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五月十二日 その2

「さて、何から話しましょうか」

 生徒会室に入り、内側から鍵をかける。当然職員室にはマスターキーがあるので外から開けることは可能ではあるが、サボった生徒をわざわざ探しに来る教師に心当たりはない。フラグではない。

 一色はいつも使っているノートパソコンが置きっぱなしになっている前の席に座る。だらしなく放り出された電源ケーブルが上靴の先に当たった。

「なるべく手短に頼む」

 俺も続けて彼の向かいの席に腰掛ける。

「手短に話せるような話ではありませんが……とりあえずこれを見てもらえますか」

 そう言って一色は鞄からクリアファイルを取り出し、俺に渡す。その中に挟まれていたのは……タブルクリップで閉じられた薄い紙束と、A4の紙が三枚。昨日プリンターを使っていたのは、これを印刷するためだったか。マメだ。

「私が極秘裏に入手した天之川さんの情報です」

 俺は一色の情報源については特に問いたださない。一色がこちらに寄越した紙を手に取る。紙面いっぱいに小さな証明写真のようなものが印刷されている。

「これは……」

「この学校の近所にあった加工食品メーカーの名簿です。社名は、『星灯会』」

「『星灯会』……言われてみれば宗教団体の名前っぽいし、生徒会と似てなくもないな」

「何の話ですか?」

「何でもない。続けてくれ」

 俺があるページをめくろうとした時、一色はそれを手で制す。

「ここを見て下さい」

 社員リスト。その中の一箇所、一色が指で差したあたりに、「天之川」という名前が見つかる。珍しい名字だ、赤の他人というわけではなさそうなので、おそらく家族か親族だろう。

「成程。話は分かった。だが、その話と彩乃に近づかない方がいいって話とはどう繋がるんだ?」

「この会社、実は数年前に倒産しているんです。社員寮があるくらいには大きな会社だったのですが……どうしてあっさり倒産してしまったか、分かりますか?」

「どうしてって……ああ、そう言えばいつだったか大手の食品メーカーがこの近くに大きなビルを建てていたじゃないか」

 思い当たることもないので、俺は当てずっぽうに答える。が、

「会長、知ってますか? カンのいい人は長生きできないんですよ」

 挑発するように薄ら笑いを浮かべながら一色が言う。

「つまり、そういうことなのか」

「会長が長生きできそうで僕はとても嬉しいです」

 なんだよ。

「それに、倒産の原因がそれならますます天之川さん本人とは関係なくなるじゃないですか」

「御託はいいからさっさと教えろ。一体何が言いたいんだ」

「身も蓋もない言い方をすると、彼女の料理が原因でこの会社は倒産してしまったんです」

「……どういうことだ」

「これを見て下さい」

 一色はファイルに挟まったままの紙のうちの一枚を手に取り、俺の方に向ける。

「これは……」

「星灯会の一番の目玉商品、パンケーキの製造マニュアルです。企業秘密なので、当時は社長と幹部クラスの数名しか見たことがなかったそうですが。もっとも、下請けのメーカーなので星灯会という名前が表に出ること自体滅多にありませんでしたが、大手スーパーやコンビニなんかの自社ブランド商品として結構人気があったそうですよ」

 用紙の右半分には、どこかで見たようなパッケージのついたパンケーキの写真が販売会社のロゴと一緒に並んでいる。一色の言うとおり有名な会社のものばかりだ。俺も一度や二度は食べたことがある。

「最後の一枚を見て下さい」

 引き続き、一色が指差す。もう三枚のうち二枚を取り去ってしまったので、透明なクリアファイルは取り出さなくてもその中が見える状態となっていた。

 俺はクリアファイルごと手に取る。そこに書かれてあったのは、

『ぱんけーきのつくりかた あまのがわあやの』

「……なんだこのかわいらしいものは」

 タイトルはかろうじて読める。が、それ以降は小さい子供にしてもあまりに崩れた字で何やら書かれてある。さらにその中には正体不明の顔文字や記号などが入り交じっていて、

「……読めない」

 ですよねー、と一色が苦笑する。

「実際、本人にしか読めなかったみたいですね」

「で、これは何なんだ?」

「これは、星灯会の新商品のコンペに出されたものです」

「コンペ? 彩乃がか? あいつは社員じゃないだろう」

「当時はまだ小学生ですからね。でも、両親の影響もあってその頃から料理の腕は確かなものだったらしく、天之川さんの娘さんの料理はとんでもなく美味い、と社内でも噂になるほどでした。

