この時のために
見慣れた景色、見慣れた街。そして見慣れたギルド。ミズガルドのように騒がしく賑わっていないが、空はとても広い。道路には舗装などされていなく、立ち並ぶ建物もお洒落じゃない。それでも俺にとってシェオールはとても住み心地良い街だ。やっと帰って来た。
空は静かに夕方へと向け色を変え始め、空を舞うカラスも帰るよと叫ぶように飛んでいく。夏に近づき日が長くなったこともありこの時間でもまだ明るく、かなり休憩をはさんだが、思ったよりも早く戻れたことに嬉しくなり、馬車がギルドの前に停車するとすぐに降りた。
「悪い、俺は先に報告しなきゃなんないから先に入るな」
「ああ構わない。私達も荷物を降ろしたら行く」
「分かった。行こうか」
「はい~」
「ふぁ~。眠てぇ~」
クレア達は沢山のお土産があったため、キャリッジの上に乗せた荷物を降ろす準備を始めた。それに比べアドラとロンファンはそのまま寝床になるため手ぶらで降り、俺と一緒にギルドに入る事になった。
ギルドの扉は今日も開けっ放しで、中からでも完全に俺達が帰って来たことが分かるのにも関わらず、真面目なシェオールギルドスタッフは誰も出迎えに来ない。だが中に入ると、受付にいたヒーはカウンターの横に立っていた。
「ただいまヒー」
「お帰りなさいリーパ―」
優しく穏やかに微笑むヒーは、とても小さく見えた。
そこへようやく区切りでも付いたのか、リリアがやって来た。
「お帰りなさいリーパー」
「あぁ、ただいま」
相変わらず元気そうなリリアは、ヒーとは違う明るい表情を見せる。だが二人の笑みを見て、改めて帰って来たのだと実感した。
「そちらのお二人はどなたですか?」
ヒーが訊く。
「え? あぁ。この二人は今日からシェオールに引っ越してきた、俺の弟子」
「弟子!? リーパー、貴方に弟子なんていたんですか!?」
リリアビックリし過ぎ。リリアってどんだけ俺が駄目な奴に見えてんの?
「ああ。こっちがアドラで、こっちがロンファン。アドラはAランクで、ロンファンはBランクのハンターなんだぞ。凄いだろ?」
「おお! つまり二人はこれからシェオールのハンターとして活躍するという事ですか!」
「ま、まぁ、そういう事」
「おお!」
騒がしいのが好きなリリアにとっては新たな仲間が増えたのと同じようで、喜びの声を上げる。だが人見知りの激しい二人を相手に、さすがのリリアでも手を焼くだろう。
そんな事も知らないリリアは、早速二人に近づき挨拶を始めた。
「ようこそシェオールギルドへ! 私はサブマスターのリリア・ブレハートと申します。どうぞよろしくお願い致します!」
リリアならアドラがインペリアルである事くらいは知っているはずだ。にも拘らず全く臆することなく握手を求める。まぁリリアに怖いモノなんて無いだろうけど……
そんなリリアの差し出された手を、立派に成長したアドラは迷うことなく握った。
「どうも。初めまして」
おお! きちんと挨拶もでき、アドラが立派な社会人に見える!
アドラと握手を終えたリリアは、次にロンファンの元へ向かった。
「どうも初めまして、リリア・ブレハートです」
アドラ同様握手を求めてリリアは手を差し出した。だが、やはりロンファンは手強いようで俺の後ろに隠れるように後ずさりした。
「悪い。ロンファンは人見知り激しいんだ。だから勘弁してやって」
リリアに悪い印象を与えたくなく、ロンファンを庇った。しかし、リリアはロンファン以上に手強かった。
「なるほど……」
それを聞くとリリアは腕を組み、何かを考えるような素振りを見せた。そしてパッと目を開くと、突然ロンファンに向かって掌を見せた。
「おいでおいで。チッチッチッ」
リリアはまるで野良猫でも呼ぶかのような仕草を始めた。
何やってんのこの子!? めっちゃ失礼!
