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スマホのアイコンをタップすると、耳馴染みのあるオープニングテーマが流れてきた。
白い花吹雪が駆け抜けた後、画面に表示されるのは『死の運命から/貴方を守りたい』というタイトルロゴだ。
ログインボーナスを受け取ると、ホーム画面に銀髪のイケメン――ヴィルヘルムが登場する。
『またお前か、随分暇な時間があるんだな』
「なんでこいつ、攻略対象でもないのに出てくるんだろ」
俺は画面を連打すると、急いでその男を消した。ずらりと並んだメニューから、ニューゲームのボタンをタップする。
ファン、と柔らかい音がし、親の顔より見たオープニングムービーが始まった。
次々と現れるイケメンたち、そして最後に現れた金髪の美少女を前に、俺は深い深い嘆息を漏らす。
「はあ~……アリスたん……なんでこんなに可愛いんだろうな……」
俺は松戸初斗。
社会人二年目で、ブラックとまでは行かないが、終電で帰るのは割とある、みたいな会社で働いている。
今日は久々に終電よりも随分早く帰ることが出来た。おまけに明日からは土日の連休。うきうきとした足取りでコンビニに寄り、二日分の食料と酒を買い込んだ俺は、意気揚々と孤独な城へと帰って来たのだ。
男一人暮らしのワンルーム。
家具は少なく、口の空いたごみ袋が放置されている。シャツとスーツをソファに放り投げ、毛玉のついたスウェットに着替えて、そのままベッドへとダイブした。
彼女でもいれば週末お泊りデート、なんて話もあったのかも知れないが、当然のように存在しない。
だが俺は現実の彼女の有無などどうでもよくなるほど愛しい女性がいた。
それがこの『死の運命から/貴方を守りたい』の主人公、アリスティアだ。
俺が乙女ゲームにはまったのは高校生の頃。
当時妹がしていた『はら☆ばいメモリアル』の攻略本をたまたま読んでしまい、妹に隠れてこっそりプレイしたら、一気にのめり込んでしまった。
それ以降、妹の買ってくる乙女ゲームを隠れて遊んだり、大学時代は自分でハードとソフトを揃えて徹夜したりと、非常に充実した乙女ゲームライフを送ってきた。
しかしギャルゲーならまだしも、男の俺が乙女ゲームをしているとはさすがに言いづらく、俺はさながら隠れキリシタンのように自らの趣味をひた隠しにしていた。
本当は声優さんや新規イラストが見られるイベントやライブにも行ってみたい。新作製作決定の報を聞いて、ファンのみんなと涙を流したい。
沼袋マルイのポップアップショップに行って大人買いとかしたい。コラボカフェとかでお茶したい。
だがいい年の男が一人で行けるはずもなく、「彼女が来たいっていうんで、その連れで仕方なく~」感を演出したくとも、そもそもの彼女がいないという堂々巡りだ。
さらに就職してからは仕事が忙しく、据え置きゲームで遊ぶことが少なくなった。ソフト自体の発売数も以前より少なくなっている。
その代わり、ソーシャルゲームとしての乙女ゲームは激増しており、俺も最近はもっぱらスマホで遊ぶことが多くなっていた。
その中でも、この『死の運命から/貴方を守りたい』はサービス開始から二年が経つというのに相変わらずアクティブユーザーが増え続けているという、驚くべき怪物コンテンツだった。
――『死の運命から/貴方を守りたい』。
舞台は架空の近世ヨーロッパ。学園都市「ルイス・カレッジ」に通う貴族の子女たちが織り成す、恋と幻想の恋愛シミュレーションゲーム。
通称デスデス。
主人公のアリスティア(名前変更可能)を操作し、勉学・武芸・流行のパラメーターをバランス良く育成しながら、目当ての男性との恋愛エンドを目指す。
