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日本国破産?そして再生へ  作者: 黄昏人
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斎田稔という男

読んで頂いてありがとうございます。

 稔は、林を含めた会社の者と宿舎に一旦入り、すでに部屋の前に届けられていた荷を簡単にほどいて、シャワーを浴びてとりあえず食堂に集まった。そこで、渡されたカードでそれぞれ好みの夕食を選び、ビールや焼酎、ウイスキーなどそれぞれ好みの酒もとって晩酌と夕食にかかる。食事を始めたのは現地時間の午後6時で、日本時間はすでに日をまたいだ午前1時である。


 このように時差のある地に来た場合、アルコールを摂って早めに寝て出来るだけ睡眠をとった方が良い。どうせ、翌朝は現地時間の夜中に目が覚めるのだ。5時間の時差に慣れるのは、1週間以上はかかるので、最初は早めに食事をして早めに寝て徐々に寝る時間を遅らせていくのが普通である。


 流石に、眠さに話も弾まないので、皆そそくさと自分の部屋に帰ってアルコールの力も借りて眠りにつく。稔の部屋は、チームリーダーということでベッド2つと机一つが置ける程度の部屋であるが、一応個室である。チームメンバーは当面2人部屋だが、数カ月後住宅状況が改善されたら、ベッドを一つ運び出して個室になることになっている。


 稔は、眠さをこらえて歯を磨きベッドに入るとあっと言う間に寝てしまったが、翌朝ぼんやり目を覚ますとまだ午前3時である。日本では、普段は午前6時に起きる稔が、時差5時間の地に来て、日本時間の午前8時に目を覚ますのはむしろ遅いくらいの時間である。


 こうなると、もう寝ることはできないし、昨夜は午後8時に寝たので7時間を眠ったので十分睡眠時間は足りている。彼はベッドに横たわったまま、ぼんやりここに来た経緯を考える。


 彼は、工業系の大学の大学院修士を出て、食い外れがないということでインフラガスを供給する会社に入ったのだ。中学からサッカーをやって来たスポーツマンではあったが、高校では精々予選の2から3回戦で敗退する程度のクラブに入ってバックを勤めていた。

 サッカーは大学でも続けたが、国立の工業大学が強い訳はなく、同好会のような感じで楽しんで終わった学生時代のサッカー生活であった。


 成績について、小学校ではちょうど真ん中程度、中学では最初は平凡であったが何とか3年の時に頑張って進学校に入り、高校でもやはり少し頑張って何とか地方国立大学に潜り込んだという程度であった。しかし、大学に入っては怠ける仲間が多い中で結構真面目に頑張ったと思っている。


 彼の父はエンジニアで、いくつかの会社を変わって、今も地方の小さな会社で非常勤の仕事をしている。父に言わせると資格貸しみたいなものだとか。父は少し前までは海外の調査や設計の仕事をしていて、途上国にしょっちゅう行っており、ジンバブエも行って仕事をした国の一つであるという。


 父の話では、世界中どこに行ってもそれほど違いがあるわけではなく、途上国でも優秀な人はいるし、そうでない人もいる。その意味では日本と日本人がとりわけ優れているとは言えない。しかし、実感するのが日本は本当に便利で、社会に信頼できる部分が多いということだ。


「海外に仕事で行った場合の利点は、日本には自分程度のものはいくらでもいて、存在感は余りないが、海外だと、専門職は少ないのでより大きい部分を任せられるので、仕事によりやりがいがあるとは言えるかな。

それに、個人的には英語で専門を持って仕事ができれば、元気でさえいれば、多分75歳程度まで収入が下がらずに現役でいけるということだ」稔は父がそう言って笑ったのを覚えている。


 稔が覚えている限りでは、父も専業主婦の母もあまり勉強しろとは言わなかったと思う。だけど父は、彼が幼いころは資格試験のために家でよく勉強をしていたし、40歳台の後半に海外の仕事を始めたころは熱心に英語の勉強をしていた。

