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五月十日 その1


 五月。入学式が終わってからひと月と少しが過ぎた。見事に咲いていた桜もすっかり散ってしまい、今は涼しげな緑色に染まりつつある。

「はあ……」

 大きくため息をつく。

「俺の心は、校庭の木々のような爽やかな緑、には程遠い青緑に染まっていた。」

「会長、新作のポエムの読み上げは結構です」

 向かいの席に座っている男子生徒がパソコンの画面から顔を上げる。俺のことを会長と呼ぶ彼は、一色いっしき にしき。桜ヶ丘高校生徒会の副会長だ。俺より後輩のくせに俺よりイケメン……というほどではないにしてもまあまあのイケメンだ。

「いや失敬失敬。ちなみに俺にポエムを書くような趣味はないぞ」

「そうですか」

 一色は持ち前のイケメンボイスでそれだけ言うと、黙々と生徒会の仕事に戻る。カタカタカタ、と二人で使うにしては広すぎる生徒会室にキーボードを叩く音が響く。機械音痴の俺としては彼が代わりに書類などを作ってくれるのは有り難いばかりなのだが、少し態度がそっけないのが玉に傷である。

「ところで遅いですね、彼女」

「彼女?」

「彼女と言えば彼女しかいないじゃないですか。ほら、えーと、あの、」

 一色は考え事をする時に、右手の中指の爪を左の手のひらにこすりつける癖がある。それもかなり強く。さほど広くもない生徒会室に、キーボードの打鍵音のかわりに皮膚をひっかく音が響く。つまり、一色は彼女の名前を忘れたのだ。

「お前が名前を思い出そうとしているやつならさっきからそこにいるぞ」

「え?」

「ほら、そこ」

 俺は生徒会室の入り口のドアを指差す。その指先を追いかけるように、一色は視線を動かす。そして、生徒会室のドアの前で棒立ちしている一人の女生徒と目が合う。

「あ……」

 どすん、と彼女は持っていた鞄をその場に落とす。

「ふ、ふえ……わたし、書記なのに……」

「あー、今のは、その……」

 半泣きの少女と、慌てて宥めようとする少年、この光景は、

「なーかしたーなーかしたー」

「違いますから!」

「私、まだ先輩方に受け入れられてなかったんですね! ちゃんと生徒会の一員として認めてもらえるように、もっと修行してきますぅ~!」

 微妙にズレたことを言いながら、ばあん! とドアを勢い良く開け、走り出……そうとする、跳ね返ってくる扉にばあん! と膝を打ち、

「!!~~~っ!~~~~!!!」

 一瞬うずくまった後、ぴょんぴょんしながら生徒会室を出て行った。

「…………」

「…………」

「…………会長、彼女の名前、何て言うんでしたっけ」

「えーっとな、確か」

 俺は入学式の時からテーブルの上に置きっぱなしになっていた新入生の名簿をおもむろに手に取り、ぺらぺらとめくる。

「あったぞ、漆巴守 卯美々(うるしみかみ うみみ)」

「会長も忘れてたんですね」

「珍しい名前だしね。仕方ないね」

 一色が俺のことを睨みつける。とてもじっとりした目で睨みつける。

 その目を見て、思い出す。

 俺は、入学式の日に向けられた例の女生徒の目が忘れられないでいた。

 その目は、とても、とてもとてもじっとりしていて、

「会長、人の名前と顔が一致しないのって不便ですよね」

「そうだな」

 天之川 彩乃。珍しい名前なのに、その名前が忘れられないでいた。

「それとこれ、どうします?」

 一色が、生徒会室の扉のあたりを指差す。卯美々が置き去りにした鞄だ。

「どうするも何も、持っていくしかないだろ。えーと、漆巴守だったか、あいつ戻ってこなさそうだし。主にお前のせいで」

「そんな押し付けるような態度は卑怯です。会長も名前忘れてたんですから同罪です」

「いやそのりくつはおかしい」

「いーや、会長のせいです」

 再び一色が俺のことを睨む。

 入学式以来、俺は誰かに視線を向けられる度に彩乃のことを思い出してしまう。俺を見る表情が、目が、そして、


『すごく気持ち悪いんですけど』


「どうしたんですかニヤニヤして。だいぶ控えめに言って気持ち悪いですよ」

「すまん、何でもない」

 ごしごしと両手で目をこする。目を開けると、果たして俺の前にいるのは一色だった。

「いいから早く鞄持ってください」

「え、俺が持つのか?」

「今度から書類作ってあげませんよ?」

「……はいはい、わかりました……よっと」

 鞄を持ち上げる。ずっしりとした重みが肩にのしかかる。

「なんか思ったよりかなり重いな……一体何持ち歩いてるんだあいつ」

 やっぱり一色に持たせればよかった。

「気になるなら開けてみます?」

「やめとく」

「賢明ですね」

 一色が扉を開ける。ゆっくり開けたので、跳ね返ってくることはない。

 戸締まりは……まあ、少し行って帰ってくるだけだから、別にいいか。

 ここは至って普通の生徒会室だ。学園を裏から牛耳っているわけではなく、強力な権限をもっているわけでもなく、ましてや生き残りをかけた謎のデスゲームのゲームマスターになる予定もない。各学年から一人ずつ、会長、副会長、書記の三人で構成された、雑用係だ。空き巣に入られて困るような物も情報もない。と思う。

「なにやってんだろうな、俺達」

 答えを求めて言った言葉ではない。が、すぐ隣からイケメンボイスで答えが返ってくる。

「女の子を泣かせた責任を取りにいくんでしょ?」

「お前の声で言うと聞こえはいいな」

「それ褒めてます?」

「想像に任せる」

「行きましょうか」

「そうだな」


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