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五月十四日 その3


 ぴんぽーん。

 漆巴守がインターホンを押す。が、誰も出ない。

「へんじがない、ただのしかばねのようだ」

「死んではいないと思いますよ~」

 とあるマンションの最上階、俺と漆巴守は人の気配のない部屋の前で立ち尽くしていた。

 尾道は、「近くのパーキングを探してそこに車を置いて待っております」と言うと、俺と漆巴守を乗せていた時よりもスピードを出してどこかへ走り去ってしまった。かなり大きな車だったが、普通のコインパーキングに駐められるものなのだろうか。もし駐められたとしても、隣のスペースに駐車している人がいたとすれば、戻ってきた時震え上がるだろう。

「なあ、本当にここで合ってるのか? 表札もかかっていないし鍵穴も錆び付いているし、とても人が住んでるとは考えにくい風体なんだが」

「はい、確かにそうなんですけど、スターライトマンション五階の五○七号室……あっすみません、隣の部屋でした~」

「おいこらちょっと待て」

「てへぺろ~」

「可愛くないとは言わんができればそれは彩乃にやって欲しいな」

 数歩歩いて一つ奥の部屋の前に移動する。表札にはちゃんと『天之川』と書かれてある。

「今度こそここで間違いなさそうですね~」

「みたいだな」

 ぴんぽーん。

 漆巴守がインターホンを鳴らす。

「だが、やはり返事はない。また部屋を間違えたのではないかとブレザーのポケットからメモを取り出して再度部屋番号を確認する漆巴守。が、『天之川』という表札がかかっている以上、場所はここで間違いないだろう。よくある名前ではないので、同姓の人間が住んでいるとも考えにくい。」

「人が思っていることを勝手に復唱しないでもらえますか~?」

「そう言いながら珍しく怒ったような素振りを見せる漆巴守。だが、彩乃自身の意志で内側から鍵を開けてもらわない限り、こちら側からではどうしようもない。」

「……いや、そんなこともないですよ~」

「相当俺に腹が立ったのか、精一杯の強がりを見せる漆巴守。が、そんな方法があるわけはない。彼女のか細い手で無理矢理扉をこじ開けるのは無理があるだろうし、ましてや合鍵を持っているなんてことは……ちょっと待った漆巴守、それはなんだ」

「このマンションのマスターキーですけど何か~?」

「お前それどこで手に入れたんだ」

「それは言えませんね~」

 ふふふ、と笑いながらマスターキーをドアノブの上の鍵穴に挿し、それを回す。

 ……どうららこの学校の生徒会には、怪しい情報網を持っているやつが二人もいるらしい。つまり俺以外だ。こわい。

 がちゃり、と音がして鍵が開く。漆巴守は特に躊躇う様子も見せず、家主を守る役目を放棄した扉を開く。

「おじゃましますね~」

「おいお前、もうちょっとなんかないのか。こう、遠慮とか……」

「そうですよ、私の心の友である卯美々ちゃんならともかく、あなたは遠慮が足りないんじゃないですか? 今から帰るというのも遅くはないですよ?」

 その時、突然背後から声がする。この聞き覚えのある、それだけで人を見下すような声を俺は聞き間違えるはずもない。振り返ると、大きな買い物袋を下げた彩乃が立っていた。制服ではない彩乃を見るのはこれが初めてかもしれない。青色単色で厚めのシャツの上からフードつきのパーカーを羽織っている。袋の持ち手の上から長ネギの頭がはみ出ている。夕飯の買い出しだろうか。

「あ、彩乃ちゃんじゃないですか~。鍵は管理人さんにすこし眠ってもらって借りてきました~」

 セキュリティは大丈夫なのだろうか、このマンション。

「そう……それで、あなたはどうして私の家に当たり前のように入ってるんですか?」

「それは漆巴守が鍵を開けたあとに続いてだな」

「はあ? そんなことが許されると思ってるんですか? 不法侵入しておいて恥ずかしげもなく家主に言い訳なんて、とんだクレイジーですね。出るとこ出ましょうか?」

 いつものように彩乃は俺を睨みつける。かわいい。

「まあまあいいじゃないですか彩乃ちゃん。今日は私と会長さんで重要な会議をするためにここに来たんです~。副会長さんにも来てもらおうと思っていたんですけど、いつの間にか帰っちゃってました~~……あれ?」

 彩乃が忽然と姿を消した。

 という訳ではなく、持っていた荷物を置いて近くの階段を駆け下りていた。

「もう~、彩乃ちゃんったら恥ずかしがり屋ですね~」

「多分そういうことではないと思うぞ。あとそれから悠長なこと言ってないで追いかけるぞ」

「あれ~、会長さん、そんなに彩乃ちゃんのパンケーキが食べたいんですか~? 食いしん坊さんですね~」

「そういうことではない、ただ俺はジト目」

「あ、戻ってきたみたいですよ~」

 俺が言おうとしたのを遮って漆巴守がエレベーターの方を指さす。チン、と年季の入った音が鳴って扉が開くと、中から尾道に連れられて彩乃が出てきた。後ろ手を縛られている。ちょっとエロい。

「何するんですかっ、離してください」

「まあまあ彩乃ちゃん、落ち着いて~」

「卯美々ちゃん、どういうことなの!」

「大人しくしないと~……会長さんにあの日記を見せますよ」

 漆巴守が意味深にそう言った途端、彩乃はピタリと抵抗の手を緩める。

「……分かりました、そういうことなら入って下さい。副会長がいないだけでも良しとしましょう」

「さすが彩乃ちゃん、話が分かりますね~」

 漆巴守がそう言った途端、尾道は彩乃を掴んでいた手を離す。

 漆巴守は俺の方を見てアイコンタクトを送る。入ってよし、ということだろうか。

「それじゃあ、おじゃましますね~」

 そう言って家主より先に玄関で靴を脱ぎ出す漆巴守。お前こそ少し遠慮したらどうなんだ、と俺は声をかけようとするが、それより先に漆巴守がもう一言、続ける。

「それから、会長さんにも例のパンケーキを食べてもらおうと思って~」

「パンケーキ」

 平静を装ってはいるが、彩乃の表情が一瞬強張るのを俺は見逃さなかった。

「正気?」

「はい、勿論~」

「だってみんな言うじゃない。私の料理を食べたら、」

「会長さんはもう当事者ですよ~? 今の彩乃ちゃんを理解してもらうには、彩乃ちゃんの料理を食べてもらうのが一番いいと思うんです~」

「会長こそいいんですか? もう知っているんでしょう、私の――」

「勿論」

 彩乃の言葉を遮り、なるべく明るい声で俺は言う。

「お前みたいなかわいいジト目の女の子の焼いたパンケーキを食べれるなんて、それだけでもう死んでもいいくらいの気分だ」

「……相変わらず、会長は馬鹿なんですね」

 はあ、とわざとらしくため息をつく彩乃。

「さあ、そうと決まれば早速準備に取り掛かりましょう~。私も手伝いますよ~。材料はありますか~?」

「多分……」

 まだ少し釈然としない様子の彩乃、その背中を押す漆巴守。

「きっと大丈夫だ」

 二人の後ろ姿を見ながら、彼女らに聞こえないくらいの小さな声で俺は呟く。

「たとえそれが死ぬほど不味くても、死ぬほど美味くても、な」



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