 それを見て育つと、やはり勉強はして当然と思うようになったようだ。だから、彼も今も何かと資格試験を受けてその勉強はしている。


 彼の妻の涼子とは、大学の時に高校時代の友人の今田の紹介で知りあった。稔は小学校から大学まで友人は数多く、彼らには今でもちょくちょく会っている。涼子は、後に今田と結婚した女性の親友であったが、稔は一目で気に入って長い婚約時代を経て結婚したものだ。


 なかなか子供はできなかったので、妻とは長く恋人どうしのような関係を楽しんでいたが、長男の翔、長女のゆかりと今は男女2人の子供に恵まれてこれはこれでもっと幸せだ。その意味では、この地で妻と子供たちと1年間離れて暮らすのは聊か苦痛ではある。


 会社の経費で、中間で一度は1週間帰れるのでそれで我慢するしかない。子供たちのことを思い浮かべると、息子の翔の笑顔、泣き顔、膝に抱いたその重さと柔らかさを思う。娘ゆかりも同じように笑顔と泣き顔と抱きあげたその重みを思う。『半年会えないのは辛いな』もちろん妻の顔も思い浮かべて思う稔だった。


 稔は入社以来、セールスエンジニアと言う立場であった。入社後の最初は個人の顧客の技術的なトラブル処理と新製品の売り込みなどをして、ベテランに迫るほどの成績を上げて注目されたものだ。

 彼は子供のころから、友人が多いことに現れているように人付き合いがよく、人に対して物おじしないことからも、付き合った人には好意を持たれる方であった。とりわけ年配の人からはその点は顕著であり、営業で好成績を挙げたのはその点を生かしたものでもあった。


 その後は、法人関係の同じよう立場についたが、今度は企画・提案が大きな比重を占めることになり、その中で専門知識と技能を磨いてきたのだ。この点では、持ち前の大事なところで努力するというその彼の長所が大いに発揮されて、売り上げでも貢献して、技術者としても周囲に認められるようになった。


 このような活動が、今回のプロジェクトへの抜擢に繋がったと言えよう。会社としては、国内の地方都市を中心としての活動では今後の伸びは期待できないところに来ており、新規に開発されるジェフティアという地を足場に、今後間違いなく伸びるアフリカへの事業に打って出ようということである。


 その意味では、会社としては今回のプロジェクトは工事金額の大きさもさることながら、その拠点の足場作りという点で稔が大いに働けるという期待の元に送りだしたものである。稔もその点は上層部から伝えられており、赴任が長くなる可能性が高いことも承知している。

 稔は、この話を父にした時の彼の言葉を思い出す。


「ほお、なるほど。いやジェフティアの話は俺も注目していたんだ。実際に俺も中近東で仲が良くなったエンジニアから、『隣に日本があれば、あるいは日本人が100万人いれば』という話を聞いたからね。それが、モザンビークの政治家がそういうことを言って実現するとはね。

 俺は日本人にとって、長い目で見てジェフティアの計画はいい事だと思うよ。実際に、日本人はフロンティアの開発ということはやったことはないわけだ。まあ明治維新のころの北海道はそうだったかも知れないが。日本の40%もの面積の原生林を切り開いて、農場と街というより新しい国を作りそこの資源を開発する。この経験は、代えがたいものがあると思う。

 それに、それは現地側の要請に沿った形というのがいいよ。客観的に見て、このプロジェクトは日本にとってのみならず、間違いなく地元の人々には大きなメリットがあるし、アフリカ全体にも大きなプラスの影響があるだろうな。稔、これはお前にとっても人生におけるキャリアに是非加えたい経験だと思うよ。

 現地の気候は、確かに年中暑いということになるけど、今は手軽に使えるエアコンがあるからね。また、少し前なら病気の面で賛成しかねる面があったけれど、今は熱帯の低地特有の病気はほとんど完全に根絶されたから、子供たちを連れて行っても安心だ」


 そんなことを考えているうちに、ようやく6時になったのを確かめて起き上がり、改めてシャワーを浴びる。それから、食堂棟に行って朝食を摂りチームメンバーと軽く打ち合わせの後に、稔はチームの林を含めた皆と現場見学に出発だ。


