五月十一日 その2
「彩乃ちゃん、調理実習がんばりましょうね~」
「うん、卯美々ちゃんとならきっと美味しく作れるよ」
六時間目。本日最後の授業。彩乃と卯美々のクラスは、家庭科の授業で調理実習をすることになっていた。
このクラスの一班は、彩乃と卯美々だけだ。普通、班といえばもう少し多人数で組むものなのかもしれないが、この学校では男子と女子で家庭科の科目が分かれているので、一クラスあたりの人数は必然的に少なくなる。そのまま人数を机の数で割ると、一班二人ずつの班分けになる。出席番号順なので、「あまのがわ」と「うるしみかみ」は名前の一文字目が近いよしみで同じ班と相成った。
「各班、材料を取りに来てくださーい」
家庭科の先生が教室奥のホワイトボードの前で言う。
「彩乃ちゃん、私行ってくるね~」
「うん、ありがと」
銀色のトレーを持って教壇の方に向かう漆巴守。その間、彩乃はエプロンを身につける。
家庭科室には学校指定のエプロンが常備されてある。多くの生徒は自分で家から持ってきたものを使用していたが、彩乃と卯美々の二人は揃って学校指定のものにした。他の班を見回すと、二人の他にもそのエプロンを身につけた生徒の姿はちらほら見受けられる。
「ただいま~」
卯美々が彩乃が待つテーブルに戻ってくる。トレーに乗せられているのは、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、そしてカレールー。今日の調理実習で作るのは、カレーだ。ご飯は既に炊かれたものを先生が用意している。
卯美々はトレーをテーブルに置くと、手早くエプロンを身につける。その間に彩乃はまな板を机の上に用意し、手際よく包丁でジャガイモの皮を剥いていく。
「わ~、彩乃ちゃん、上手ですね~」
漆巴守はピーラーを手に取り、同じようにニンジンの皮を剥いていく。そうしているうちに彩乃は既に一個目のジャガイモを丸裸にしてしまっていた。
「慣れてるからね」
とん、とん、とんと規則的に包丁の刃がプラスチックのまな板に落ちる音がし、あっという間に大きなジャガイモはサイコロ大に切り分けられていた。
一方、ニンジンの皮を剥き終わった漆巴守はと言うと……両手で包丁を持ち、手をぷるぷると震えさせながら……
「え~い」
ドン、と振り下ろす。
……が、うまく刃が刺さらず、つるんと滑ってニンジンはまな板の端に逃げ延びた。
「……卯美々ちゃん、それ私がやろうか?」
「あ~、お願いできますか~? どうにも包丁は苦手で~」
「任せて。じゃあ、卯美々ちゃんは鍋に水を張ってお湯を沸かしておいてくれる?」
「了解です~」
びしっと手を眉の上あたりに持ち上げて敬礼のようなポーズをし、最初から机の上に用意されていたミネラルウォーターを鍋の中にごぽごぽごぽと入れる。水道水を使わないあたりがちょっと贅沢だ。
「これくらいでいいですか~?」
「うーん、もう少しだけ足してもらってもいい?」
「分かりました~」
卯美々は一度締めたミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開け、再び鍋の中に注いでいく。
「OK、それくらいで。コンロの方に運んで火にかけておいて」
「はい~」
その頃には、一度は生還したかと思われたニンジン、さらにはタマネギまでもがバラバラにされてしまっていた。
「あ~、野菜の地獄絵図ですね~」
「……?」
「なんでもないです~」
他の班も下ごしらえが終わったところから鍋の用意を始めている。ふと、彩乃は隣の班を見る。何やら長いカールの髪の生徒が足を引っ張っているようで、もう一人が困った顔をしている。あまり順調には進んでいないようだ。
「そろそろいいですかね~」
煮立った鍋に、卯美々は彩乃が刻んだ野菜をどぼどぼどぼと投入していく。まな板の上に乗ったのをそのまま傾けて乱雑に入れたので、時々お湯が撥ねる。
「あつっ、熱いです~」
そう言いながらも、その言葉とは裏腹に卯美々は鍋に野菜を投入していく。はたから見れば少々おかしな光景であるが、気にする者はここにはいない。
全部の野菜を入れ終わると、少し鍋の中の温度が下がり、ふつふつと煮立っていたお湯が大人しくなる。彩乃は鍋に蓋をし、コンロの火力を一番強く合わせる。
「そう言えば、お肉は入れないんですね~」
「そうね……高いからじゃない?」
「不景気ですもんね~。昨日も夕方のテレビで、かぶか? が下がっているってニュースのお姉さんが話してました~」
不景気とは無関係の世界を生きていますと言わんばかりの口調で漆巴守が言う。
暫くすると、鍋の中は景気良くぐつぐつと煮立ってきた。
「そろそろいいですかね~」
「そうね、じゃあカレールー入れちゃうよ」
「あっ、……彩乃ちゃん、ちょっと」
「え?」
卯美々は一瞬止めるような素振りを見せる……が、彩乃は既に鍋の中にカレールーを入れてしまっていた。
「あ~、いや~、なんでもないです~」
「??? ……まあ、いいけど……」
その時、家庭科の先生が二人のテーブルに近づいてきた。うっすら茶色に染められた短めの髪と機能的な丸い眼鏡が、やさしいお姉さんといった雰囲気を醸し出している。実年齢は分からないが、かなり若く見える。生徒からもよく親しまれており、本名をもじったあだ名で呼ばれている。本人はいつも否定するものの、内心では嬉しそうだ。悪い先生ではない。
「あら、あなたたちの班が一番みたいね」
先生はそう言って、手に持っていたバインダーに挟まれた紙に何やら書き始めた。
「一等賞だから評価はAでつけておくわね」
「味見とかしなくてもいいんですか?」
「まあ、あなたたちのことだからちゃんとできているでしょ?」
うふふ、と笑い、続ける。
「じゃあ二人で食べちゃって。片付けまで終わったら帰っていいわよー」
「はい~、ありがとうございます~」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる卯美々と彩乃。先生は手を振りながら他の班を見に行ってしまった。
「じゃあ、早速食べ始めましょうか~。私は向こうの炊飯器でご飯をよそってきますね~」
「うん、わかった。じゃあ私はカレー鍋をっ、とっ、」
その時、鍋を手に取ろうとした彩乃はそのすぐ後ろにいる卯美々が伸ばした足に引っかかり、バランスを崩す。
そのまま仰向けにひっくり返る形になり、その反動でカレーの鍋もコンロから落ちる。
がちゃばしゃあ! と悲惨な音が響く。
「どうしたの?」
その音を聞いて、先生が二人のテーブルに戻ってくる。が、
「……あちゃあ」
中身がほとんどこぼれてしまったカレー鍋と涙目でその場にぺたんと座り込む彩乃を交互に見ると、状況を察したようで目元に手を当てながら小さくため息をつく。そして、多少明るい声で言う。
「先生も手伝うから、片付けよっか?」
片付けと床の掃除が終わったのは、家庭科の授業が終わって暫く経った後だった。