明くる日
気付くと消毒液のような臭いと、ヒソヒソと人が喋る音が聞こえ、目を開けると視界の先には建物の天井が見えた。
ここはどこだ……?
自分がベッドの上で寝ているのは分かるが、どこにいるのか分からない。体を動かし確認しようとしたが、ちょっと動かすと全身筋肉痛のような鈍い痛みに襲われた。
しかし何十キロも歩き、筋肉繊維が破断したような足が気持ち良さそうに熟睡している感覚と、耳を後ろから支えるほど深く沈んだ枕が最高の心地良さを与えていて、気持ちが良かった。
はっ! これはデジャヴ!? 少し違うが山亀戦の後とほぼ同じだ!
「あっ! 師匠~! おはようございます~」
「ん? ああ師匠! やっと起きたのか!」
さすがにいたのはマイでは無かったが、起き上がるとまた病院のベッドの上にいる事に気付き、うんざりした。
「おはよう。今、痛っ!」
熱でもあるかのように体が重くまだ眠い。その気怠さを少しでも取るため顔を摩ると、額に張ってあるシップに触れた瞬間痛みが走った。
額を負傷した記憶など一切なく、確かめるように何度も触っていると、アドラがその原因を教えてくれた。
「あ、それ。クレアだっけ?」
「そうです~」
「そのクレアが頭突きしたやつだよ師匠」
「頭突き?」
「そう」
いつ? 何の為に?
「なんでクレアは俺に頭突きなんてしたんだ?」
「え? あぁ。師匠がなかなか起きないから、起こそうと思ってやったらしい」
どういう事!? アイツ怪我人の俺を相手に何をしてんの!?
「ちょっと待って。意味が分かんないんだけど」
「え? 意味って?」
あ。アドラに聞いたの間違いだった。
「ロンファン。なんでクレアは俺に頭突きしたの?」
「はい~。師匠がなかなか起きないから、起こそうと思ってやったらしいです~」
「…………」
どうなのうちの弟子たちって? 普通同じこと言う?
このままでは一生理由が分からず、俺はただ単にクレアにボコられたという事実しか残らない。そんな事態に、いいタイミングでバイオレットとラクリマが病室に入って来た。
「あっ、目、覚ましたんだ? 調子はどう?」
普段着のバイオレットは果物を持ち、優しく言う。その姿に大人の女性の気品を感じた。
「はい。まだ怠いですけど、だいぶ良いです」
「そう。良かった」
そんなバイオレットと違って、黒の革ジャンにスカートというとてもアグレッシブな装いのラクリマが言う。
「まぁ仕方ないよ。化け物になったんだから」
化け物!? ラクリマって見た目の清楚さと違って意外と言うよね!? っていうか白を着ろよ! お前は堕天使か!
「あ、あの、バイオレットさん。一つ聞いても良いですか?」
「何?」
「クレアが俺に頭突きしたのって本当ですか?」
「えっ! あ~……うん」
何? なんかまずい事でもあったの?
「なんでクレアは俺に頭突きなんてしたんですか?」
「君が起きないから、起こそうと思ってしたみたい」
あれ!? こいつらって口裏合わせてんの!?
「いや、あの……どういうことですか?」
「え? いや、そのままの意味だけど?」
「…………」
駄目だこの人! バイオレットも実は馬鹿なの?
そんな混沌とした状況を、ラクリマが打破してくれる。
「それじゃ分かんないよ。リーパー君気絶してたんだから」
「ああそうだった!」
気絶!? 俺クレアのぱちき喰らって気絶したの!?
「君、私が治療している途中で眠っちゃったの覚えてる?」
「えぇ。覚えています」
「じゃあ、その後馬車が迎えに来た時の事は?」
「え~っと……クレアに起こされた記憶はあります」
「その時なのよ! 何度もクレアが君を起しても、君すぐ眠っちゃったんだよ!」
「そ、そうなんですか……」
何何? ラクリマってもしかしてそっち系の女の子なの? なんかやたらテンション上がったんですけど。
「そうなの! だからクレアが君を起こそうと思って思い切り頭突きしたの!」
思い切り!? アイツ殺し屋か!
「さすがに血が出たから皆止めに入ったんだけど……」
血が出たの!? もっと早く止めろよ! 何呑気に見てたの!?
「止めたときにはもう君の顔真っ赤になるくらい血だらけだったんだよ?」
おいマジか! どうなってんの!?
「でも仕方ないよ。君だってクレアに『ゾウさん』とか言って、おっぱい吸うような口の動きするから悪いんだよ」
ゾウさん!? おっぱいを吸う!? 俺完全に寝ぼけてるじゃん! いやそれでもあの状況なら分かるだろ!
「まぁ、そんなこんなでそうなったの?」
どんなこんな!? 俺の周りって馬鹿しか集まらないの!?
馬鹿ばっかりでうんざりしていると、そこへアニさんがやって来た。
「おや? お目覚めになられたようですね」
忙しいにも関わらず、俺を心配してお見舞いに来てくれたのだろう。
「リーパーさん、体調の方はどうですか?」
鞄だけを持ち、果物などのお土産は見受けられないが、アニさんほどの人物ならきっと見舞金という上品なお土産を用意しているのではと期待した。
「はい。かなり怠いですが、筋肉痛みたいなものなので、すぐに良くなると思います」
「そうですか。それは良かった。ところで、今お時間は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「そうですか。では」
礼儀正しく確認を取ったアニさんは、いよいよ鞄に手を掛け、“お土産”を取り出そうとする。
ミズガルドギルド本部のギルドオーダーだ、一体どれほどの額を用意しているのだろう。いや、もしかしたらギルドマスターや、他の重役たちからのも一緒に持って来ているかもしれない! なんたって半ば強引に参加させられたクエストだし、王様の勅命……あっ! もしかして王様からも褒賞出るんじゃね!?