 ちなみに、基地の用水は上流の沢の水を取水して、パッケージの浄水施設を作って薬品沈殿、膜ろ過の上で塩素滅菌をして供給しているので、上水道として基地で使う量は十分供給されている。

 なお、この上水道は使うと汚れて下水になるが、基地専用の小規模下水処理施設が設置されて水の汚れはその施設で浄化されて放流されている。


 むろん、基地で発生するごみは、生ごみ、プラスチック、紙類などに分別されてそれぞれに処分されており、このような環境に係わる点は仮設の基地と言えどもここは日本と変わらない処理がなされている。


 稔たちのチームは、その日は周辺の主要施設の予定地の視察である。これらには、直接業務に関係ないものも多いが、ジェフティアにとっては重要な施設のロケーションを把握することは必要として見学地に含めたものだ。これらの標準的な視察地には、すでに暫定2車線の舗装道路が完成しているので、ミニバスによる移動である。


 指定された駐車場に行くと、若い黒人の運転手が運転席に乗っているミニバスと、乗車口にやはり若い黒人の女性が控えており、稔たち一行を見ると女性が「Are you ASAHI COMPANY’s?」と呼びかける。稔がそれに応え、バスに乗り込む。基地には日本人を案内につけるほどその人員に余裕はないのだ。


「皆さん、おはようございます。今日は私、ジンバブエ人でミランダ・カンジャリが案内させて頂きます。私のことはミランダと及び下さい。こちらの運転手はジム・カザラン、モザンビーク人です。今日の視察は、まず供用しながら建設が続いているSAINICTI港に行きます。距離は大体15kmですから、20分ほどで着きます。皆さんの会社のガスの貯留基地は港にできると聞いていますが、その配置は御存じですね?」


 バスの座席に落ち着くと、入口に立ったミランダが英語で話し始める。プロジェクトに雇われるジンバブエ人が多いのは、ジンバブエには旧公用語の英語をしゃべるものが多く、ポルトガルの植民地であったモザンビークには少ないことも大きな理由である。


「ああ、ここにマップが入っている」稔がタブレットを示して応じる。


「はい、結構です。次に皆さんが昨日着いた空港のそばを通って、SAINICHI市の中央部になるジェフティアの政庁舎建設地を含む中心街予定地を一通り回ります。市域の配置図はお持ちだと思いますので、皆さんの見たい位置の図をジムに示してください。

 その後、再度この基地に帰って昼食の後に、このジェフティアのもっとも重要な施設である用水路のルートを通って取水堰までいきます。距離は250kmありますので、往復に午後一杯かかります。暫定道路は完成していますので、片道2時間という所になります。

 途中で5つ農業基地になる町の予定地を通りますが、止まらず車中から建設中の様子を眺めることになります。食事を早めにして0時半に出発して6時に帰ってくる予定ですが、よろしいですか?」

 ミランダの説明に皆が頷く。


「このプロジェクトの我が社負担分は半分だったよな?」車中で稔は林に聞く。


「ああ、知っての通りジェフティアとわが社は、半分ずつ株を持って㈱SAINICHI Gas Distributorを設立した。運用は実質わが社が担うがな。安田建設はパイプの敷設、設備の設置を請け負う部分の請負側で、うちは顧客の側になる。もっとも、このジェフティアのプロジェクトは従来の日本の常識とは違うけれどね。

 だから、お前たちの役割りは供給側の専門的な立場からその詳細設計を指導して、自分たちがガスをユーザーに供給するのに困らないように適切に設備を完成することだ。それに、ガスタンクや供給装置、ガス管などの工費の60%を占める購入設備の発注は直にやるからな。責任は重いぞ」


 そう、林が言うように、現状のところでは設計についても基本設計の段階で施工が出来るものではない。この点は、国内の担当部署、協力会社と安田建設の現場設計部隊に、稔たちが現場にいて指導しながら進めることになっている。しかし、国内で決められる設備に関してはすでに仕様書を書き上げて、半分以上は発注をかけている。


 この点では、現在においてはインターネットのお陰で、地球上のどこにいても図面、書類、写真その他の情報のやり取りができるので、お互いの仕事をする場所がどこでも殆ど困らない。