人気絵師による美麗すぎるキャラクターと、背景までしっかり書き込まれたスチル(注釈:イベント発生時に出てくる一枚絵のこと)、人気声優陣のフルボイスといった要素を満たし、これだけならばよくあるコマンド型乙女ゲームだ。
だがデスデスのすごいところはシナリオとシステムにあった。
まず始まりがひどい。
学園に入学して早々、婚約者であるヴィルヘルムから、アリスティアは公衆の面前で婚約破棄をされる。それも相手の男に好きな女が出来た、という一方的な理由でだ。
俺から見ればどう見ても横恋慕女よりもアリスたんの方が可愛いのだが、とにかく絶望的な状態からゲームは始まる。
さらに調子に乗った横恋慕女から、アリスたんは色々な妨害を受けてしまう。だがどんな酷いいじめを受けても、ストレス値の限界までアリスティアは努力を続ける。
当然、そんな健気な美少女に恋をする男が現れる。
それが攻略キャラたちだ。
見目麗しい男どもとイベントをこなしつつ、相手の男が好きな服装やアクセサリーを意識して、少ない所持金をやりくりしておしゃれをするアリスたんのなんと健気なことか。
俺も何度課金して、特別ボイスが聞ける衣装を買い揃えたことか。
そうやって好きな男に振り向いてもらおうと、たゆまぬ研鑽を続けるアリスティア。
だが物語が終盤に近付くと、ある時突然学園にかかった呪いイベントが発生してしまう。
そしてこのイベントに入った瞬間から、デスデスはおよそ乙女ゲームとは思えない高難易度ゲームに変貌を遂げるのだ。
まず誤差±5以下のパラメーター調整が要求され、それはアリスティアの行動力などに影響される。
ゲームの画面も乙女ゲームによくある立ち絵とメッセージ枠ではなく、オンラインFPSみたいなアリスティア視点で学園内を歩くスタイルに変化。多くのユーザーはここで画面酔いに敗北した。
また途中で多くの選択肢が出るが、一つ間違うと即死亡、もしくは最愛の攻略キャラが死亡する。ひどいと世界ごと滅ぶ。
中には時限のものもあり、ちんたらと攻略サイトを見ているうちに、画面が真っ赤に染まったという事態を俺は何度も味わってきた。
かくして学園にはびこる亡者たちを重火器で掃討し、爆破トラップを解除し、攻略本にすら「この続きは君の目で確かめてくれ!」と書かれた伝説を持つ――複雑すぎる選択肢を乗り越えた後、ようやくアリスティアと攻略キャラ達は結ばれるのだ。
……こうして『乙女ゲームだと思ったらコー〇オブデューティー/ガールズサイドだった』『女性向けの皮を被ったコアゲーマー育成ソフト』『砂糖をまぶした手榴弾』と呼ばれたデスデスは、男女ともにコアなファンがつき、今も昼夜問わずファンによる熱い布教が行われている。
そして俺もご多分に漏れず、寝食を忘れてデスデスをプレイした一人だ。
もちろん前述したシナリオの突飛さや、システムの豪華さもある。だが何よりも、主人公のアリスティアに恋をしてしまったからだ。
柔らかい金色の髪に、太陽のようなオレンジ色の大きな瞳。メッセージ枠の端に出ている表情はどれも可愛らしく、照れている顔の差分など何枚スクショしたことか。
何よりも頑張り屋だ。男のためという理由はあれど、彼女は日々の努力を怠らない。
最初は下から数えた方が早かった学期末テストが、勉学のパラメーターを上げることで、一位をとるまでになったり、いつもビリだった徒競走も、他の運動部の追随を許さないまでになったりする。
おしゃれを知らず、田舎者だと馬鹿にされていたアリスたんが、校内一のローズ・プリンセスに選ばれた時は、俺まで一緒にガッツポーズをとってしまったほどだ。
――かくして俺は、画面越しのアリスティアに、報われない恋をしていた。
ヒロインが大好きなのに、乙女ゲームの悪役になってしまった男の物語です。
短い間ですがお付き合いいただけると嬉しいです!