五月二十二日 その3
「やあ漆巴守さん、早かったですね」
「私達しかいないのだからその呼び方はやめなさい」
顔を見るなり軽口を叩くうちの使用人を、私は一言窘める。
「会長さんを彩乃ちゃんと二人にさせてあげようという私の粋な計らいですよ」
尾道と一緒に車に戻ると、副会長こと一色ことうちの使用人兼技術担当が助手席でふんぞり返っていた。もっときつく言おうかと一瞬考えたが、やめておくことにする。理由の一つはうちの使用人の中で最も素行の悪い彼(路頭に迷っていたの招いたのは私なのだが)には恐らく言っても無駄だということ、それからもう一つは私は今非常に気分がいいということだ。
「いやー、失礼しましたお嬢。それにしても、粋な計らいといってもそれ会長にですよね? 天之川さんは嫌がっているんじゃないですか?」
私が後部座席に座ったのを確認すると、運転席でシートベルトを締め終えていた尾道はアクセルを踏んで車を発進させる。
「そうでしょうか? あながち、まんざらでもないかもしれませんよ?」
私の目的は既に達成されていた。それは、未だ漆巴守家と勢力の拮抗する衿川家に対する交渉のカードを手に入れることだ。
多かれ少なかれ、金に余裕のある人間は美食に目覚める。そこで、わざと衿川の耳に届くように『天之川彩乃の料理は食べた人を失神させてしまうほど美味い』という噂を流した。そして結果彼女は食いつき、その味を覚えた。が、彩乃ちゃんの衿川に対する印象は最悪、仮に私が頼めば料理することがあるかもしれないが、衿川が頼んでも彩乃ちゃんは料理しないだろう。
これが、交渉のカードになると私は考えたのだ。
「そうですかぁ? ……あーでも、お嬢がそう言うならそんな気もしてきました」
が、それはあくまで家単位での考えであり、私個人としては彩乃ちゃんの親友でありたいとは思っているのだ。私は彼女の一番の理解者でありたいと思っているし、向こうもまたそうだろう。都合よく聞こえるかもしれないが、私が彼女を利用するのはこれが最初で最後だ。
「ところでお嬢様、本日のご夕飯はどうなさいますか? さっき大きなアップルパイを召し上がっていたので……」
「あら? もちろん食べますよ」
「まじですかお嬢、よくそんなに入りますね」
「そうね……、そうだ美智子、今日は鰻丼……いや、カツ丼が食べたいわ。できるかしら?」
「カツ丼……ですか? そんな庶民的な料理を、お嬢様が?」
「何か文句でも? 私だって庶民的な料理が食べたくなる時だってあるわよ」
「そうですか……じゃあ今から最高級の豚肉と玉子を、」
「そこのスーパーでいいわ。カードは使えるのかしら? 美智子、とりあえず車を止めてくれる?」
「……はい、かしこまりました」
驚きを隠せないといった様子で美智子は答える。その隣の席では、一色が息を堪えながら笑っている。
……何よ、私だってカツ丼が食べたくなることくらいありますよ。




