ライバル
部屋に戻り、勤務までの僅かな時間、少しでも不安を消すため、研修内容を記した書類を読んだ。だが全く頭に入らない! というか、全然落ち着かない!
遅刻出来ないため時間は気になるし、忘れ物は無いか不安だし、アニさんに怒られないか怖いし……もう早く朝礼をして欲しい!
そんなオロオロしたまま時間を潰していたが、遂に我慢できず一階に降り、意味も無くトイレに行ったり、洗面所で身だしなみを整えたりしながら時間を潰した。
しかしそんな事をしながら時間を潰すも、就業時間のかなり前にはもうやる事も無くなり、悟りを開いたようにオフィス前の廊下から、出勤時間の都会の喧騒を眺めていた。
「リ、リーパーさん、ですよね?」
「うん?」
「お早う御座います!」
振り返ると、アリアがいた。
「おはよう。早いね?」
「リーパーさんこそ。やっぱり緊張しますよね?」
「そりゃそうだよ」
「ですよね! 私も落ち着かなくって。でも、お互い頑張りましょう!」
「うん」
両手を握り、うんと気合を入れて話すアリアは、幼く見えた。それでも、強い意志を宿したアリアの瞳を見て、少し不安が解消された。年上の俺が負けていられない!
「そういえば、研修生は三人いるってアニーさんが言ってましたけど、リーパーさんはもう会いましたか?」
そう言われれば、昨日アニさんが自己紹介したとき、他二名と言っていた気がする。俺なんて大量の書類を読まなければいけないとばかり思っていたから、全く気にも留めていなかった。アリアって仕事が出来る子なのかもしれない。
「いや、まだ会ってないけど……でも多分、三人の中じゃ俺が一番年配だと思うよ?」
「そうなんですか? リーパーさんって何歳なんですか?」
「今年で二十七」
「ええ! そうなんですか!? 私てっきり二十歳くらいだと思ってました!」
俺は実年齢より年下に見られる事が多い。女性ならそれは喜ばしいことだと思うが、俺の場合、それは全然嬉しくない。何故なら、ベテランと言われる年代に舐められるからだ。それが実力のある先輩ならまだしも、俺を舐めて掛かる奴は、大概はたいした腕も経験も無いベテランと相場が決まっている。
そのうえ、いくら実力差を見せつけても、それを理解出来ない可哀想な連中ばかりときている。
「そ、そう……? ありがとう」
しかし逆に年下には懐かれやすい。俺としては年だけ重ねたパイセンに、世の中の厳しさを教えたいのだが、慕ってくれる後輩の風よけになれるならと諦めていた。
「アリアちゃんは何歳なの?」
「私ですか? ……何歳に見えます?」
それなりに歳を重ねた女性なら、歳を聞かれれば嫌な顔を見せるだろう。しかしもったいぶるような素振りから、間違いなくマリアくらいだと分かった。それでも、ここはそれに付き合うのが礼儀だろう。
「そうだな……二十……十八くらい?」
「ブッブ~。違います」
こういう世代は、逆に少し年上に答えてあげると喜ぶ。これは店番の仕事をしていた時身に付けた、接客の技術だ。
「じゃあ……十九?」
「ブ~。残念です」
「そうなの? じゃあ何歳なの? まさか俺より年上じゃないよね?」
ここで実年齢近くに下げてもいいが、最初に指定した年齢付近を探るように問い、そこから驚いたように年齢を上げる。これにより、相手に自分が本当にその年齢だと勘違いしているように思わせる。
相手の表情や声色から気分を推測し、疑念を抱かせないようにする緻密な作業だが、ハマると効果絶大。しかし、外せば壁を作られる危険な技だ。だがしかし、都会のセレブおばちゃんを相手に鍛えたこの技術は、俺のスキルの中でも特に自信がある。
「そんなわけないですよ~。私~、十六ですよ~」
もらった! さすが命懸けで習得した技術。我が力に狂い無し!
「十六!? 本当に!? 俺なんて十六の時、研修行けって言われたら、絶対辞めてたよ。凄いね」
一瞬目を見開くように驚いた表情を作り、最後に自分を例に挙げ、より相手を持ち上げる。これで相手から完全に疑念を振り払う。完璧!
まぁ、客でもないアリアにこんな事をしても意味は無いが、少しでもお互いの不安を振り払う事が出来れば、上出来だろう。
「そんなことないですよ~。私の友達なんて、お城でメイドしている人もいるんですよ~。十六歳なんて、もう大人ですよ~」
「そんなことないよ。アリアちゃんはしっかりしてるよ」
「もう~リーパーさんったら、今どきの女の子は成長が早いんですよ~」
「そうなの?」
「そうですよ~」
チョロいな。でも、アリアも大分緊張がほぐれたようで良かった。
そんな他愛のない話で盛り上がっていると、誰かが歩いてくる足音が聞こえ、先輩が来た! と二人の間に緊張が走った。
新人の、それも研修生の俺達は雑談をやめ、まるで兵士のように背筋を伸ばし挨拶に備えた。
ところが、廊下の角から姿を現したのは、まさかの知り合いだった。それは、ハンター時代、それもまだDランクになったばかりの頃、アホみたくライバル宣言してきたキリアという人物だった。
キリア・ラインハルト。男。年齢は俺と同じで、黒薬師の資格を持ち、毒を用いてハントを得意とする人間で、最後に会ったときは同じAランクハンターだった。
両親はAランクの冒険者で、アルカナでは貴族の家系にあたる。兄と妹がいるらしく、二人とも貴族らしく成功を収めているらしい。しかしキリアだけは俗にいう落ちこぼれのようで、反発するようにモンスターハンターになったらしい。
御家が御家だけに、剣術や魔法の“お稽古”という英才教育を受けて来たため、ハンターとしてはかなり万能な優等生だった。
しかし貴族だけあって、人を見下すような態度と、堅苦しさの中に棘のある言葉遣い、小説の勇者様気取りのような性格、モデル体型、イケメンと言われる顔、サラサラした茶髪、キザな名前、甘い匂い、目、鼻、口、仕草、吐く息、声、全てが嫌いだった。
「お早う御座います!」
「おはっ! ……」
キリアもこちらに気付き、アリアが頭を下げて挨拶するのに合わせてお辞儀しようとした瞬間、ピタッと止まり、間抜けな顔で俺の顔を見ていた。ちょーウケるんですけど!
