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そしてあっという間に、件の『学内舞踏会』の日を迎えた。
アリスたんはしばらく『流行』を極めているらしく、俺はあのプレゼント事件以降、ずっと会えない日々を過ごしている。
(……舞踏会って……何をすればいいんだ……)
数日前に届いた招待状を手に、俺は恐る恐る学園の大ホールへと来ていた。
現実世界での俺はリアルに『服を買いに行く服が無い』系男子だったが、今回は『舞踏会に来ていく服が無い』という、リアルシンデレラ状態に悩んでいた。
しかしそこはヴィルヘルム。
舞踏会用に仕立てさせていた礼装が、きっかり一週間前に届いたのだ。
(そういやこいつ、攻略キャラでもないのに礼装立ち絵があったな……)
黒を基調とするのは変わらずだが、普段の制服よりも装飾が細かい。元々は騎士であったとという貴族にふさわしく、銀の飾尾や肩章、サッシュと呼ばれる艶やかな帯を斜めにかけた意匠だ。
胸には白いハンカチと、手には絹の手袋まである。出かける前に鏡で全身を確認したが、なるほど確かに見た目はいい。だが俺は一人毒づく。
「見た目だけな……中身は敵に塩を送り続けるダメ謙信ですよ……」
『オレまで馬鹿にされている気がするからやめろ!』
心なしか頬を赤くしている女性陣の視線を受けながら、俺は受付を終えて会場へと足を踏み入れた。ホール内は大小いくつものシャンデリアで輝いており、正面では楽団が優雅な音楽を奏でている。
壁沿いにはずらりと椅子が並んでおり、既に多くの招待客がそこかしこで歓談に興じていた。俺が内心緊張しながら中央に進むと、途端に貴族の令嬢や令息が集まってくる。
「ヴィルヘルム様、最初のお相手はもう決められましたの?」
「良ければわたくしと!」
「いえ、私の方が」
「ええと、……俺はしばらく見ているだけでいいよ」
ええーッと主に女性陣から非難の声が上がる。どうやらあまりマルガレーテと関わりがない派閥なのだろう。
優良物件と名高い俺がフリーであると聞きつけて、ぐいぐいと押しに来たのかもしれない。駅から徒歩五分、南向き新築です。
だが俺自身、ダンスの知識なんて微塵もない。
フォークダンスなら経験はあるが、さすがにこんな立派な舞踏会でオクラホマやマイムマイムは踊りまい。まあ見てみたい気はするが。
やがて入り口付近でまた違う歓声が上がった。ついと視線を向けると、そこには鮮麗な深紅のドレスで自身を飾り立てたマルガレーテがおり、取り巻きたちが口々に賛美の言葉を口にしているところだった。
俺は急いで視線を戻したが、マルガレーテに気づかれてしまったらしい。
キャアキャアと雛が囀るような一団を伴いながら、いそいそと俺の元へと近づいてきた。雛鳥たちは俺の姿があると分かると、邪魔をしてはならぬとばかりに散り散りに離れていく。
「ヴィルヘルム様、ごきげんよう」
「マルガレーテ……ご、ごきげんよう」
「見てくださいませ。今日のドレスは王都で一番人気のデザイナーに、一から仕立てさせたものですの。生地は最高級のベロアを用意させましたわ。こちらのアクセサリーは……」
「あ、うん……すごいね」
二人きりになった途端、立て板に水のごとく話しかけてくるマルガレーテを前に、俺はどう対処したものかと測りかねていた。だが迷っている暇はなく、彼女はすぐに本題へと駒を進める。
「それでヴィルヘルム様。もちろんファーストダンスは、わたくしと踊っていただけますわね?」
ぎくり、と体の奥が錆び付いたように強張る。俺は気持ちを落ち着けるよう、出来るだけ息をゆっくりと吐きだすと、マルガレーテの目を見つめて答えた。
「ごめんマルガレーテ。俺は君とは踊れない」
「……」
「勝手で本当に申し訳ないけれど、……どうか他の人と、楽しんでほしい」
出来るだけ傷つけない言葉を選びたかった。だがどう伝えたところで、マルガレーテを拒否していることに変わりはない。
彼女にもそれが通じているのか、最初は明るく笑っていた口元が、俺の言葉を呑み込むにつれ、少しずつ引き結ばれていった。
しばしの沈黙が流れた後、マルガレーテは小さく呟く。
「……やっばり、あの女の……」
「……マルガレーテ?」
「いいえ? 何でもありませんわ。――分かりました。今日はお互い、パーティーを楽しむということで」
ごきげんよう、と微笑んだマルガレーテは、思っていたよりもあっさりと俺を解放してくれた。再び華やかな友人たちの輪に戻ったマルガレーテを見送って、俺は耐えきれずに肺に残っていた酸素を一気に吐き出す。
(胃が……胃が痛い……)
あんなに分かりやすい好意を向けてくれている女の子を、俺は自分の勝手で傷つけている。リアル世界ではきっと一生体験しないであろう痛みに、恋愛経験値ゼロの俺は、心より先に内蔵にダメージを受けていた。
(でもだめだ。俺が半端なことをしていたら、彼女にも悪いし、アリスたんにも迷惑をかけてしまう……)
たとえ俺が、この世界でアリスたんと結ばれないとしても。嘘をついてマルガレーテと付き合うことは、彼女にとっても俺にとっても正しいことではない。そしてこんな時でも、ヴィルヘルムの奴は何も語らないのだ。
(お前はどうなんだよ。……好きだったんじゃないのかよ)
先ほどから何度も呼びかけるが、奴の真意は全く見えてこない。俺はきりきりと痛む腹を押さえながら、そろそろと目立たない壁際へと移動した。
入場のタイミングは学年によって別れており、最初に主宰、次に三年生が会場に入る。少し遅れて俺たち二年の受付が始まり、最後に一年生という順番だ。一年は呼ばれる条件を満たしていないものも多いため、招待される数自体もぐっと少なくなる。
そろそろ一年か、とぼんやり眺めていると、有象無象の中に一際目立つ男が現れた。深藍の礼装を来たヘルムートだ。
さすが真面目勉学キャラ、受付開始と同時に現れたのか。ゲーム画面では見慣れた礼装だが、実際に見るとやはり手が込んでおり、俺は思わず嘆息を漏らした。
次に現れたのはユリウス。こちらは落ち着いた緑の礼装だ。折り目正しいヘルムートとは真逆で、きっちりとしているはずの礼装を、上品に着崩している。だが決して無粋な印象を与えるものではなく、彼の持つ危なげな魅力を倍増させていた。
ほぼ変わらない時間にレオンも姿を見せた。俺と同じ黒の礼装だったが、家柄的に華美を好まないのか、装飾を極力排除したシンプルなものだった。だが襟やベルトなどは織目の違う珍しい生地で作られており、袖のダブルカフスには純度の高いガーネットがこっそりと埋め込まれている。
なお、俺が服に詳しいわけではなく、すべて公式設定集の受け売りである。
嫌でも目立つ三人が揃ったことで、会場内はいっそうのざわめきを見せ始めた。女性陣に至っては年下であろうと関係ないらしく、肉食獣の檻に入って来た鹿を見るような目で、彼らを吟味し始める。
だが最後に現れた人物によって、淀んでいた場の空気は見る間に清浄され、俺は感動のあまり開いた口がしばらく塞がらなかった。




