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五月二十一日 その2

「こちらへどうぞ」

 尾道に連れられて向かった先は、家庭科室。ここで衿川に食べさせるパンケーキを作ることになった。調理器具は予め揃っているので、用意する必要がないからだ。材料は既に尾道が用意してきていた。死ぬほど美味いパンケーキというくらいなのだから何か特別な食材でも使うのかと思っていたが、案外そこいらのスーパーでもそろうようなものばかりらしい。

「よく家庭科室使う許可が降りたな」

「はい~、家庭科の先生にうちの病院で受けた治療費の請求書を見せたら、快く鍵を貸して頂けました~」

「漆巴守、それは快くとは言わない」

 カレーを味見して死にかけた挙げ句の果て高額の治療費を請求されるなんて、あの先生もついていないなあと他人事ながら同情する。

「まあ、仮にダメって言われても何とでもなるんですけどね~」

 そう言いながら漆巴守が尾道に視線を送ると、尾道は無言で先程彩乃を縛っていたものと同じロープを両手に構えた。彩乃は「ひっ」とうめき声を出して一歩後ずさる。

「それじゃあ彩乃ちゃん、よろしくお願いしますね~」

「……うん」

「手を抜いちゃだめですよ~」

「わかってるよ」

 嫌々無理無理泣く泣く渋々といった様子であったが、彩乃は尾道から材料を手に取り、エプロンを身につける。この間の学校指定のエプロンとは違いこれまた尾道が用意したピンク色のチェック柄のエプロンで、多少可愛げがある。

 漆巴守は三脚を組み立て始め、その上にビデオカメラをセットする。彩乃が作ったパンケーキだという証明にするつもりだろうか。

 近くの戸棚から大きなボウルを取り出し、材料をその中に投入していく。

 手を抜かないというのはどうやら本当らしい。その目はいつもと変わらずじっとりしているが、どことなく気迫のようなものが伺い取れる。

 ……それから、エプロン姿で手際よく泡だて器を使って混ぜる様子は、俺の妄想を掻き立てるには十分すぎた。



『ただいまー、ああ、今日も疲れたなー』

『遅かったですね、また会社で誰かに怒られたんですか? それとも浮気ですか?』

『後者だ』

『お注射ドライバーぶっ刺しますよ?』

『冗談だ、こんな可愛いジト目の女の子が出迎えてくれるのに、別の女のところに行くわけ無いだろ?』

『もう、調子がいいんですから……お味噌汁、もう温めてありますけどすぐご飯にしますか? お風呂も湧かしてあるので先に入ってしまっても構いませんけど。それとも、……えっと、…………わ、た、』



「会長、焦点の合ってない目でじっと見られると気持ち悪くて気が散るのであっち行っててもらえませんか?」

「そうですね~、ずっとこうして見ているのもなんですし、向こうの部屋に行っておいてもらいましょうか~……美智子」

「はい、かしこまりましたお嬢様」

 尾道はそう言って漆巴守に向かって一礼したかと思うと、突然俺の背後に回りこんで両肩を掴んだ。

「失礼します」

「え?」

「さあ、こちらへ」

「あ、ちょ、ま、ああああぁぁぁぁぁ」

 俺は尾道に両腕を掴まれて、家庭科準備室の方に引きずられていく。

「美智子、会長さんをよろしくお願いしますね」

「はい」

 あっという間に俺は家庭科室から引きずり出されてしまう。途中彩乃に助けてくれと視線を送ってみたが、一瞥したのちそっぽを向かれてしまった。恥ずかしがっているのだろうか、それとも意図的に無視したのだろうか。いや、前者だ。きっと前者に決まっている。

 ぱたん、と尾道は無慈悲にもドアを閉めてしまい、俺の視界は遮られる。

 家庭科準備室の中は薄暗く、扉の向こうから聞こえるとんとんとんという包丁の音が不気味に聞こえる。

 ん、包丁……?

 ……パンケーキの調理に包丁を必要とする過程は無かったような気がしないでもないが、何か付け合わせでも作っているのだろうと思って適当に納得しておくことにする。

 尾道が家庭科準備室の照明のスイッチを押すと、ぱちんと音を立てて蛍光灯がつく。部屋の中には、尾道と俺の二人だけ。後はいくつかある棚が埃をかぶっているだけで、特に変わったものはなさそうだ。

「申し訳ございません、お嬢様の申し付けは絶対ですので」

 全く申し訳なくなさそうな表情で尾道は言う。

「はあ……」

 あまり使われていないであろうその部屋の中、ひどく空気が悪く感じる。それは、単に埃っぽいだけなのか、それとも、話す話題もみつからないような赤の他人が二人きりでいるからだろうか。

「…………」

「…………」

 俺が黙ったままでいると、尾道も何も話そうとはしない。沈黙に耐え切れず、俺は尾道に話しかける。

「あの、漆巴守って、」

「申し訳ございません、お嬢様からあまり会長とは話すなと命じられておりますので」

 が、俺が投げかけた言葉はキャッチボールに使われることはなく、いつのまにかバットに持ち替えていた尾道はそのボールを高く打ち上げてしまう。バッターアウト。だが、退場させられるのは多分俺の方だ。

「……もしかしてこの間の車で言われたこと、律儀に守ってるんすか?」

「違います。……いや、それもあるのですが、あの後あまり家の者以外とは必要以上に話すなと命じられておりますので」

「そんなこと言っても、尾道さんにも普段の生活があるでしょうし」

「私は漆巴守家に住み込みで働かせて頂いております故、その心配は無用です」

 凛としたその表情からは、使用人としての自信の程が伺える。が、やはりどこか幼さの残る顔立ちは、彼女自身の素性を計り知ることを許さないでいた。

 自動車の運転をしていたので、少なくとも俺よりは年上、(札束の力が働いていなければ)十八歳以上だと思われる。身長は俺よりほんの少し低い程度で、170前後といったところだ。しかし顔だけ見ると、中学生くらいの女の子だと言われても違和感は感じない。そして服装は、

「……さっきからじろじろ見て、私の顔に何かついていますか? それとも、やはり天之川さんのおっしゃる通り変態なのですか? まさか本当に私のことをも襲おうとしてるのですか?」

 そう言って尾道は両手で見を抱えるような仕草をする。が、相変わらずの仏頂面で色気のようなものは微塵も感じられない。

「いや、俺はジト目の女の子にしか興味ないんで」

「変態ということで間違いないようですねよく覚えておきます」

「はあ……」

 ………………

 …………

 ………

 ……

 …

「退屈ですね」

「ですね」

「パンケーキが完成するまでお休みになられますか?」

「ひどく唐突ですね……でも俺そんな器用にどこでも寝れませんよ」

「大丈夫です安心してください。眠らせ方くらいは嗜んでおりますので」

 そう言うや否や尾道は突然俺の背後に回りこみ、首の付け根のあたりを、とん、と何か細い棒のようなもので一突き。その瞬間、急に視界がぼやけ、意識が朦朧とし始める。

「……あ、……ぁ」

「パンケーキが出来上がったらちゃんと起こしますので」

 痛みは無かった。が、どうしても意識を繋ぎ止めることができない。

 しかし、一つだけ確かなことがあった。直前に首元に感じた金属の感覚。俺はそれが何かを知っている。一瞬だがはっきりと感じたのだ。なぜならその棒の正体は、

「プラス……ドライバー……?」

 俺がそう言い終わるか終わらないかのうちに、意識は途切れた。


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