ギルドスタッフとしてハンター相手にする行動ではない! それなのに仕事に関しては品行方正なリリアは奇怪な行動を取る。そして、リリア以上に真面目なヒーは何も言わない! この二人、俺がいないときは意外と怠けてる?
と思っていると、それに反応するようにロンファンがリリアの指先に鼻を近づけ、においを嗅ぎ始めた。
やべぇわ。たった数日ギルドを離れただけで、世界は変わってしまったようだ。
しばらく確かめるようにリリアの指のにおいを嗅いだロンファンは、一度体を起こすと恐る恐るリリアの掌に触れた。
「よろしくお願いしますね、ロンファン」
呼び捨て!? ハンター相手には様を付けろとあれだけ俺に教えておいて、初めて会ったロンファンを呼び捨て!? リリア! どうしちまったんだよ!
「よ、よろしく……」
何!? ロンファンが挨拶した! あの聖人とまで呼ばれたアルビノのラクリマでさえ無理だった事を、容易にやり遂げやがった!
「お、お前何したんだ?」
「何とは?」
「ロンファンの事だよ! それに呼び捨てはマズいだろ!」
「分かっていませんね。言葉だけが意思の疎通ではありませんよ?」
どういう事?
「全く貴方は。本当に二人は弟子なのですか?」
まさかの説教!?
「彼女には嘘や見栄は通用しません。それは師の貴方ならよく分かっているでしょう?」
「え? ま、まぁ……」
「それに、彼女にとって一番のコミュニケーションはにおいでは無いのですか?」
こいつロンファンに獣人の血が流れている事に気付いてる!
「お前気付いてたのか?」
「当然」
胸を張りそう答えるリリアを見て、アニさんも確かに凄かったけど、うちのサブマスターが一番だと感じた。
「それより、貴方は早く書類を提出して下さい。帰るとき渡されたでしょう?」
「あぁ、今渡す」
なんだかんだ言っても真面目。こいつには感服する。
「ちょっと待って下さい。書類はマスタールームで提出して下さい。今ここで渡されて、もしぶちまけたらどうするんですか!」
「…………」
マジ疲れるわこの子。一体何がしたいの?
「ヒー。リーパーとマスタールームへ行き、ゆっくり書類を受け取って下さい。受付は私が担当します」
「分かりました」
リリアが不自然な指示を出すと、ヒーは明るい声で返事をした。
ほんと呆れるほど妹想いの優しい子だ。ゆっくりね~。
「ではリーパー、行きましょう」
「ああ」
振り返る際、僅かに見えたヒーの口元が可愛らしいアヒルになっている事に気付いた。
マスタールームへ入ると、ヒーは普段と変わらない様子で書類を受け取った。そして、手を握ってくれと言ってきた。俺は「いいよ」と言い、優しく握った。
ヒーの手はあれから毎日のように握っていた。だが、久しぶりに握ったヒーの手は、初めて握ったときのように、とても小さく柔らかく感じた。
「あ、そうだヒー」
「……なんですか?」
「ヒーがくれたペンダントなんだけど、壊れちゃった。ごめん」
石は砕けたが、それでもヒーの想いが込もったペンダントが愛おしく、フレームだけでもとぶら下げていた。
「いえ。これが砕けたという事は、しっかりリーパーを守ってくれたという事ですから、それだけで十分です」
すっかり軽くなってしまったペンダントに触れ、ヒーは穏やかに言った。その表情は役目を終えたペンダントに感謝するように優しいものだった。
その表情が切なく、約束を思い出した俺は、ヒーを抱きしめた。
「ぁ……」
「悪い。約束忘れてた」
小さく零したヒーの驚きの声。顔の下にある銀髪。子供のような頭皮の匂い。そして手に伝わる感触と温もり。
職場でこのような行為は不謹慎極まりないが、生きて帰ってこられた喜びと、再びヒーの温もりを感じられる喜び。この時のために仕事をして来た! そう思える時間だった。
次話、最終話です。




