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五月十四日 その4


 女の子らしい、とは形容し難い部屋で、俺はパンケーキが運ばれてくるのを待っていた。

 高校生の女の子の部屋なのだから今をときめくアイドルのポスターであったり可愛らしい小物や雑貨の一つもあるものかと思ってはいたが、それらしきものは見当たらない。それどころか、新築ですといわんばかりの真っ更な壁板、綺麗に整えられたベッド、これまた飾り気のない勉強机。彩乃らしいと言えば彩乃らしい部屋だ。

 勉強机の隣には膝の高さほどの小さな本棚が置かれてある。彩乃の本の好みは……と思って覗いてみると、中にあったのは学校の教科書だけだった。ちなみに俺は一切教科書は持って帰らない派なので、家に教科書があるというのは不自然さすら感じる。

 高校生の女の子の部屋と言えば、漆巴守はどんなのなのだろうか。先日までの印象とはうって変わり、その正体は名家のご令嬢だった。


 天蓋付きの大きなベッドで朝の目覚め。

 部屋の外には給仕服のメイドが二、三人控えており、漆巴守が起きたのに気づくとお着替えの準備を始める。

 ひと通り身だしなみを整え広間に向かうと、そこでは専属の料理人が待っている。

 できたてのオムレツ、それから焼きたてのパンを少しとカップ一杯のコーヒーを口にし、付き添いのメイドの一人に微笑みかけ……


「高校生らしくは、ないな」

 閑話休題。

 彩乃はこのマンションで一人暮らしをしているらしい。

 生活費……は、例の星灯会絡みの金なのだろうか。詳細は不明だが、本人にあまり突っ込んで聞かないほうが良さそうだ。ただ、スターライトマンションという名前からも分かる通り、このマンションは昔は星灯会の社員寮として利用されていたものらしい。

 その時、ポケットに入れていた俺のスマホが、ピロン、と間抜けな音を出した。取り出してパスコードを入力し、L○NEを開く。

『そろそろ天之川さんの家に着いた頃でしょうか?』

 一色からだ。アイコンの中のあいつの写真は俺の心を見透かしたかのようににやにやと笑っている。うざい。

『どうしてお前がそれを知っている』

 返信。するとすぐに既読がつき、返事が返ってくる。

『秘密です(はーと)』

『可愛くないぞ。漆巴守の方が十倍可愛いし彩乃の方が百倍くらいかわいい』

『後で漆巴守さんに、会長が「彩乃ちゃんは漆巴守の十倍かわいい」って言ってたって送っておきますね』

『おいやめろ』

 事の発端である張本人からの連絡で少し身構えていたが、そんな俺をからかうように一色はつまらない冗談を言う。状況が状況なので遠回しに煽っているのではないかと疑ってしまうが、あいつのことだからそんな気も無いのかもしれない。

『ところで本題なのですが』

 すこし間を開けて再び一色からメッセージが送られてくる。

『今すぐ天之川さんのマンションを出て下さい。彼女の作った料理は食べるべきではないです』

『どういうことだ』

『言葉の通り受け取ってもらっていいですよ』

『何を言っている。彩乃が焼いたパンケーキだぞ? あのジト目で見られながら食するんだぞ? まさに据え膳、これを見逃すなんて末代までの恥だ。当選した宝くじを交換しに行かないようなものだぞ』

『この間の私の話、聞いてなかったんですか?』

『もちろん聞いてたさ。でもそんなこと関係ない、食べたいから食べるんだ』

『馬鹿なんですか?』

 「お前も実は彩乃のこと気に入ってて俺に先に手料理を食べられるの嫌なんだろww」と送……らずに一旦消し、

『褒め言葉として受け取っておこう』

 送信。

 そしてすぐに返事が返ってくる。

『わーしゅごーい、かいちょーちゃまはえらいでちゅねー(棒)』

『…………』

『ところで会長』

『なんだ』

『別に私はジト目の女の子に罵られる趣味はないですし、ましてやいくら美味しくても命の危険を感じるパンケーキを食べる気もないので、順番とかは気にしなくてもいいですよ』

 俺はその場にすっと立ち上がり、大きく振りかぶってスマホを垂直に投げて床に叩きつけた、どごんばきっどんどんがちゃん。

 カバーが外れて中身がむき出しになり、バッテリーが外れてあらぬ方向へ飛んで行く。

「……あいつまさか俺のスマホに」

 そう思った時、キッチンの方から声がした。

「今なんかすごい音がしたんですけど大丈夫ですか~?」

「あ、ああすまんすまん、鼠が一匹紛れ込んだようでな」

「鼠? 彩乃ちゃん鼠なんか飼ってるんですか?」

「流石に鼠は飼ってないですよ」

 それはそうだろ。

「私が飼っているのはウナギだけです」

 そうはまあよくあ……ん?