 当時、星灯会では新しく出した商品の評判があまり良くなく、次の商品の開発に困っていたそうです。そこで白羽の矢が立ったのが、天之川さんです。料理の知識は十分だし、子供なら自分たちが思いもよらないような画期的な商品を思いつくのではないか、と」

「失敗しても責任問題にならない子供に丸投げしたわけか」

「まあ、そういうふうにも取れますね」

 その時、始業のチャイムが鳴る。

 もし今から急いで教室に戻っても、授業には間に合わない。

「天之川さんに任せられた新商品のコンペの日です。このレシピ、見てもらったら分かる通り本人にしか理解できません。そういう訳で、材料だけは会社で用意し、試作品の調理は本人に任せられました」

「それで、どうなったんだ」

「完成したものが目の前に置かれた瞬間、どういう訳か集まっていた社員達は一斉にそのパンケーキにがっついたそうです」

 食べるのを我慢できないほどいい匂いがした、とでもいうのだろうか。にわかには信じがたい話だ。

「その直後です。パンケーキを食べた社員は、一瞬だけ恍惚とした表情をし、その後すぐに気を失ったそうです。その場にいた中で同じようにパンケーキを食べたにもかかわらず天之川さんの両親だけは無事で、すぐに救急車を呼びました」

「食中毒か何かか? でも、そんなにすぐに発症するものなのか?」

「病院に運ばれた社員達は精密検査を受けましたが、何も問題は見つからなかったそうです。そのためすぐに退院にはなったのですが、なぜか全員頑なにパンケーキの開発を拒否するようになり、ついには会社をやめてしまいました。

 その後、会社としての目玉商品を作れなくなってしまった星灯会は契約していた大手販売会社から見限られ、倒産したというわけです」

「……妙な話だな」

 話の全貌が全く見えてこない。概要だけは理解できたものの、明々後日の天気予報のようにはっきりしない。

「一番の問題は、天之川さん本人が自分の料理の危険性を自覚していないということです。最初に天之川さんに近づかない法が良いと言った理由は、それです。どの程度からかは分かりませんが、彼女の手が入った料理は食べるべきではないです。彼女と親しくなればなるほど、そういう機会もあるでしょうし」

「言いたいことは分かる。でも、それってあいつと仲良くするのを避ける理由になるのか? 彩乃が作った料理が危険だと分かっているのなら、それを食べなければいいだけの話だろう」

「……まあ、それはそうなんですけどね」

 一色はやれやれといった様子で両手を開いてため息をつく。少し苛立ったが、ここで噛み付いても仕方がないのでぐっと堪える。

「もう一つ、これを裏付ける話があります。昨日の放課後、会長が帰った後にこの学校に救急車が来ていたことは知っていますか?」

「そうらしいな、誰かが話しているのを聞いただけだから詳しくは知らないが。まさか、さっきの話と関係があるのか?」

「そのまさかです。救急車で運ばれたのは、本校の家庭科の先生なんです」

「……一体何があったんだ」

「さっきまでの話で検討がつきませんか? 恐らく、家庭科の先生は天之川さんが調理したカレーを何らかの形で口にしたのでしょう。その後病院で検査を受けたそうですが、何も異常は見つからなかったとのことです。ですが、未だに意識は戻っていません」

「それって、さっき話した星灯会の社員とまるきり同じみたいじゃないか」

「その通りです」

「原因はなんだ? まさか、あいつの作った料理が呪われてるなんて言うんじゃないだろうな?」

 一色はまたいつの間にかかけていた眼鏡の弦を人差し指でくいっと上げ、続ける。


 天之川さんの作る料理が、あまりに美味しすぎるんです。

 それはもう、ショックで失神してしまうほどに。


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