もしかすると俺は、本日を以って一生働かなくてもいいほどの大金と名誉を手に入れるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませた。
余程大量にあるようで、アニさんはいくつかの封筒を取り出し、そのうちの一つを手渡した。
「先ずこちらがクエスト報酬の明細になります。ご確認ください」
アニさんって期待させるの上手だね~。先ずはそこからカード切って来るとは、期待が止まらないよ!
明細などは前菜に過ぎないと思いながら、軽い気持ちで渡された明細を見て、俺は本日を以ってギルドスタッフを退職する事を決意した。
明細は二枚あり、一枚にはパイライトドラゴン撃退報酬三万ゴールド。もう一枚には悪魔迎撃報酬十四万ゴールドと記載されていた。
合わせて十七万ゴールド! これだけでもしばらく遊んで暮らせる! いや、今は実家暮らしだし、王様からの報酬までいれれば一生遊んで暮らせる!
「報酬の受け取りは小切手となりますので、退院後ギルドでお渡し致します。よろしいですか?」
「ええ! 十分です!」
うっほー! それだけあればヒーだけでなく、リリアとフィリア、ジョニーにも良いお土産を買って行ける!
「では次に」
さぁ次は一体どんなエース級のカードが飛び出すのか!
「こちらが労災保険の書類になります」
くぅ~! やるねアニさん! ここでそれを切るとは!
「記入事項はこちらで入れてありますので、相違がなければここにサインをお願い致します」
「はい!」
高級そうな万年筆を渡し、サインを要求するアニさんが宝石店の店主に見える!
労災書類には俺の個人情報が記載され、確認するも間違いはなかった。そこで迷わずサインした。
「はい。これで良いですか?」
「……はい。大丈夫です」
サインを確認したアニさんはしっかりと頷いた。
「では、次です」
さぁ次は何!
「こちらは、今回のクエストでリーパーさんが要求した武器の詳細なのですが」
要求した武器? あ、よろずで貰った武器か。あれって確かただで良いって言ってなかったっけ?
「狩猟用短剣一本。細剣一本。プリースト用錫杖一本。マジックリング一セットとなっておりますが、ギルドとしてはリーパーさんに提供できるのは一本となっていた為、大変申し訳ありませんが、残りの三つについてはリーパーさんにお支払い頂きたく存じます」
「え?」
ちょっとケチ臭いんじゃないの? まぁでも、確かにあの三人を無理矢理参加させてしまったこともあるし、何よりあの三人がいなければあれだけの報酬は得られなかった。それに、命懸けで戦った俺に対してそんな請求をさせられているアニさんの為にも、ここは潔く払おうと思った。なんたって十七万もあるし!
「あ、はい。分かりました」
「ありがとう御座います。では、こちらが請求書になります」
所詮武器。高くても十二、三万くらいだろうとタカを括ったのだが、請求書を見て目玉が飛び出した。
ジュ、十八万一千!?
請求書には、細剣、七万五千。錫杖、七万。リング、三万六千となっていた。
あの武器屋どんだけぼるんだよ! 足出てんじゃん!
「え? いや、あの……」
「ではリーパーさん。こちらにもサインをお願いします」
「え? ……え?」
再び高級そうな万年筆を渡し、サインを要求するアニさんが死神に見える!
「おっ! リーパー! やっと目を覚ましたか」
そのタイミングで、上機嫌にクレア達が見舞いにやって来た。
「あっ本当だ! 大丈夫ですかリーパーさん?」
「どうも。クレアにやられた額の方はどうですか?」
「それは言わんでいいミサキ!」
何も知らない馬鹿娘三人は、いつものノリで話しかける。
「おいお前たち。ちょっと話がある」
「どうした? あっ! 額の事は謝る! 確かに私でもやり過ぎたと思っている。だからそう怒るな」
「そうじゃない。お前ら、今いくら持ってる?」
「はぁ?」
「どうしたのリーパーさん? お金無いの?」
馬鹿三人に請求書を見せた。
「これどうすんだよ!」
「え? ……なんだこれは!? お前、クエストに参加すればタダでくれるって言っただろ!?」
「俺の分だけだよ!」
「はぁ!? 何を今さら言ってんだ! お前には悪魔撃退の報酬もあるだろ! それくらい払え!」
「舐めてんのか! 俺の報酬でも足りねぇんだよ! てめぇらだって報酬出てんだろ!」
そう問い詰めると、クレア達は慌てて目を反らした。え? あいつらも俺と同じくらい貰ってんの? ……マジでいくら貰ったの!?
「よ、よし! 半分出そう! もともとリーパーが強制的に私達を参加させたのも悪い。だ、だから半分だけ払おう……」
「え……う、うん。半分なら……」
「…………」
ミサキも答えろや! なんであいつだけ払わない気してんの!?
「ま、まぁ、そ、そういうわけなんで、私達は今から銀行に行ってくる! 行くぞ!」
「あっ! 待ってクレア!」
そう言ってクレア達三人は逃げるように病室を飛び出して行った。しかしさすがの金額に負い目を感じたのか、その後立て替えという形で三人は半分だけ支払ってくれた。