「ですよねー。前に写真で見せてもらいましたけど、うなちゃん可愛いですもんねー」

 うなちゃん……一瞬聞き間違いかと思ったが、どうやらウナギで間違いないらしい。鰻だ。ウナギのうなちゃん。

 そんなのどこかにいたか? 玄関から入って部屋まではそれらしいものは見当たらなかったし、ましてやこの部屋の中には……ん?

 部屋の中の一点に俺の視点が固まる。

 綺麗に片付いた勉強机。

 椅子。

 その隣。

 本来はペンや小物なんかをしまうような引き出しがあるはずの場所が。

 水槽になっていた。

「……マジかよ」

 そろりそろりと近づく。その中にいるのは、確かに一匹のウナギだった。

「う、うわあ……」

 俺が水槽を覗きこむと、中にいるウナギもこちらを覗き返してきた。

「会長さん、さっきから何をぶつぶつ言ってるんですか~?」

「気持ち悪いです。もし家探ししようなんか考えてたらキリキリ頭のネジ締めますからね」

 大してキッチンまで距離がないので、俺の声は向こうに丸聞こえになっているらしい。

 だが、今日俺と漆巴守がここに来ているのは、イレギュラーだ。普段は彩乃が一人でここで暮らしているのだ。三人いれば声が届くような距離でも、一人で過ごすにはその距離はあまりに遠すぎるように感じた。

「会長さん、そろそろ焼き上がりますよ~。そっちに持っていくので、今のうちに机の上をかたしておいてもらえますか~?」

「勝手に部屋の物に触ったら風穴ですからね?」

 矛盾したことを言う二人の声。こんな友達同士のやりとりも、彩乃にとってはうるさく感じるのだろうか。それとも、賑やかに感じるのだろうか。

「さあ、できましたよ~」

「おお」

 パンケーキが載った大皿を手に、キッチンの方から彩乃と漆巴守が現れた。彩乃は赤色貴重のエプロンを身につけており、明るい色の髪がよく映える。

「なかなか様になってるじゃないか」

「まあ、慣れていますからね」

「パンケーキじゃないぞ、お前のエプロン姿だ」

「馬鹿なんですか?」

 コトリ、と彩乃は俺が座っている前にホットケーキの皿を置く。溶けたバターの甘い香りが鼻孔を擽り、食欲をそそる。

 三段に重ねられた、大きなパンケーキ。各層にたっぷりとかけられた蜂蜜が電灯の光を反射してきらきらと光る。

 そして、その横の小皿に添えられた、白色の粉末。

「会長……本当に食べるんですか?」

 心配そうな目でこちらを見ながら彩乃は俺に声をかける。俺がお前に見てほしい目はそんなんじゃないんだけどなあ、と思いながらも笑顔で返答する。

「まあ、大丈夫だろ」

 漆巴守が、俺の前に置かれた大皿に一組のナイフとフォークを載せる。口に運ぶのがはばかられるほどに、綺麗な装飾がついた食器だった。

「会長さんなら、きっとすぐに戻ってきます。大丈夫ですよ~、私が前食べた時はそもそもなんともなかったですしね~」

 漆巴守は何か根拠があって言ったわけではないだろうが、俺にもまた、大丈夫だという確信があった。

 人間は欲深い生き物だ。その欲は尽きることはないし、とどまることもない。

 大金を手にした人間は、次に権力を求めるようになる。権力を手にした人間は、愛に飢える。一つの欲が満たされると、またすぐに次の欲が生まれるのだ。

 俺もまたそうだ。昔どこかの小説で見たような足るを知る心など俺にはない。今、彩乃が焼いたパンケーキを口にしようとしている。ある意味、一つの願いが叶った。が、新しく生まれた希望、願望が俺の心を支配した。

 かわいいジト目の女の子が焼いたパンケーキなんて、何回でも食べたくなるに決まっているだろ!!

 一回食べたくらいで、死んでたまるか!!!

「会長さん、小皿に乗ったその緑色の粉をパンケーキにかけてください~。彩乃ちゃんのとっておきですよ~」

 漆巴守が言うか言い終わらなかいのうちに、俺は小皿を手に取り謎の粉末をパンケーキの上に振りかける。その内のいくらかは蜂蜜にからんでキラキラと光る。まるで、七月の空を流れる天の川のようだ。

 もうなにも躊躇うことはない。手元に置かれたナイフとフォークで大きなパンケーキを三段まとめて頬張る。

 その時一瞬


 他に何も感じなくなってしまうような強烈な香りが鼻孔を焦がし



 美味いのか不味いのかもわからなくなるような甘さが口の中を埋め尽くし




 火傷するほど暑い何かが体の中に広がり





 まぶたの裏に七月の夜空が映し出され






 俺の意識は、そこで途絶えた。


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