内心ひええと悲鳴を上げながら、横にした剣でそれを受け止めた。
木剣とはいえ、当たったら相当痛そうだ。びりびりとした振動が手に伝わり、俺は再び手に力を籠めるとそれを押し戻す。
(――あれ、)
思ったよりも軽い。相手が手を抜いているのかとも思ったが、目を見開いている様子から本気なのだと分かる。それどころかこんな激しい応戦の最中でも、はっきりと相手の顔を認識出来ることに俺の方が驚いた。
(ヴィルヘルムのやつ、めちゃくちゃ目が良いのか……?)
優れた野球選手は、投げられたボールが止まって見えるという話を思い出す。俺の反撃を受けて、相手はそのまま後ろにバランスを崩した。
両手と尻もちをついた相手に向けて、俺は剣の切っ先を向ける。すぐに主審と副審が赤の旗を掲げ、周囲から歓声が沸き上がった。よし、とりあえず一勝だ。
「――悪い、痛くなかったか?」
「へ? は、はい……」
俺はきょとんとする相手に手を差し出し、地面から引き起こした。まさかヴィルヘルムが手を貸してくれるとは思わなかったのか、男子生徒は感動に震えながら頭を下げる。
「あ、ありがとうございます! 俺もう一生手を洗いません!」
「? いや、普通に洗えよ……」
握手会に行ったファンのような感想に、俺は怪訝そうに首を傾げた。そういや友達のアイドルオタが毎度毎度似たようなことを言っていたな、と感慨にふける。俺だってアリスたんの握手会があったら行っていたさ。
次の試合まで待機となり、控えスペースに戻った俺は、自分の手の平を握りしめた。
(しかし……こいつ本当にすげえな……)
この体を使いこなせていない俺でも、基礎能力だけで他者を圧倒している。もし中身までヴィルヘルムになったとしたら、一体どれほどの本領を発揮するというのだろう。
隣の敷地では一年のリーグが行われており、対戦表を見ると予想通りレオンがユリウスを打ち負かしていた。ヘルムートも早々に一回戦敗退したようで、まああの中で残るとすれば、ディートリヒとレオンの二人だろう。
女子の対戦結果も探したが、どうやら男子生徒の各学年予選が終わってから始まるらしく、今はまだ試合の応援役に興じている生徒ばかりだった。
俺はもしかしたらアリスたんが見てくれているかも、と期待を込めて観客を伺ったが、どこにもその姿はない。大方同級生たちにエールを送っているのだろう。泣いてません。これは汗です。
(女子はほとんど見学か……)
出場を免除された令嬢たちは、普段と同じ制服姿で会場に来ている者がほとんどだった。中には、試合会場の上に位置するベランダから観覧する者もおり、まさに高みの見物という感じだ。
天上人の彼女たちは、それぞれお気に入りの騎士に向けて声援を送っており、俺も名前を呼ばれて上空を仰ぐ。途端にきゃあと歓声が上がり、俺は思わず苦い笑みを零した。そのうちの一人に目を奪われる。
(マルガレーテ……)
彼女は静かに俺を見つめたまま、わずかに目を眇めた。歓声を送るでもなく、他の女子を窘めるでもなく、ただ俺に対する関心を無くしたかのような微笑みに、俺は少しだけ不意をつかれる。
(もしかして、俺のことを諦めてくれたのか? いや、でもまだ油断は出来ない……)
これだけ距離と人目があれば、アリスたんに手出しをするのは難しいだろう。だが先日の舞踏会のように他者の手を使ってくる可能性もある。警戒は怠らない方が良い。
やがて名前が呼ばれ、二回戦、三回戦と俺は順調に試合をこなした。ヴィルヘルムの驚異的な身体能力に助けられつつ、去年の準優勝という経歴と、元々持っていた威圧感なども相まって、対戦相手のほとんどは戦う前から膝を震わせているような状態だ。
気づけば決勝に駒を進めてしまい、最後の相手も赤子の手をひねるような容易さで、地面に投げ出してしまった。倒れた相手に手を貸してやりながら、心の中で戦慄する。
(本当に勝ちあがってしまったぞ……)
黄色い声援と、何故か増えた男どもの暑苦しい喝采を聞きながら、俺は再び休憩に戻った。どうやら他のリーグも代表者が決まったらしく、中央の掲示板が張り替えられる。
女子の対戦表の横に並ぶのは『レオン』の文字。そして俺だ。もう一人は多分の三年なのだろう――と考えていた俺の背中に、硬質な声が舞い込んでくる。
