五月十一日 その1
「今日も今日とて生徒会の仕事に明け暮れる野郎二人。華やかさの欠片もない。もしここにかわいい女の子、欲を出せばジト目の女の子、具体的に言うと彩乃がいれば、この雑用もどんなに楽しく充実してやりがいのある時間に変わるのだろうか。」
「口じゃなくて手を動かして下さい会長」
翌日。放課後。生徒会室。
「黙々とパソコンのキーボードを叩くイケメンボイスが一人、それを見ながら膝枕をついて黄昏時を楽しむイケメン生徒会長が一人。さて、この中の一人は俺です。どちらでしょうか? 正解者にはハワイ旅行プレゼント」
「後者。但しイケメンではない」
「残念! 正解は、……デケデケデケデケ……デン! イケメン生徒会長でした!」
「もうそういうことでいいですよ」
漆巴守は今日の最後の授業が調理実習だったとか何とかで、遅れるそうだ。もしかしたら来ないかもしれない、とも言っていた。そう言えば先程からこころなしか家庭科室の方からいい香りが漂ってくる気がする。香ばしいスパイスの香りと、ほんのり甘い林檎と蜂蜜。作っているのはカレーだろうか。
「いいな、彩乃と漆巴守は今からカレーか。俺も二年前作ったっけ」
今はこうして立派に最高学年として立派に生徒会長を務めているが、こんな俺にも一年の時は当然あった。たしか俺が一年の時に調理実習でカレーを作った時は――まずジャガイモとニンジンとタマネギの皮をむいて豚肉を赤色がなくなるまで炒めて鍋に水を張って……肉と野菜を入れて……とろみが出るまで煮込んで……えーと……うん……あれ?
「なあ一色、カレーのルーってどこで入れるんだっけ」
「鍋の中に入れるに決まってるでしょう」
パソコンの画面から目線を逸らさずに平然と答える一色。
「いやそうじゃなくてだな」
「というか会長、この学校では女子は家庭科ですが男子は技術なので、会長は調理実習をしたことがないはずです」
「……そういえばそうだったな」
どうりでカレーの作り方が分からないわけだ。時代錯誤のカリキュラムめ、そんなに調理実習を通して俺がリア充になるのを阻止したいのか。ぐぬぬ。
「なんだか腹が減ってきたな」
空腹時のカレーの匂いはまさしく殺人級と言うに値する。
よっこらせと重い腰を上げ、扉と反対側にある窓に近づき、半開きになっていたところを全開にする。初夏の夕方の湿っぽい風と一緒に、カレーの香りがそこそこ広のある生徒会室の中を駆け巡る。
カレーの殺意はパソコンの前で黙々と作業している一色にも直撃した。一色は眉をひそめてこちらを睨みつけると、窓とは反対側にある廊下側のドアを開けた。が、それが良くなかった。カレーの匂いが生徒会室を吹き抜ける形となり、匂いが落ち着く様子はなく、それどころかますます強くなった。一色は飼い犬に餌を突き返されたような顔をし、ぴしゃりと窓を閉めてしまう。
「なあ一色、今の時間学食開いてたっけ?」
「確か開いてますよ。運動部の人が軽食を摂ったりだとか、家が遠い人は夕飯をここで済ますというのもありますし。最終下校時刻三十分前がラストオーダーですから、まだ少し時間に余裕はありますね」
「うちの学食、ラストオーダーとかいう概念あるんだな」
「閉店ギリギリに来られたら嫌なんで作ったって聞きましたけど」
「ああ……」
利用者が多い分、ここ桜ヶ丘高校の学食の品質は他の学校に比べてかなり良いと言われる。もっとも、ここ以外の学食のメニューを食べたことはないので比較はできないものの、普段利用する分には特に不満らしい不満は思いつかない。あえて挙げるとすれば、壁にかかっているデジタル時計が故障して止まっていることくらいだろうか。学食の管轄かどうかは知らない。
「じゃあちょっと行ってくる」
「はい行ってらっしゃい」
「俺の分の仕事も終わらせてくれると嬉しいな」
「最初から私に丸投げしてるのに何言ってるんですか。と言うかずっと見られてると非常にやりにくいのでむしろ出て行ってもらえた方が私としてはありがたいです」
「ひどいなあ」
「そんなこと言うならちゃんと生徒会の雑……仕事もやってください」
「いま雑用って言いかけただろ」
やれやれと言いながら扉を開けて、外に出る。扉を閉める間際振り返ると、パソコンから顔を上げて飼い犬の仇を見るような目でこちらを睨みつける一色が見えた。俺が手を振ると一旦無表情になり、さらにまた睨まれた。俺は一色の視線を遮るように扉を閉める。がらがらぱたん。