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5「密命」おひさま!

 伝統と文化の街、倫敦。

 この物語は、倫敦のちいさなお屋敷を舞台にお届けする。

 9歳のちいさなメイドちゃんと、お年を召した奥様の、1年間の日常です。

 

 暑いです。葉っぱあおあお。お日様ぎらぎら。

 メイドちゃんのクラシカルなメイド服も、じっとり汗を吸っています。

 されど敵ではありません。

 今日のメイドちゃんは密命を帯びているのです。

 007の祖国において、心くじける男なし。

 映画は「ユーリにはまだ早い」そうですが。

 手元の文書を再度確認します。

 メイドちゃんは優秀なメイドなので、アルファベットもちょっと覚えたのです。

「……まにゅある……、ぜったい……、デート……、女の子……、カッコいい……」

 5つも単語を読むことができました!

 文書を隠蔽し、クリスマスまで安全に保管できる場所を探すのです。

 なにゆえこのようなダーティでハードボイルドな世界に足を踏み入れたかと申しますと――。

 お隣のペーターがためなのです。

「おーい、ちびちびちびメイド! 今日からお前と兄弟だ! たいへんなんだよ! エマのヤツ、夏休みはずっとフィレンツェで過ごすとか冷たく言ったくせに。いや、あれはきっとさびしいのを隠してたんだな! 急に帰国することになったから、俺の家に来たいって言うんだぜ。まったく女ってのはわがままにできてるよなあ! ヒースロー空港で1人で時間をつぶすなんてまっぴら。あなたの家に行かせてだってさ。まあ彼女は貴族院の時代からの政治家一家のお嬢さんだ。育ちってもんだよしょうがないさ。それにしたって、フヒッ、来月には嫌でも学校で会うってのにまったく、ちょっとかわいいからって。それで、それでだユーリ。この文書を誰にも見つからないところに隠してほしいんだよ。クリスマスには戻るから、それまで大事に安全に。お前にしかできない! 重要なことなんだ!」

 つまり、何かよくわからないけど、重要なことを頼まれたのです!

 手段を問わず目的を聞かず、ただただ友情がためだけに密命を果たす。

 これぞまさしくダンディズム!

 今こそ示さん! メイドちゃんの頭脳!

 ……。

 暑い……。

 お茶の時間を終えてから再開です。


 お茶の時間は、いつもダイジェクティブビスケットを奥様といただきます。紅茶はダッチェスグレイです。

 BGMにはソニーのラジオ。

『終息したと思われたパナマ疑惑ですが、ここで新たな名簿が発見されました』

「パナマ疑惑ってなんですか?」

「悪いことをして隠していたお金が見つかっちゃった、というお話」

 見事な即答。

 パナマ疑惑なるものの正体。

 そして隠し通すことの難しさまで理解できました。

 ヴィクトリア朝を思わせるワンピース。レースの色に近づいた赤毛。

 御年80歳の奥様です。

 三千世界に比類なき、一瀉千里のその頭脳。

 密命を果たすためには借りるべきでは。

 メイドちゃんは9歳の若輩なれども。

 自分が行き詰まっていることには、気づける男です。

「奥様、誰にも見つかってはいけないものは、どこに隠したらいいですか?」

 プロメテウスの化身たる奥様、しわの寄った頬に細い指をあて。

「それを私に聞いてしまったら、私に見つかってしまうのではないかしら?」

 鋭き頭脳を示されました。


 ここで舞台はお庭に転じ。

 メイドちゃんは小さなスコップを手に。

 勇気凛々。やる気満々。

 と、申しますのも。

「じゃあ、ゲームをしましょうユーリ。今から私がショートブレッドを焼くから、焼きあがるまでに隠せたらユーリの勝ち。焼きたてアツアツをお食べなさい。間に合わなかったら、明日のおやつ」

 焼きたてアツアツのショートブレッドに惹かれぬ倫敦っ子などおりません。

 主が手ずからお作りになったショートブレッドを、喜ばぬメイドなどもっとおりません。

 くじけかけた心は勇み奮い立ち、優秀なる頭脳はさえわたります。脳細胞が灰色になる感覚すら覚えます。

「奥様、ショートブレッド作れるのかな?」

 頭脳がさえわたりすぎて、ちょっと不安にさえなりました。

 文書の中をちょっとだけ覗いて、不安を除きましょう。

「大英博物館、ち……知的? 解説……。ウィキペディア……? ティールーム、ティー・アンド・タトル」

 すばらしい! さっきより読めた単語が1つ多いです!

 最後のだけちょっと読み方がわからなかったので、明日ブラウン先生にうかがいましょう。

 赤い線が引いてあったので、大事な言葉だと推理できます。

 メイドちゃんはひらめいたのです。

 パナマ疑惑のニュースを手がかりに、ひらめきました。

 密命を果たす。

 それはすなわち、秘密を作ったり嘘をついたりして、こっそり何かをするということです。

 悪いことじゃなきゃ隠さないのです。

 この密命は友情のために決行していますが。

 道徳的にはけしからんことなのです。

 だからこそ、ダーティでハードボイルドでダンディズムなのです。

 そういうわけで、メイドちゃんの知る一番けしからんヤツがすることの真似をするのが、密命を果たす近道。

 一番けしからんヤツ。

 言わずと知れたこと。

 宿敵、にゃんにゃんちゃんではないですか。

 この夏、にゃんにゃんちゃんは花壇を掘り返したり、玄関におしっこしたり、ソーセージを盗んだり、干したシーツで爪とぎしたり、悪事の限りを尽くしたのです。

 その度にメイドちゃんは果敢に立ち向かったのです。

 ……だいたい泣いて逃げ帰った夏でした。

 思い返すも憎々しい宿敵。

 ですが彼奴の悪行の筆頭、花壇を掘り返すを真似すれば、土の中に文書を隠せるのです。

 幸か不幸か、現在花壇はただの荒野となり果てましたし。

 文書を丁寧にジップロックに入れ。いざ、スコップを突き立てん!

「やあやあ久しぶりエマ! え、お土産、ありがとうー! おいしそうだね! さっそくいただくよ今お茶淹れるから中入って……。え、玄関でいい? そそそそうだよね、男の部屋になんかそうおいそれと入れるわけないじゃないかはははジョークジョーえ、違う? 用事がすぐ済む? ああ! ノッティング・ヒル・カーニバル! 来週だよね! 奇遇だな僕もちょうど行きたいと思ってたんだよ……。え、ご、ごめ、ごめんもう一回言って」

「彼氏と行くんだけど、お隣のおちびちゃんにねだられて連れて行ってあげたってことで口裏を合わせてほしいの。うちのパパ、そういうところが2世紀くらい遅れてるのよ」

 何やら小さい声で話し合い。

 女の子はスタスタ帰っていきました。

 沈黙。

 垣根の向こうから声がします。

「……なあ、ちびメイド。来週大英博物館に行かないか? ティー・アンド・タトルってうまい店もあるぞ」

 メイドちゃんの明晰なる頭脳は、状況を理解しました。

「アツアツのショートブレッド、半分こしますか?」

 Next moonlight, 

2020/12/08

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