「――ヴィルヘルムさん」
振り返るとレオンが立っていた。俺は目を見開く。
「レ、レオン、お前……前髪どうした⁉」
「大切な戦いには、これで挑むようにしていますので」
そこにいたのは完全体レオン――ではなく、普段のもっさりとした前髪を上げ、美しい尊顔を露わにしたレオンだった。
瞳は黄色に近い薄茶色。榛色と設定集では書かれていたが、複雑な色合いが刻々と変化しているかのようで、吸い込まれそうな不思議な魅力がある。なるほど。さっきからあちこちで女子が倒れて、医療班が奔走しているのはこいつのせいか。
(待てよ、この髪型になってるってことは……ここここいつ、もしかして、アリスたんの騎士になってしまったのか⁉)
俺は動揺を悟られないよう、冷静を装いながら静かに口を開く。
「お、お前、もしかして、アリスた――アリスティアと、な、何かあったのか……⁉」
どこが冷静やねん。
「? アリスティアなら試合に出ていますが」
レオンが差し示した方向に顔を向けると、なるほど女子リーグが開催されていた。観客の輪に阻まれてよく見えないが、どうやら今まさに試合を開始したところらしい。良かった。どうやらアリスたんがレオンルートを選んだ訳ではなさそうだ。
というか、待てよ。
(……これ、負けてアリスたんの応援に行った方が良かったんじゃ……)
いやいや、と俺は首を振った。戦うと決めたのは俺だ。だから後悔していない。していないが――出来るだけ早く試合を終わらせることにしよう。
数刻の休憩を挟んだ後、俺は中央の試合会場へと立っていた。対峙するレオンは闘気に満ちており、早く戦いたくて仕方がないという様子だ。
だが俺の内心はそれどころではなかった。
(アリスたんが……すぐ隣で戦っているというのに、俺は……)
どうやらアリスたんは順調に勝ち上がったようで、今は準々決勝だという。最近頑張って『武芸』を上げたおかげだろう。応援したい。懸命に戦うアリスたんを、心のストレージに限界まで保存したい。早く。
「――早く終わらせよう、レオン」
「――ッ」
俺は剣を握る手に力を籠める。射貫くような視線を向けると、突如変貌した俺の雰囲気に驚いたのか、レオンが警戒を強めた。互いに足を進めて礼をする。主審の合図の直後、レオンの姿が消えた。早すぎる先制攻撃だ。
(おおっ、と)
だがヴィルヘルムの目は、すぐに彼を捕捉した。横腹を狙う剣身をすれすれでかわし、崩れたバランスのまま俺は剣を振り抜く。だがレオンは高く飛び上がると、すぐに間合いから離れるように距離を取った。
(――強い!)
今までの相手とは比較にならないほど、レオンの動きは俊敏だった。抜群の身体バランス、鍛え上げられた筋肉、そして天才と言われる剣術のセンス。すべてを兼ね備えたレオンは、まさに剣の申し子と呼ばれるに相応しい人間だった。
一方俺は、ヴィルヘルムの体を借りているとは言え、中身はただの日本人男子だ。剣技に対する対処法はおろか、一対一での戦い方に見識がある訳でもない。
さらに攻めの姿勢で襲い掛かってくるレオンの剣戟を、防戦一方で受けながら、俺は歯を食いしばった。まずい、このままだと――負ける。
(くそ、でも隙が無い……!)
ヴィルヘルムの目をもってしても、レオンの連続攻撃を破るすべが見いだせない。このまま守り続けても、いつかは俺の方に油断が出来る。そこを突かれたら終わりだ。何とかしないと、と俺は手に力を込める。
その時、すぐ近くで悲鳴が上がった。
一瞬レオンの手が止まったが、俺も同時に意識を途切れさせる。直後に「――アリスティア!」と叫んだ声が続いたからだ。
(――アリスたん? 一体、何が……)
だがレオンはすぐに剣を握り直し、俺に振りかぶって来た。しまった、と思わず目を瞑る。しかし打撃の衝撃はいつまでも襲ってくることはなく、逆にびしりと肘にまで走った電流に、俺は閉じていた目をばっちりと開かされた。
(な、なんだ、これ……)
気づけば俺はレオンの剣身を鍔で受けており、そのまま押し戻すと、レオンの顔めがけて剣を振るう。あまりの速度に俺は腕ごと引っ張られた。