「ああ、しかしその点は社内の設計部が入っているからな。まあ、俺たちの技術的な役割りは現場条件の設計への取り込みだよな。その点ではそれほど問題はないけど、それより、会社の将来はアフリカにかかっていると言われて送り出されても困っちゃうよな」稔がこぼすのに林が言う。


「いや、冗談抜きでそういう面はあるぞ。まずこのモザンビークが天然ガスの宝庫だ。新しいガス田層がどんどん見つかっていて、M商事からうちに噛まないかとの話がきていて新しい契約を結ぶらしい。まあ、特別に安い訳ではないが、それを近場のアフリカに使って、それもガス管で供給できるなら、すごく安く供給できる。

 それに、エネルギー収支と環境面ではガスは有利だけど、アフリカではガス供給は遅れていて、温水供給にも割高になる電気を使っているところが多い。だから、それなりのパッケージで売り込めば全土を席巻できるぞ。近年では温室効果ガスのことがことさらに強調されているけど、天然ガスが化石燃料では最もクリーンだからな。

 そのあたりがトップの方でもコンセンサスになってきて、実のところ俺もこっちに来てアフリカ事務所を作るという話があるんだ。お前は技術屋の割には、売るのがうまかったよな。入社の頃俺たちよりお前の方が成績を挙げていたし。

 だから現地にいる強みを生かして、あちこちに顔を出して周辺国の人脈を掴んで基礎を作れよ。これは、ある意味凄いチャンスだぜ」


「あ、ああ。まあそういう面はあるかな。とは言え、それは俺の与えられた仕事である、今回の計画範囲である設備を今後の運用に支障がないように作るというのが第一ではあるけどな。その上で機会があればということだ」稔は真面目に応じる。


 バスがインド洋に面した西日港に着いた。もっとも、厳密にはインド洋とはマダガスカル島に遮られている。そこにはすでに出来上がった3連のふ頭に、巨大な7隻の船が横づけして、ガントリークレーンがコンテナや大型鋼材の荷下ろしをしている。

 また、そこには20台余りのトレーラが列を作って待ち構えており、すでに出発するもの、さらに新たに着いて列の最後部につくものがいる。


 その港には、10㎞ほど沖に岬が大きく突き出して、建設中の港湾部を覆うようにしており天然の良港をなしている。その岬の突端部には、灯台が見えそのそばを通って大型船が入ろうとしている。またその手前には、3隻の船が停泊しているが、あれは荷待ちしているのだろう。


「この港は、あそこに見える岬のお陰でふ頭部を守る防波堤をつくる必要がなく、天然の港の形状をなしています。しかも、正面も港湾部の水深は50m以上もあって、大型船の入港にも支障がない深さです。それでも、現在のふ頭の位置では水深が足りずに浚渫によって水深を下げています。今の大型のふ頭は3本ですが、最終的には10本になる予定であり、あそこに見えるように3本が並行して工事中です」


 ミランダが説明するが、なるほど稔たちが見ているタブレットには、将来を含めて10本のふ頭の図が描かれている。その内の稼働している3本に加えて、3つの建設中のふ頭に海側には作業船は群がり、陸側にはダンプとクレーン車が多数動いている。


 稔たちの関心のあるガスタンクの位置は、湾に向かって左の奥に小型のふ頭ができその陸地側である。ガスの輸送については、当面は気体の状態で加圧して船でモザンビークのイニャンバネ州から運ぶ。これは極めて運送距離が短いのと、あくまで船による輸送は仮であることから、複雑な液化とその運送システムを建設しないことにしたものだ。最終的には、ガスはガス田から直接圧送することになる。


 この港からは、ジェフティアで生産される予定の莫大な量の穀物を中心とした農産物と、水産物が搬出されるので、ここは極めて重要な施設である。このように、ジェフティアから日本への便は運ぶものが決まっているが、片道を空船で来ることは考えられない。今後、様々な検討のもとに、穀物などに見合う莫大な量の何かがアフリカに向けて運ばれることになるだろう。 

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