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「なあ」

「――ッ、ヴィ、ヴィルヘルム様⁉」


 出来るだけ静かに声をかけたつもりだったのだが、おとなしそうな子女たちは飛び上がるようにして一斉に振り返った。手にしたグラスごと細かく震えている。

 動物園で見たミーアキャットを思い出した俺は、マルガレーテが遠くに行ったことを確認した後、怯えさせないようつとめて穏やかな口調で尋ねた。


「さっき、マルガレーテと何か話していなかったかな」

「い、いえ、……」

「……何か言われた?」

「な、何でも……何でもありません……」


 まるで空腹のライオンと対峙しているかのように、ミーアキャットたちはふるふると首を振った。考えてみれば彼女たちは、マルガレーテはもちろんのこと、俺ヴィルヘルムの家とも身分が離れすぎている。

 うっかり機嫌を損ねでもすれば、お家断絶の危機にもなりかねない相手を前に、対等に会話が出来るはずがないか、と俺はため息をついた。

 すると落胆した俺の背中越しに、良く通る声が飛んでくる。


「これはヴィルヘルム先輩。来られていたんですね、気づきませんでした」

「……ディートリヒ……」


 振り返ると、深紅の瞳を眇めたディートリヒが立っていた。どうやら俺が動いたのに気づいて、先手を打ってきたようだ。


「また何か、悪だくみのご相談ですか?」

「ちげーよ。ちょっと話を聞いてただけだ」

「どうだか」


 ばちり、と見えない電撃が背景に走る。ずっと思っていたんだが、こいつの俺への敵意はちょっと異常じゃないか?

 俺は反論しようと口を開けたが、その背後の人影を見てむぐと唇を噛んだ。そこにいたのはヘルムートにユリウス、レオンという攻略対象たち。そして不安げに眉を寄せる天使――アリスたんだったからだ。


「ディートリヒ、どうした?」

「ああ、ヴィルヘルム先輩がいたから、挨拶をしておこうと思って」


 一瞬で良い外面を被ったディートリヒは、そう言いながら右手を俺の方に差し向けた。一見ただの握手に見えるが、間違いない。これは喧嘩だ。俺は今喧嘩を売られている。


「……よろしく、ディートリヒ」

「ええ。こちらこそ――くれぐれも、よろしくお願いしますね」


 見た目の細さとは裏腹に、全力で手を握り潰してくるディートリヒを、俺もまた渾身の力で受け返した。白い手袋の下には隆起した血管が走っている。他の男たちは婚約破棄や俺たちの確執を知らないのだろう、特に何ということもなく流していた。

 一方でアリスたんだけは、どこか気まずそうだ。


 一番かわいそうなのは、こんな上流階級の集いに巻き込まれたミーアキャットたちだった。右を見ても左を見ても目に痛い御仁の揃い踏みに、両手で支えていたグラスがさらにガタガタと揺れている。炭酸があっという間に抜けていきそうだ。


 だがそのうちの一人が、少しだけ妙だったことを俺は見逃さなかった。彼女は何か思いつめたような表情を浮かべると、そっと輪を離れて移動し始める。


(……なんだ?)


 気になって動向を探っていると、どうやらアリスティアの方に接近しているようだった。嫌な予感がして俺が動こうとすると、勘違いしたディートリヒがそれを阻害するように声をかけてくる。


「まあまあ先輩、そんなすぐに行かないで下さいよ。……色々、話したいこともありますし」

「俺にはねえよ」

「口が悪いですね。――ああ、性根も悪かったか」


 最後の言葉は、後ろにいる同級生には聞こえないような非常に小さい声量だった。一瞬俺はかっと頭に血を上らせたが、すぐに息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 その間にも子女の一人はアリスティアの傍に向かっていた。当のアリスたんは気づいていない。


「悪いけど、お前と話してる時間はない」

「そうおっしゃらずに。僕の方には――」


 だがその時、怪しい行動をしていた子女は、握りしめていたグラスをえいとばかりに前へ投げ出した。中の液体が宙を舞うのを見て、俺は慌ててディートリヒを押しのける。


(アリスたんに――)


 場面がスローモーションのようにゆっくりと見える。

 俺が一歩を踏み出すと、恐るべき速度で距離が縮まった。目を見開くアリスたんの脇に立つと、肩を軽く押して奥へと突き放つ。


 パシャ、と水音が割れた。


 自身の人間離れした移動速度に驚きつつ、音のした方に視線を向ける。すると俺の礼装の胸から腰、足から床にかけて豪快にシャンパンがかかっていた。アリスたんは無事か、と慌てて振り返ると、可憐なままのアリスティアがおり、俺は心の底から安堵する。

 だが収まらなかったのは外野の方だ。


「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

「あ、あなた! ヴィルヘルム様のお洋服になんてことを!」

「だ、大丈夫ですか⁉ すぐに別室で着替えを!」

「そんなつもりじゃなくて……! 本当に申し訳ございません!」


 ホールの中央で目立ってしまったこともあり、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまった。俺はきょとんとしたまま、他より色の濃くなってしまった衣装を見て、ようやくああと眉を上げる。


(やっちまった……まあ洗えばいいか。悪いな、ヴィルヘルム)


 だが当の俺がのんきなのに対し、周囲の声はさらに激しくなっていった。俺に飲み物をかけてしまった子女の様子を恐る恐る伺うと、この世の終わりのような絶望を浮かべている。


(あ……これはやばいな)


 俺は気取られないようにマルガレーテの姿を捜す。すると取り巻きたちに囲まれて、驚きと困惑を多分に含んだ表情を滲ませていた。


(俺が出ていくのは簡単だけど……そうしたらこの子、もっと責められそうだしな……)


 既に非難轟轟だというのに、抑止力たりえる俺がいなくなれば、どこまで悪化するか分からない。かといってこのままホールの中央で、ずぶ濡れで立っていても主宰を困らせるだけだ。


(……あー……アリスたんがいる前ではしたくなかったんだけどな……)


 はあ、と俺は本日何度目かになるため息を吐きだした。お腹の中心に力を籠めると、内なるヴィルヘルムに力を貸してくれとばかりに祈る。


(こういうの、お前の方が得意だろ?)



 

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