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騒動の舞踏会が終わり、季節は秋を迎えた。
俺はと言えば相も変わらず、アリスたんを観察する日々を送っていた。アリスたんは最近『武芸』に尽力しているらしく、先日からひたすら校庭を走っている。
(はー……毎日見てるけど、まったく飽きる気がしないな……)
うっとりと見つめていた俺だったが、実のところ少し不安もあった。というのも、どうやらあの舞踏会以来、アリスたんの魅力に気付いた男どもが増えた気がするからだ。
基本的に攻略対象としか恋に落ちないアリスたんだが、『流行』パラメーターが上がるにつれて、周りのモブからモテるという描写が挟まれるようになる。
(あいつら……昔のアリスたんには見向きもしなかったくせに……ちょっと『流行』があがるとすぐこれだ……)
入学したては前髪も伸ばしたままで、少々野暮ったく見えていたアリスたんだったが、『流行』コマンドと、ユリウスの梃入れが功を奏したのか、みるみる本来の可愛らしさを溢れさせるようになっていた。
だがアリスたんの素晴らしさは外見ではなく、懸命に努力するところにある。と思っている俺にとっては、そんな上っ面だけで判断してもらいたくない、というのが本音だ。ただ俺自身、アリスたんを見ては可愛い可愛いと褒めそやしているので、正直たいした説得力はない。
そんなことを悶々と考えながら、俺は定位置である木の影から、明子姉ちゃんよろしくアリスたんを見つめていた。すると背後から突然声をかけられる。
「ヴィルヘルムさん」
「うわッ! はいッ! すみません、怪しいものではッ」
「自分です」
飛び上がった俺が振り返ると、そこにはレオンがいた。制服ではなくアイボリーのシャツ姿で、袖をまくり上げている。腰に剣を佩いているところを見ると、剣術部の途中なのだろう。
「いよいよですね」
「な、何が……」
「剣術大会です。約束通り、自分は必ず勝ち上がります。是非全力での手合わせをお願いします」
忘れていた……訳ではないが、俺は複雑な気持ちで「はい……」とだけ答えた。
剣術大会。
秋になると発生する強制イベントで、『武芸』パラメーターによって結果が左右される。競技自体は男女で分かれていて、アリスたんと攻略キャラが戦うということはない。
だがレオンはこの競技大会で優勝し、アリスティアにその剣を捧げると宣言するイベントがあるし、アリスたん自身にもランダムでイベントが起きる。
ただしヴィルヘルムがこのイベント中に現れたことはなく、俺は奴が武術大会の間どうやって過ごしていたか、まったく予備知識が無いのである。
(でもこいつ、去年準優勝なんだろ? レオンの奴もやる気だし……欠席、とか出来ないよなあ、やっぱり……)
やがてレオンはきっちり礼をした後、走り込みに行ってしまった。その立派な背中を見送ってから、俺はこっそりと手を握り腕の筋肉を意識してみる。ヴィルヘルムの体があればいいとこまでは行けそうだが、剣術なんてやったことがないぞ、と俺はがくりと肩を落とした。
「ヴィルヘルムさんよ……その日だけ変わってくれないかねー?」
返事はない。
俺はやはりだめか、と深い息をついた。
そして武術大会当日。
グレーのシャツに黒のシャツガーターを着けた俺は、会場入り口に貼り出された対戦表を見上げていた。どうやらまず各学年ごとにトーナメント式で対戦を行う。そこで勝ち上がった代表者同士で、再度総当たり戦を挑むという形式のようだ。
こっそり確認したところ、ヴィルヘルムは去年の一年リーグで優勝。さらに二年の先輩を倒し、あわや優勝かというところで、三年の強豪に敗れたという話だった。
敗れた三年というのが卒業後、王都騎士団のエリートになっているというのだから、こいつの剣術の腕は相当のものだろう。
「ヴィルヘルム様、今年こそは優勝を取って来てくださいませ!」
「健闘をお祈りしておりますわ!」
「……はは、ありがと」
鼻息荒い二年女子の声援を受けつつ、反対側から浴びせられる三年男子の視線に、俺は密かに怯えていた。昨年の雪辱を果たしたいという気持ちは分かるが、下剋上をやらかしたのは俺ではなくヴィルヘルムです。
