研修初日の朝
軽快な雀の声。大都会の朝の閑静。カーテン越しに差し込む柔らかな日差し。真新しい布団は優しく俺を包み込む。新たな環境での朝としては、最高と言えるだろう。しかし、昨日のマニュアルのせいで、寝不足も加わり、初日の朝から滅入っていた。
これがリリア相手なら忙しかったで済むが、さすがにあのアニさんを相手には通用しないだろう。
それに、いくら研修と言えど、五日間を快適に過ごすためには、初日から人間関係という地盤を固めにいかなければならない。もしここで俺がマニュアルを読んでいないなどと言えば、アニさんの信用を無くし、目を付けられてしまう。そうなれば、この五日間は肩身の狭い思いをしなくてはならない。それは嫌だ!
そんな策略を考えていた俺だったのだが、まだ半分は寝ていた。それでもトイレに行き顔を洗うと、それなりに目が覚めた。
これならいける。っと気合を入れ、着替えを済ますと朝食をとるため食堂に向かった。
ミズガルドの宿舎には食堂があり、朝昼晩と賄いのおばちゃんが食事を用意してくれる。ただ食費は日給から引かれるため、事前に断る事が可能なのだが、色々と面倒だったので頼むことにした。
食堂はかなり広く、長テーブルがいくつもあり、詰めれば一度に五十人ほどが食事をとれそうなほどだった。だが、今現在では三人ほどがぽつらぽつらいるだけで、清潔感溢れる白い壁紙と、奥から聞こえる食器のカチャカチャ鳴る音のせいで、余計に寂しく感じた。
食事はカウンターに各種総菜が並び、決められた総菜を自分で取りに行くというものだった。ここはさすがにホテルのバイキングのようにはいかないようだった。
「お早う御座います」
一応礼儀として挨拶をしたのだが、マスクをして忙しそうに奥で作業を続けるおばちゃんたちは、小さく頭を下げるくらいだった。
もう少し触れ合いが欲しい気もしたが、これも仕事だと、一人静かに朝食をとる事にした。
ちなみに今日の朝食は、パンとコンポタージュ、目玉焼きにベーコン、そしてサラダと、優雅過ぎるほど豪勢だった。
いつも俺が食べている家の朝食は、バターを塗ったパンと、目玉焼きと大根や芋の煮つけだ。というか、普通はこんなものだと思う。ミズガルドのギルドが豪華過ぎだ! 食費だけで日当が無くなりそうで不安だ。
それでもやはり豪華な朝食にテンションが上がっていると、一人の女性が声を掛けて来た。
「あ、あの~……隣いいですか?」
「え? あっ、どうぞ」
声を掛けて来たのは、茶色い髪のカジュアルなショートヘアーに、ピンクの頬の色が目立つ、クリっとした目のマリアくらいの年齢の女性だった。だが、ギルドスタッフの制服を着ているのを見て、ここのスタッフなのだと分かった。
これだけスカスカの食堂で、何故わざわざ俺の隣の席を選んだのか? もしかして~? と思ったが、左胸に研修生を表す葉っぱのマークが入ったプレートを見て、俺と同じ研修生だと分かった。彼女もプレートを見て、声を掛けて来たのだろう。
「あ、あの~……」
「はい」
声を掛けてきたは良いが、しばらく黙って横で暗い雰囲気を出していた彼女は、意を決したように話し掛けて来た。
俺から話し掛けても良かったのだが、こんなに歳の離れた初対面の女性に、こちらから声を掛けるというのは、ヘタレの俺には無理だった。
「今日から研修を受ける方ですよね?」
「ええ。リーパー・アルバインと言います。よろしくお願いします」
こっちから声を掛けられなくとも、年上の余裕という見栄を張りたい俺は、爽やかに挨拶した。
「やっぱりそうでしたか! 私はアリア・ラミラと言います。よろしくお願いします!」
十代半ばで研修に来たところを見ると、おそらくこういう出張と言う経験は初めてなのだろう。そのため俺以上に不安があったのだろう。急に元気になった彼女を見て、そう思った。
「ア、アルバインさんは、ど、何処から来たんですか?」
「リーパーで良いよ。俺はシェオールから。ラミラさんは?」
「わ、私は、カミラルです」
「へぇ~、そうなんだ……」
そうなんだと返事はしたが、正直聞いた事の無い地名だ。どこそれ?
「…………」
「…………」
会話が続かない! そりゃそうだよ。彼女はきっと初めての研修で不安がいっぱいで、少しでもそれを紛らわしたくて声を掛けたのだろうし、俺だって同じだ。そんな二人が、これから始まる研修を前に、和気あいあいとはならない!
しかし! これはこれで気まずい! 何か話さなければ。
「あ、あの。ラミラさんは、研修は初めてなの?」
「え! あ……わ、私の事は、アリアでいいです。け、研修は初めてです……」
「あぁ、そうなんだ……」
「…………」
気まずい! それにこの空気のせいで、これからアニさんの指導を受ける不安が余計に増した! 撤退!
「あ、あの~」
「はい!」
「俺、食べ終わったんで、これで失礼します」
「え! あ、はい! 今日からよろしくお願いします!」
「う、うん。俺もアリアさんと同じ新人だから、お互い頑張ろうね」
「はい! 頑張りましょう!」
仕事への熱意は強いようで、俺が頑張ろうと声を掛けると、アリアはその意思を示すように拳を作り、力強い返事をした。
これから社会人として成長していくアリアの熱意を感じ、いずれ俺を超えて行く存在なのだと、勝手に期待してしまった。
若者は、すでにおっさんになってしまった俺には才能の塊にしか感じられなかった。
こうして俺は、アリア・ラミラという一人目の研修仲間と顔を合わせた。