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9「聖夜」Moonlight.

今回は1話完結です。

 クリスマスが近い。

 ハロッズの外は夜も近い。

 すべてにおいてきらびやかな百貨店。

 光る内装。光る笑顔。光る民間人の家庭。

 ローザ・テーラーは苦渋を浮かべる。

「これが閃光弾の光なら理解できるし、これがミサイルのスイッチでも理解できるのよ」

 極めて真実。しかし店員の顔に書かれている。

 負け惜しみが物騒なおばあちゃまだこと。

「もう1週ぐるりと回ったらまた来るわ」

 こちらはきっちり負け惜しみ。彼女はゲーム売り場を出る。

 ヒールが未練がましく鳴る。

 戦略的撤退。すなわち敗走。

 困った。

 今時の子どもにはゲームだろう。としか考えていなかったのだ。

 具体的には何も。

 最近のゲームがこんなに複雑になっているなど、まるで予想だに。

 自宅のユーリが頭に浮かぶ。

 初めてのクリスマスプレゼント。

 たった9つの男の子。

 ちいさなちいさな拾得物。

「他には何が喜ぶかしら」

 長いスカートが店内をさまよう。

 ぬいぐるみ。誕生日と同じになってしまう。

 ラテン語を含んだ辞書セット。元スコットランドヤードのブラウンから贈る。まだ早いからこそ、格好よく思うだろう。

 その母親から万年筆も贈られてくる。忠実なる元ハウスキーパーは、後輩をクラシックにかわいがっている。

 クラシック。

 贅沢に慣れてしまってはよろしくない。

 珍しく常識に則って、おもちゃを贈るなと言ってしまった。

 クラシック。否。古い発想だったやも。

 夜の世界の住人たちは、悪知恵に関して進歩的で。

 こぞってごちそうを贈ってきた。

 冷蔵庫に入りきらないだろうと、クーラーボックスまで添えて。

 ローザが今さら買う余地はない。1ヶ月は食料品が買えない量だ。

 七面鳥にミンスパイ、クリスマスプディングにジンジャーブレッド、干した果物はぶどうに杏にパイナップルに――。

「まったく、年寄り連中はユーリに甘すぎるわ」

 きらきら輝く店内をゆく。

 隣の家のドリーからは、手編みのセーターを作成中の知らせ。息子とおそろいとはずんでいる。

 昼の世界の女らしい。

 ローザは夜に生きている。

 そう。昨年のクリスマスまでは、昼に触れずに生きてきた。


「メリー・クリスマス!」

「……そうだったかしら?」

 とぼけているわけではない。忘れていたのだ。

「困るぜ。鮮紅のローザがボケちまうなんざ」

 乾杯を断り、グラスを干す。すっかり水割りになったロック。

「若くたってボケるわよ。どこのおぬけさんかしら。赤十字に毒ガス兵器をしかけるなんて」

 民間人と同じ意味の傷病兵と、戦えない民間人。

 子どもたち。

「『勇敢なるカメラマン』の遺品から、子どもの死体をピックアップして、マルクスかぶれのプチブルに売る。まったく最近の若者は、マスコミの業務内容も知らないのね」

「君は左派なのか?」

「まさか。右も左もお客様よ。だから日付も忘れるくらいに忙しかったんじゃない」

 男の目をしっかり睨む。

「よく伝えておいてちょうだい。売ってはならないものを、特別に売ってあげたのよって」

「わかったよ」

 男は、ローザのグラスに2杯目を注ぐ。

「……やっぱり、あなたも子どもが死ぬのは気になるかい?」

 聞こえるように、ため息を吐く。

「私、いくつに見える?」

「77歳」

「若い子向けのお世辞はよして。79歳よ。

 あなたがよちよち歩きのころから、よちよち歩きの子どもがバタバタ死ぬところで生きているのよ。

 子どもの数は数え切れないし、数えようとする者もいないことも知って久しいわ。

 覚えられないんじゃない。数えきれないの。

 数え切れずに、何十年と生きているの。

 数える対象じゃないとして、何十年と生きているの」

 グラスから水滴がたれる。

「こわい女だな」

 ウィスキーを飲み干す。

「それはどうも。疲れたわ。ブラックキャプを呼んで。メリークリスマス」

