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異物を飲み込むことができるか、それは読者のキャパシティにかかっている。

「は?何の話?」


 悠里君がお好み焼きをぱくぱくと口に運ぶ様を観察するために、自分は彼の話をまったく聞いていなかった。何を言いたいのか、その脈絡が掴めなかった。え、ジャンル分け?


「いや、だから小説ですよ。小説の、ジャンル分け!」


 あんまり酒に強くない彼は中ジョッキの半分ですでに頬を赤くして、そしてびしっとそう言ったのだった。


「小説のジャンル?」


「そうです。だいたい、多すぎるんですよね。ジャンルの中の決まり事とか読む側の期待をまぁったく考えない、ク〇作者が!」


 話を聞くと、どうやら小説において、書く側は自分の作品のジャンル、その枠組み、鑑賞者が何を期待しているのか、そういったエトセトラをしっかり把握するべきだと、そう言いたいらしい。それをわきまえない作者は読者に見向きもされないか、最悪の場合は読者を失望させるク〇以外の何者でもないのだという。


「ジャンル分けね……」


 悠里君の感情の籠もった熱弁を聞いて、自分の小説そして寄せられた感想のことが脳裏に浮かんだ。





『いやこれ百合じゃないですよ。最後は男とくっついてるじゃないですか。あらすじにちゃんと明記してください』





 自分は別に百合ファンでもないし、沢山の読者を獲得したいわけでもない。自分の楽しみ、もとい現実逃避のために書いていて、もしも一人でも楽しんでくれる人がいれば、もう満足だ。


 見ず知らずの読者のありがたい助言など鬱陶しいと感想を読んだ時は思ったのだけれど。悠里君の熱弁は、自分の心に刺さるものがあるのもまた事実だった。


 あの感想を書いた画面の先の誰かさんも、今自分の前に座っている後輩君のように、血の通った生の感情をキーボードに叩き込んでいたのだろうか。そんなに真面目に読んでくれていたのだろうか。


 そう思うと、すこーしだけ、申し訳ない気持ちになった。すこーしだけ。


「そうです、ジャンル分け!読者感情?のようなもの?を気にしない作者って、本当に無責任ですね」


 気さくで朗らかが売りの悠里君がこんなにも熱くなるなんて、余程のことがあったのだろう。珍しく、早いペースでビールのジョッキを空けた。あ、店員さん、ビール二人分お願いします。


 なるほど。言われてみれば、作者は自分が書く物語への責任を多少は負っているのかもしれない。しかしそれでも自分は、はいそうですかとそのまま受け入れることもできなかった。


 個人的には、ハイもサブも関係なく、カルチャーと名のつく物には「驚き」が大事な要素と思っている。作品とは読者にとっては予想を裏切る異物で、その異物を飲み込み、消化し、時には昇華できるかどうか、それは読者のキャパシティーにかかっていると、寛大さにかかっていると、自分はそう思う。たとえそれが芸術とは呼べない趣味の産物であっても。


 それで咄嗟にこんな例え話をひらめいた。自分は悠里君の目の前のお好み焼きを指さした。


「例えばそのえび豚玉。店員の間違いで、肉もえびも抜かれた、キャベツしか入ってないベジタリアン向けが運ばれてきたとする」

「はい」

「店員に一言、言いたくなるだろ?」

「はい、僕なら言いますね。先輩なら気にせず食べそうですが」


 注文間違ってましたかと、ビールを運んできてくれた店員さんが言う。いえいえ、唯の酒飲みのたとえ話です。まあ確かに自分なら注文が間違ってても気にせず食べるけど、僕らはいちゃもんなんてつけませんよ。それとビール、ありがとうございます。それはそれとして。


「自分だって、それでも店員に一言、言うことくらいはできる。で、なんで一言言いたくなるか、言うことができるのか?」

「それはもちろん、自分が注文したものと運ばれてきたものが違っているからでしょう」

「そこだよ。悠里君」


 自分が何を言いたいのか、悠里君もなんとなく察したようだ。


「……つまりだ。お好み焼きと違って、小説は読者が注文して書かせるものではないのだ」


 自分のその言葉に、悠里君は少しだけ顔をしかめた。


「では作者はなんでも自由に書くし、読者は気に入った話なら文句を言わず我慢して読めと?そういうことですか、先輩」

「なんでも自由ってわけじゃないけど、まあ、基本そういうこと」


 ふうん、と、少しの間考え込んで、悠里君は首を横に振ったのだった。


「いやいやいや。それとこれとは、別問題です、別問題。半年、結末を知りたくて追い続けた小説と、その場で注文したお好み焼きでは嘆きの質も量も違います。これは客の権利の問題でなくて、読者の感情の話なんです!書く側だって大事でしょう、読者の感情が!」


 どうやらこの後輩君、半年もの間追っかけた小説の結末がどうしても受け入れられないらしい。それが苛立ちの原因らしい。なんだかどこかで聞いた話だと、そう思った。


「権利と感情ね……まー確かに、イライラの質は違うかもしれないか……」

「でしょう?」

「でもイライラの量の方は……」


 心理学の講義で習ったことの受け売りを、自分はちょっと偉そうに宣った。


「なんでもいいけど、一つの事柄についての知識があって、愛が深くて、それに信念や願望の大きな人ほど、期待を裏切られた時の『イライラ』は大きくなるそうだね」


『信念や願望の大きさ』と言ったところで、悠里君の肩がぴくっと動いた。


「で、読んだ小説の展開がク◯だったと?どんな小説?」


「い、いえ、なんでもないです」


 そうして悠里君はなぜか慌てて話を逸らして、苛立ちの原因を直接語ろうとはしなかった。その後はアボカドと納豆のコンビネーションは最高だの、Xiao Zhanとかいう中国の俳優がイケメンだの、最近は八十年代シティポップが逆にアツいだの、海外旅行に行きたいだの、そんな普通の話をして、お好み焼き屋に五時間居座った。ごめんなさい、店員さん。


「こっちだって親切心から教えてあげてるのに……面白い話だったのに……」


 酔いつぶれてまともに歩けない悠里君を、今晩は自宅に泊まらせることにした。帰りのタクシーの中で彼はそう呟いたのだった。ところでタクシー代は割り勘である。

次回タイトル「こいつ悠里君じゃないか?」


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