だが、突然真顔になると、「お早う御座います」と普通に挨拶してきた。マジでビックリする!
「私はアルカナから来ました、キリア・ラインハルトというものです。お二方は私と同じ研修生とお見受けします。どうぞよろしくお願いします」
えええ‼ どういう事!? もしかして他人の空似!? 世の中には自分とそっくりな人物がいると聞いたことはあるけど、名前まで同じそっくりさんなの!?
「私は、アリア・ラミラと申します。こちらこそよろしくお願いします」
アリアはキリアに丁寧に自己紹介した。が、俺はどうすればいいの? こいつ本当に別人なの? それとも舐めてるの?
とにかく別人だった場合大変失礼になると思い、負けじと自己紹介する事にした。
「私はシェオールから来ました、リーパー・アルバインと言います。短い間ですけど、よろしくお願いします」
ヒーのお辞儀を何度も見て盗んだ綺麗なお辞儀で、お客様にするつもりで頭を下げた。
すると、キリアは無言で俺を見つめたまま止まった。そしてしばらくすると、右の頬を引きつらせた。
キリアの表情を見て、こいつはやっと俺だと確信したのが分かり、人に勝手にライバル宣言しておいて、顔を忘れたキリアにイラっと来た。
「あ、あの~……」
お互いを認識して気まずい雰囲気が流れたことで、アリアは戸惑っているように声を出した。だが、今はそれどころではない!
なんなのこいつ! さも同然のように人を他人扱いして、俺の事本当に別人だと思ってたの!? あり得なくない! 貴族様って馬鹿なの!?
「おい、なんでお前がここにいるんだ……?」
やっと口を開いたと思ったら、まさかのため口! さっきの礼儀正しさのせいで、余計に気に障る。
「ギルドスタッフだからだよ」
「そんな事は聞いていない。何故お前がギルドスタッフをやっていて、俺と同じ新人研修を受けるんだと聞いているんだ」
「仕事だからだよ」
「……ぁん!」
「ぉう!」
こいつは俺が引退した事も理由も知っている。何故ならライバルだから。それに山亀事件も当然知っているはず、ライバルだから。なのに、何故それを聞く! ライバルならそれくらい調べとけや!
だが、俺はキリアが何故ここにいるのかはどうでもいい。何故なら、俺はライバルだとは思っていないから。
「あ、あの! お、お二人はお知合いなんですか?」
おっと、今の俺は新人スタッフだった。危うく気まずい研修生活を送るところだった。アリアがいて助かった。
「あぁ、うん。ちょっとね……昔の知り合いなんだ」
「そ、そうなんですか……じゃ、じゃあ、仲良く出来そうですね?」
「え? う~ん……そうだな! なぁ、そうだよな“キリア君”?」
「…………」
空気を読めよ! お腐れ貴族! もう俺達良い歳こいた親父だぞ? こんな幼い子に気を使わせるなよ! 分かるよね?
「なぁ? そうだよねキリア君?」
「……あぁ……そうだったな……」
全然納得してない! お前本当に同い年か? ガキじゃねぇんだから態度くらい正せ! っていうか、こいつホントに何しに来たの?
「こっ……、キリア君って結構人見知りするから、ちょ、ちょっと不愛想に見えるけど、慣れればすぐいつも通り仲良くなるから、き、気にしないでね? 俺見て気が緩んだみたいだから……」
「そ、そうなんですか……? わ、私は気にしないんで、大丈夫です……」
そうなるよね。だっておっさん二人が喧々してたら……そうなるよね。
「おいリーパー。誰がお前を見て気が緩んだって? 勝手にハンター引退して、山亀撃退したからって調子に乗るなよ」
「ぁん!」
「ぁん!」
「……あ、あの~……」
「あぁ大丈夫。これ、仲良い人しか使わない挨拶だから。だから……」
「ぁん!」
「ぁん!」
「…………」
絶対怖がってるよね。なんであいつはこういう気遣い出来ないのかな? ほんとに……
「仲が良い? いつから俺達は仲が良くなったんだ?」
「ぁん!」
「ぁん!」
「…………」
「いや~困っちゃうね。久しぶりに会っても毎日こうやって挨拶してたから、どうしてもこうなっちゃうんだよね。アリアちゃんも……」
「ぁあん!」
「ぉう!」
「…………」
無理じゃない? この三人で研修受けんの無理じゃない?
「ぁん!」
「ぁん!」