「メリークリスマス」

 思い出したと挨拶代わりの問い。

「あれ、まだ貼ってあるのかい? 『住み込みメイド募集。経験年齢不問。給料応相談』」

 シルバーフォックスのコートを羽織る。

「貼ってあるわよ。貼っておかないと町内から役所に通報されちゃうんだもの。「老人の1人暮らしが心配です」って」


 ブラックキャプの運転手に札を払う。おつりは当然チップだ。

「ここでいいんですか奥さん。玄関にぴったりおつけしてもよろしいですよ」

「大丈夫よ。ありがとう」

 微笑みかけ、気づく。

 車内に戻る。

「悪いけど、ちょっと鍵を探させてくれない?」

 ハンドバッグの中身を見るふりをして。

 自宅玄関を見る。

 人影がある。

 グロッグ拳銃に手をかける。

「奥さん、ありましたか?」

 人影を明確に確認する。

「ええ。あったわ。メリークリスマス」

 玄関に向かう。ハンドバッグの中、グロッグをいつでも抜ける姿勢で。

 ちいさな人影に話しかける。

「おちびさん。お名前は?」

「ユーリ。僕はユーリって名前です。お仕事を探しにきました。お昼にお隣のお兄さんに、このお家が住み込みメイドを雇ってくれるって聞きました。だから待ってました。雇ってください」

 癖のある黒髪を、伸ばしっぱなしにしている子どもだ。何日も着替えてないのだろう。悪臭が漂っている。食事もおそらく同様。

 ひどく薄着だ。あかぎれだらけで爪が黒い。

 頬が冷え切って……、青白い。

 ローザはしゃがんで微笑みかける。

「そう。ユーリ。家族はいないの? おうちはどうしたの?」

 ちいさなおつむで懸命な説明。

「おじいちゃんが言ったの。俺が帰ってこなかったら、自分で生きる道を探し出せって。だから、だから、雇ってください」

 ローザ・テーラーは考える。

 こういった子どもには、数え切れないほど会ってきた。

 いちいち慈悲をかけては、ローザ自身が破綻していた。

 数え切れないほどの子どもたちの中で、この子1人を特別扱いする理由はない。

 ただ。

 ローザは79歳で、もう1週間ろくに寝ておらず、ろくに食べてもおらず、空っぽの胃にウィスキーを2杯流し込んでいる。

 頭が働くコンディションではない。

 さっきおつりをいくら渡したかもわからない。

 今夜はもう、数勘定は無理だ。

 数え切れない子どもたちから、1人ぐらい抜けたっていいのではないか。

 だってね、もう、すべてにおいてふらふら。

「ねえ、ユーリ。メイドって専用のお仕着せを着るのだけど。かまわない?」

「お仕着せ?」

「スカート」

 ちいさなちいさな男の子は、しばらく考え。

 小首をかしげて見上げてきた。

「僕、スカートはいたらかわいいですか?」

 決めた。

「かわいいわ。じゃあ、今日はとにかく熱いミルクを飲んで、ビスケットを食べてシャワーを浴びて、パン生地みたいに寝ちゃいましょう。ユーリ、お歳はいくつ?」

「たぶん8歳!」


 ローザはピタリと立ち止まる。

 よい光沢のチェス盤がある。

 駒も大理石でできている。

「……これも古い発想かしら」

 ショーウィンドーに映る自分自身。老いた女。ワンピースすら古めかしい。

「……そもそも、あの子はチェスを知っているかしら?」

 わからないものをもらっても、とてもうれしくはないだろう。

 ローザ・テーラーはしばし悩んで。

 スマホの着信に気がついた。

 メッセージが入っている。

「SOS! SOS! どうか今すぐいらしてください!」

 悩む(いとま)はなくなった。

 欲望に忠実になることにした。

「教えてあげるのは楽しいわ。後はなるようになれよ」


 おしごと おしごと 奥様はおしごと

 メイドちゃんはちっちゃいから もうねんね 

 2021/06/18

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次回更新は8月20日(金)!

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