(レオン、は当然いるよな……ん、あっちは女子か……)
どうやら女子の参加者もいるらしく、俺は何気なく視線を動かした。男子はほぼ全員参加なのに対し、女子の方は半数ほど。どうやらある程度の爵位を持つ令嬢や、特別な理由のある生徒は免除されているようだ。
知らない名前ばかりが並ぶ中、その文字だけが金泥で書かれたかのようにキラキラと輝いて見える。
(アリスたんも出るのか! 怪我しないと良いけど……)
たしかにゲームでも毎年参加していた記憶はある。だがミニキャラが戦うアニメが流れるだけで、実際木剣で叩き合うわけではない。
大丈夫かなあ、と表情に出さないまま困惑する俺の背後で、聞き慣れた声が飛び交った。
「げ、俺一回戦レオンじゃん。詰んだわ~」
「勝負は最後まで分からないぞ」
「何でもいいけど、顔だけはやめてくれよ?」
軽口をたたくユリウスと、真面目に応じるレオン。奴らがいるということは当然……
「はあ……どうして男子は参加義務なんだ……」
「まあまあヘルムート。一年に一度じゃないか」
(ディートリヒ……やはりか……)
振り返るのが癪なので、気づかなかったふりをして立ち去ろうとした。だがディートリヒは逃がさないとばかりに、わざとらしく俺を呼び止める。
「ああ、ヴィルヘルム先輩。今年はいよいよ優勝ですね」
「――ディートリヒ、お前……」
「三年生なんて大したことない、って言ってましたし」
奴の良く通る声のせいで、俺を睨んでいた三年男子の視線がいっそう険しくなった。やめろ。こんなところで火に油を注ぐんじゃない。炎上するだろ!
「俺はそんなこと言ってない。お前こそ、せいぜい怪我しないよう気を付けるんだな」
「ご忠告痛み入ります。ですが僕も、レオンほどではありませんが、剣には自信がありますので」
得意げなディートリヒの顔つきに、俺はぐ、と言葉を呑み込んだ。王子枠というだけあって、こいつの能力には隙が無い。特出したものはないが、どの分野もある程度――いや、常人が必死に努力して、ようやくたどり着くレベルくらいは軽々と達成してしまう。
剣の腕前も同様で、天才と言われるレオンには及ばないものの、他の生徒たちよりは頭一つ抜きんでている印象だった。
(出来ればこいつとは戦いたくない……あ、まあレオンがいるから大丈夫か。いや、あいつが来てもそれはそれで怖いな……)
そもそも二年リーグを勝ち上がる自信すらないのだが。若干虚ろな目をした俺だったが、小鳥のさえずりのような彼女の声に、たちまち生気を取り戻した。
「あの、そろそろ行かないと始まってしまいますよ……?」
(ア、アリスたん……!)
急に振り返ると驚かせそうだったので、なんとなく関心なさそうに視線を巡らせる。すると男どもの後ろで、同じく木剣を携えたアリスたんが、困ったように眉尻を下げていた。
金の髪は高い位置で一つに結ばれ、白いシャツと動きやすさを重視した濃茶のパンツとブーツスタイル、襟元には小さな紺のリボンを着けている。普段のスカート姿も可愛いが、ボーイッシュなのも似合う。俺は気取られないよう注意しつつ、特別な装いのアリスたんを隅々まで観察した。
すると俺の存在に気づいたアリスたんが、一瞬驚いた表情を見せた後、おずおずと頭を下げた。伺うようなその視線に、俺は内心手酷いダメージを受ける。まだ試合も始まっていないのに。
「こ、こんにちは、ヴィルヘルム様……」
「……あ、ああ」
どことなく感じる距離感は、先日の東屋の一件があってのことだろう。何か言わないと、と俺が言葉を捜していると、何かを察したディートリヒが、満面の笑みを浮かべながら割り込むように声をかけた。
「――そうだね。みんな、そろそろ行くとしようか」
ディートリヒはアリスたんと他の男どもを連れて、試合会場に足を向ける。しかし最後に一人だけ振り返って、俺に向けてにやりと笑ってみせた。
「今年こそは優勝できると良いですね――先輩?」
「あ、の野郎……」
その憎たらし気な態度を前にして、さっきまで俺の中にあった逃げ腰な態度が、どこかにすっ飛んでしまった。アリスたんと始終行動を共にしているだけでも腹立たしいのに、これ以上年下にコケにされてたまるか!
(勝ってやる……勝ってアリスたんに剣を捧げてやるよ!)




